「ブラショフ」は、12世紀にドイツ人により建設された街で、特に15世紀から16世紀に商業都市として発展したルーマニア第2の都市です。
地理的には、ルーマニア地方中央の南北に連なるカルパチア山脈の南端の山麓に位置する、中世の面影を強く残した街並みの静かなところです。
「ブラショフ」では、主な見所である、「スファトゥルイ広場(旧市役所広場)」、「黒の教会」、ブラショフ要塞博物館」や「聖ニコラエ教会」などを訪れましたのでご紹介いたします。
高台から写した「ブラショフ」の中心部で、左側に見える黄色い塔が旧市役所(歴史博物館)で、その前に広場(スファトゥルイ広場)が見えます。 広場を取り囲むように中世の重厚な建物が並んでいます。 |
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高台から写した「黒の教会」の全景です。 「黒の教会」は、周囲の建物が隣接しており、近くから教会の全景を撮影することができません。 |
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ブラショフの街並みです。 中央に見えるのが、「黒の教会」です。 |
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ブラショフの中心に広がる「スファトゥルイ広場」です。 (「黒の教会」方向に撮影したものです。) |
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同上。 | |
「スファトゥルイ広場」の写真で、「歴史博物館(旧市役所)」方向に撮影したものです。 | |
「スファトゥルイ広場」の中心に立つ「歴史博物館」です。 1420年建立の旧市役所で、高さ60mの鐘付きの見張り塔のある建物です。 |
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広場に面して建つ風格のある美しい建物です。 | |
「黒の教会」です。 1689年にハプスブルグ軍の攻撃に受け、外壁が黒焦げになったことから、このように呼ばれているそうです。 |
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石造りの荘厳な「黒の教会」の建物です。 14世紀〜15世紀に建立された、高さ約65mもあるというこの地方最大のゴシック様式の教会です。 ミサのため、教会内部には入れませんでしたが、教会には1839年製の4000本のパイプと4つの鍵盤を備えたルーマニア最大級のパイプオルガンがあるそうです。 |
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黒の教会の外壁の「聖者の像」です。 | |
ここは、ルーマニアで一番狭い道路という説明をガイドから受けました。 本当でしょうか。 |
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「ブラショフ要塞博物館」の入り口です。 この博物館は、16世紀の要塞跡がそのまま博物館となっています。 博物館建物の中には、当時のブラショフの街の模型や中世の武器などが展示されています。 |
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門の彫刻で、真ん中に彫られている所有者の家の紋章です。 今で言う紡績工場の経営者だそうです。 |
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同上で、左側に彫られている糸車です。 なお、右側にはハサミが彫られていました。 |
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16世紀の要塞跡です。 | |
スケイ地区から写した「スケイ門」で、ブラショフがドイツ人により建設された当時は、ルーマニア人は原則としてこの門から市街地へ立ち入ることができず、夜間は決して通行ができなかったということです。 | |
これも、スケイ門と同じく、市街地とスケイ地区との境界に建つ「エカテリーナ門」です。 | |
「聖ニコラエ教会」です。 スケイ地区にある、ルーマニア正教の教会で、14世紀の創建時は、木造の教会だったそうです。 |
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聖ニコラエ教会の敷地内すぐ隣にあるのは、、ルーマニア語で初めて教育が行われたというルーマニア最古の学校で1760年の建造の建物です。 | |
学校に直ぐそばに建つ彫像は、「ゴルシー」という学校の先生で、初めてルーマニア語の教科書を印刷した人?との説明をガイドから受けた気がします。 | |
車中から写した、ブラショフで一番古い教会(12世紀)です。 |