雑談目次 | 読書フェスティバル | チューリップ | メッセージ |
チューリップ
田 敞
「チューリップいっぱい咲いたわね」と久美子が言う。
「うんいっぱい」
「百本はある」
「うん。あるかも」
でも、そんなに植えたか自信はない。
昔、子どもだったころ、母の妹がよくやってきた。その人が連れてきていた小さな女の子が、よくチューリップの絵を描いていた。チューリップの横にいつも女の子が並んでいた。私は男兄弟だから、女の子とどんな話していいのかまるで分らなかったから、いつもその絵を盗み見ていた。
あの頃は、今みたいにガーデニングなどという言葉もなかった時代だ。考えてみれば戦争が終わってまだ10年もたっていなかったのだから、花に金を使うどころではなかったのだろう。それでも、登校する道の途中には夏にはタチアオイやヒマワリが咲いた。いつのときも、花が好きな人がいて何とか花を咲かせていたのだ。今でも夏というと、タチアオイを思い出す。でも今タチアオイは梅雨のころの花で、あの頃の夏に咲いていたという記憶とはちょっと違うようだ。
チューリップの記憶はない。チューリップはその従妹の絵だけだ。
「毎年勝手に咲くの」
「あれは去年の秋買って植えたやつ」
「残らないの」
「うん、チューリップはだめだな」
「腐るの」
「腐るというより、葉っぱだけになっちゃう。次の年咲くのは10本に1本くらいかな。ターシャの庭はいつもチューリップだらけだから育て方なんだろうな。俺に合わないんだな」
その従妹とは高校生のときくらいか、一度映画を見にいった。時代劇のような気がする。気がするだけで定かではない。その時以来あった記憶はない。もう顔すら思い出せない。すらっとしていたのは覚えている。でもそうだろうか。
学生時代以前の写真は、高校の卒業アルバムだけだ。以前、片思いだった子を名前を頼りに探したら、覚えのない人が映っていた。小柄で、きゃしゃな人のような気がしたが、それとは反対の人だ。記憶なんてそんなものなのだろう。
「鷺草は小さい球根だけど、丈夫だな。増えるなあ。前叔父さんから二鉢もらったの、この前植え替えたら、300個ほどに増えてた。50鉢分くらいあるかも。まだ、植え替えてない鉢もあるし。植え替えても置くとこないし」
「あげたら」
「そのつもりだけど、今はだめ。花が咲いてから。枯らしちゃうから。去年も吉江さんと美津子さんには咲いたの上げたよ。」
「今年も上げると喜ぶよ」
「あの二人はいいけど、あとはあんまり。吉江さんの旦那さんなんか野菜は興味あるけど、花はまるっきりだめだもんな。鷺草みたいに山野草みたいなのはほんとおたくの趣味だから、興味ない人には草だもん」
「そうよね」
「マグノリアは早いな。もう終わりだ」
あずき色のチューリップのような大きな花を無数に咲かせていたけど、もうほとんど散って、遅れて咲いた花が少し枝にしがみついている。かわりに葉が開きだして吐き出し口のサッシから見える空の半分を黄緑に染め始めている。
「あっという間ね」
「木瓜の方が早く咲いたのに、木瓜はまだ咲いてる」
数日前まで、一日中枝の中を飛び歩いて花にくちばしを突っ込んでいた目白はもういない。花は咲いていても、蜜がないのかもしれない。でもひよどりは木瓜の枝の中でまだしつこく、蜜を探している。
忙しい時期だ。草はどんどん伸びるし、盆栽やプランターの花には毎日水をやらなければならないし。伸び出したモミジや梅やケヤキの盆栽などの芽の先を、毎日つまなければならないし。しまってあった、アマリリスの球根を植えなくてはならないし、もう少ししたら、夏の花の種まきをしなくてはならない。
贅沢な暮しだ。なにも社会に貢献しない、ただ、趣味だけの暮らしだ。年金爺さんだから、許してもらおう。