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雲をつかむ話2

高田敞

 

 いつものようにひまでつけたテレビに、プラントハンターの番組が映った。

何年か前、始めたばかりのダンスサークルのおばさんが、「いっつもテレビばっかり見てて、少し外に出ればいいのに」と夫のことを言った。「やっと仕事が終わったんだから、もう動きたくないんだよ」と私は返事したものだ。そのときは、自分は違うと自負してたから言えたんだろう。

忙しそうに後ろを通った久美子がテレビをちらっと見て、行き過ぎながら、

「鷺草が咲いてるね」と言う。

 隠居の母のところからこちらに来る途中で見たのだろう。

「うん、咲いてる」と答える。

「いっぱい。もう咲き終わりそうなのもあるし、これから咲きそうなのもあるし」

「これからが本番かな。あれ丈夫だ。いっぱい増えた」

「清楚な顔して、今にも倒れそうなのにね」と久美子もいう。

「誰か見たい」と私。

久美子はオホホと笑う。

「ほんとまあ」と私も笑う。久美子はこの頃、卓球だ、バードゴルフだと毎日飛び歩いている。毎日30度を越える炎天下、午後いっぱい外でバードゴルフをやるなんて、クーラー三昧の私には考えられない暴挙だ。

イギリスのプラントハンターの話だ。子供の頃、花好きのお婆さんにいつもくっついて庭いじりをしていたのが高じたという。世界中の未開の地を駆け巡って花を集めていたという。ところが、コロンビアで拉致された。その間、殺されるという恐怖から気持ちをそらせるために、ワールドガーデンの設計図を書いていたという。数カ月後無事解放されて、その後ワールドガーデンを造っているという。ジャングルを歩くのはさすがに怖くなったのだろう。怖いのは、ライオンや熊ではなく、人間だったとは。怖い牙も、角も、爪も持ってません、知恵だけですと清楚な顔をしているのに、やることはすごい。金のためなら何でもやる。拉致なんて目じゃない、何百万人も殺傷し、都市や町々を破壊し、国ごと奪う人たちまでいるのだから。

その人は死の恐怖の中で書いていた夢の庭園を造り続けているという。夢を追っかけず、夢を作ることにしたのだ。でも、今もベットの中で、ときどきジャングルを分け入っている夢を見るのじゃないかな。

 

見ながら、先日、モーニンググローリーという番組があったのを思い出す。

オーストラリアに、巨大なロールケーキのような雲が現れるという。何十キロもの長さのロールケーキだ。それがゆっくり回転しながら空を転がっていく。

久美子に「モーニンググローリーって何」と聞くと、「朝顔のことよ」と答えた。「え、朝顔じゃ変だな。グローリーって何」「栄光」「そっちだ。朝の栄光って意味か」

その雲の上を飛ぶために各地から集まってくるグライダーの操縦士たちのドキュメントだ。

遠いところからやってきたおじさんたちが、毎日、毎日ただ空を眺めてロールケーキの雲を待っている。雲はめったに現れない。たまに現れると喜び勇んで飛び立っていく。

転がっていくロールケーキの雲の前面で強い上昇気流が発生しているので、それに乗るのだという。エンジングライダーだから自力で雲の上まで出る。それからエンジンを切る。一気に静寂が訪れる。後は、風に乗ってふんわり浮かんで、雲と共に流れていく。

しんがりにお爺さんがやってきた。みんなと同じように、キャンピングカーの後ろにグライダーのコンテナを引っ張っている。すごい人なんだ、とみんな一目置いている。何時間も果てしなく飛んでいるのだという。とてもまねできない、と一人のおじさんが言う。

そして、またみんなで空を見上げて雲を待つ。オーストラリアの乾燥した空の日よけのシートを張った下で、みんなでお茶など飲んで、静かに待つ。おしゃべりはしない。元気に話すのは、気象予報の天気図を見ながら翌日雲が現れるかどうか検討するときだけだ。後はただただ雲を待っている。

そして、ときどき気まぐれに現れるモーニンググローリーに乗る。

そうしておじさんとお爺さんの一つの季節がゆっくり過ぎていく。モーニンググローリーのように。

ある日、「帰らなくちゃ」と一人のおじさんが言う。「仕事に戻らなくちゃ」、と。「また来年会おう」、と、手を挙げてキャンピングカーでグライダーのコンテナを引っ張って砂漠の道に出て行く。そうやって、キャンプ地は少しずつ静かになっていく。そして、遅れてきたお爺さんだけになった。

季節の終わりを飾るように巨大なモーニンググローリーが現れた。飛び立つのはたった1機だけだ。空の果てから果ての向こうまでも伸びている巨大なロールケーキだ。その上をお爺さんのグライダーが漂っていく。秋空のトンボのように輝いて。

そしてモーニンググローリーの季節が終わる。お爺さんは「次の雲を追っかけて行く」と言う。一年中いろいろなところのさまざまな雲を追いかけているのだという。そして、ゆっくりと砂漠に走り出て行く。

ずっと雲を追いかけていくのだろう。たった一人で。世界が尽きるその向こうまで。

 

窓から外を見る。1間と2間の四角いガラスの向こうに夏空だ。桜の枝が枝垂れている。もう、少し色あせて、秋の準備だ。マグノリアは、まだまだこれからだ、と大きな葉を黒々と茂らせている。木瓜は、山芋の葉に覆われている。蔓を伐ってやらなくちゃ、と思う。これで何回思ったことか。

もう雲をつかみになんかいかない。庭の草を取ったり、花を植えたり、盆栽いじりをやったり、テレビを見たり。すっかり爺さんだ。