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カレーの日
高田敞
「今日カレーでいい」と久美子が聞く。
「いいよ」と答える。
「お母ちゃん十日がカレーの日だったんだけど、今月はなかったんだって」
久美子の母親がデェイケアーに行っている施設の話である。
「おやおや」
「カレーが中止になったからって文句言う人がいたんだって」
「子供みたい」
「そうなんじゃない、十日がカレーの日って決めてたら、それに合わせて献立考えたりしてる人もいるんじゃない」
「そういうこともあるか。でも、カレーだよ」
「家では、面倒だからって、つくだ煮なんかで済ませたりしてる人いるんじゃない。やっぱり楽しみなのよ」
「うん。カレーうまいもんな。でもほかの献立は楽しみじゃないんだ」
「毎月十日がカレーの日って決まってるからじゃない。目標があるのはいいのよ。年取ると目標がなくなるのよ。お母ちゃんだって、家にいるときは一日中寝てるだけでしょ。やりたいこともないし、何かしなければならないってこともないし。昔なら、掃除して、ご飯作って、洗濯して、草とってって、一日中何かしらやってたけど、いまは、洗濯機回すだけでしょ。掃除はヘルパーさんがやるし、ご飯はうちからでしょ。やることないから一日中寝てるでしょ。だから、カレーの日って決まってたら、それをずっと待ってるのよ。ほかに何にも待つことないからそれだけが膨らんでいくのじゃない」
「なるほど。そうかもなあ」
「だから何かやることがいるの」
「確かにそうだは。やることないとつまらないかも。だから久美子もこのごろ卓球やったりバードゴルフやったりしてるんだ」と笑う。
「そうよ」とすましている。で、「ごはんも作ってるでしょ」と笑う。
「うん作ってるわ」と笑う。
「男の方は退職したらやることないから田舎暮らしにあこがれたりして」
「男はそうだけど、女は田舎なんて興味ないのよ」
「かも。田舎に行くなら一人で行ってっておっぽり出されたりして」
「そうよ。都会は楽しいこといっぱいあるもの。田舎で草取りなんか嫌に決まってるでしょ」
草取りはたいがい私の役目だから、庭中草の天国だ。
「女の楽しいことと、男の楽しいことは違うからな。男はいつまでも何かを作っていたいんだろうな。目に見える成果が欲しいんだよね」
「女のひとだってそうよ。でも、女の人は子供を産むってことがあるでしょ。子育てが終わったら、それ以上のことはないから、もうのんびりしちゃうのよ」
「そうか。でも男だって子供のために働くよ。子供に餌を運ぶってことが、最大事業だから」
「私だって働いたでしょ」
「うん、そやわ」
けど、はつけなかった。めんどくさくなるから。
「日本じゃ、女は家で、男は外でってシステムになってるからな」と話をあっちの方に向ける。
「ここは田舎だから」と久美子。
ああなんで田舎暮らしなんかしてるんだろう、という悲哀が目からこぼれている。
「都会も同じだよ。ここだって、男女共同参画なんて会議よくやってるけど、あれ見せかけだよ。男より女の方が安く使えるし、へっぽこな男使うより、優秀な女の人を安く使うほうが企業としてはもうかるからね。でもそんなこと言ったら、ブーイング来るから、男女共同参画なんてうまい言葉使ってるだけだよ。十年か二十年か前、男女機会均等法なんて法律作ったときも、これからは女性も男性と同じように出世できるとか、給料も同じになるとか、大々的に宣伝してたけど、実際に変わったのは、女性も男と同じように、深夜まで働かすことができるということだけだよ。管理職の女性は相変わらず少ないし、給料も、男の六割だっていうし、そっちは何にも変わってないんだよ。俺の個人的意見ばかりじゃないよ。日本は、労働環境の男女平等は世界の百三十何番という統計があるからほんとだよ。日本はほとんどびりっかすってことだよ」
「そうなんだ。そうは思えないけど」
「あの頃は深夜営業の店が増えて、そのために深夜まで働く女性がぜひとも必要になったんだ。売り子とか、商品を作る人とか。でも、そういっては法は作れないから、出世とか、給料が同じになるとか、うまいこと言って騙したんだよ。昔、労働組合が、何年も何年もかかってやっと勝ちとった女性の深夜労働禁止の法が、あっさりチャラだよ。」
「そうかもしれないけど、女の人はそんなに気にしてないんじゃない。緑さんや、恵子さんみたいに、扶養の範囲で働いているっていう人が多いんじゃない。周りの人はたいがいそうでしょ。それでいいって思ってるんだから、いいんじゃない」
「そうかも。今は、女性の社会進出のために扶養手当をなくそうなんてキャンペーンやりだしたもんな。女性のためみたいなこと言ってるけど、企業のためだよ。企業にとっては、扶養手当払わなくていいわ、安い労働力は手に入るわで、一挙両得だよ。株主さんや、経営者さんはおいしくてよだれが垂れてるんじゃない。企業って今は株主のもんだからね。その儲けを株主が揉み手をして待ってるよ。そっちは内緒にして女性のためなんて大手の新聞が嘘ついてるから困ったもんだ。まあ、大手に逆らったら、どこかの政治家が言っていたように、広告来なくなるからね」
「困るわね」
久美子はもう話に上の空だ。いつものぶつくさが始まったくらいに思っている。男女不平等といったって、日本の女性は世界一の長生きだ。このあたりにも百歳を越えた女性が二人もいる。九十代なんて当たり前だ。
なにも西洋の考えばかりが正しいとばかりはいえないのかも。自由だ権利だともっともらしいこと言ってても、やってることは、ただの弱肉強食にしかすぎないのだから。日本流に、男をたててしっかり働かせて、自分の巣を守るという生き方も、女性としてはいい生き方かもしれない。なにもしっかり認められる仕事をすることばかりが権利ではないのかも。社会的地位も名誉もなくても楽しく幸せな生活はあるのだから。私も退職したら楽しい世界が待っていたもの。地位も名誉も、立派なこともなにひとつないけど、金もかすかすだけど、今が一番楽しいもの。でも、これからは、女性もしっかり社会に出て働くしかなくなりそうだ。安月給長時間労働にならなければいいのだが。ご時世だからなあ。
いやいや、ぶつくさ言っても何も変わらない。暑い夏、おいしいカレーで乗り切ろう。