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結婚昼話

 

高田敞

 

「娘に恋人ができたみたいなの」

 いつ子さんがニコニコ言う。

「よかったじゃない」と私もニコニコ答える。

「マイケルが反対してるの」

 マイケルは彼女の夫だ。

「またどうして」

「彼のところと遠いのよ。彼はカナダなの、結婚して彼のところに住むとすると、今までのキャリアを失うことになるから、せっかく積み上げてきたものを失ってはだめだ、って怒るの」

 娘さんはアメリカで暮らしていると以前聞いた。この連休に帰ってきたと言って娘さんの話になった。

「日本と考え方が違うんだ。日本だと、経済は男って感覚だから、女は結婚したら仕事を辞めてせいぜいパートくらいで十分だって考えるからなあ」

「そうなの。相手が娘の方に来ればいいって言ってるの」

「それも大変だ、彼の方が、キャリアをなくすもんな」

「そうなのよ。だから何でもかんでも反対なのよ」

「そんなの、親が口出ししてどうなるもんでもないよ。娘さんもう大人なんだから、娘さんにまかせたらいいんじゃないの」

「そうでしょ。私もそう言ったのよ」

「男親ってのは娘離れできないからな」

「そうなのよ」

「まあ、旦那さん心配しなくても、だいたい遠距離恋愛って、大概成就しないから」と私。

「そうなのよね」

 明るく答える。

 平気で水を差すことを言う。せっかく娘さんが結婚できるかもと喜んでいるのに。

「やってみればいいんだよ。失敗したら、やり直せばいいし」

そばにいた田村さんが言う。

「そうよね。何事もやってみなくちゃ分からないものよね」いつ子さんが答える。

「そうだよ、経験積むだけ人間は大きくなるもんだから」と田村さん。

3人の中で田村さんが最年長者だ。といっても3人とも年長者なんだけど。

「田村さんは経験者ですものね」

いつ子さんは笑いながら話す。

(オヤ、彼は離婚経験者なんだ。いつの間にそんなことまで話す仲になったんだろう)と顔を見る。秘密を共有している笑みが浮かんでいる。

いつ子さんと私はずっと以前から知り合いだったけれど、田村さんとはこのクラブで初めて知り合った。彼女もそうだ。でも、もう1年以上同じダンスサークルをやっているのだから当然かもしれない。もちろん、俺を差し置いてなどと無粋なことは考えない。

「女の方は、嫌だけど経済的に自立できないから一緒にいる。男は、家事ができないから一緒にいる。そんな夫婦がいっぱいいるよ。もう後がないのに、どうでもいい相手と暮らすことほど詰まらないものはないよ。そんなら、一人の方がよっぽどましだろ」と田村氏。

「いわれりゃそうだけど。うちなんかも、一緒にいるからやってけてるけど、生活二つに分けたら、経済成り立たないもんな」と私は笑う。

「そうよ。女の人は経済的な自立が大変なのよ」いつ子さんが言う。

でも、いつ子さんは小さな会社を経営していて、年金老人の私なんかよりよっぽど経済的自立はしている。だからか、彼女も熟年離婚している。そのとき経済的に困ったのは夫の方のようだ。それで、何年かして、国のアメリカに戻っていた夫の方が帰ってきた、と妻の久美子が以前話していた。

いつ子さんは、もともと久美子の友達だ。それで、ダンスサークルに男が足りないからと、久美子をとおしていつ子さんが私に誘いの声をかけたのがダンスの始まりだ。これ幸いとばかりに暇な爺さんはホイホイ出かけたものだ。

でも、一般的には、熟年離婚して経済的に困るのは女性の方だろう。

「おれは、女房に、介護の免許を取らせて、通勤の車を買ってやって、自立できるようにしてから別れたよ」と田村さんが言う。

「たいしたもんだ」もうひとつピンとこないけど、相槌を打った。久美子に別れるから働けと言ったら怒るだろうなと思う。しかし、年金を分けあったら私だって、部屋代稼ぎにパートにでも出なければならないし、やはり、免許は正解なのかも。

「3年前に分かれたんだけどね」と私に向けて言う。「ただ別れるときは喧嘩したらだめだよ。ケンカ別れほどつまらないものはないから」

「やんなるから分かれるんじゃないの」と私。

「いやそれだからって喧嘩したら終わりだ」

「よっぽど嫌になってないと分かれないだろ」

昔、みちこさんが、「暴力さえなければ分かれなかったのよ」と言っていたのを思い出して言う。

「それがだめなんだよ。長く一緒にいて苦楽をともにしてきたのだから、別れても友達でいられるような別れ方をしなくちゃだめだよ。世の中他にはそんな人いないだろ。離れて暮らしたら嫌な部分は無くなるから、案外仲良くできるものだぜ。一緒にいるからやりたいことも我慢しなきゃならないし、嫌なところも目につくしなんだけど、別れるとそれがなくなるからね。我慢しなくて済むのが大きな違いだね。それにお互い新しい人生が開けるからやれることも増えるし、一緒にいたから起ったごたごたはなくなるしだから、」

「ふうん。そういうものか」

私は経験がないので分からない。でもそうかもしれないとも思う。年金爺さんだって、時々は、自由よ、おまえは何て素晴らしいんだ、とこっそり言ってみたくはなる。

「嫌味なことや我慢することから解放されるのはお互いにプラスだぜ。人はいつまでも好き合ったままでいられないから」

「そりゃそうだ。一生一人を愛するっていうのが生物的におかしいのよって久美子もよくゆってたわ」

「そうよね、それが人間よね」

とってもまじめないつ子さんまで言う。

「お父さん心配してるけど、娘さんも結婚まで行けるかどうか、これからだよ。今の若い人はおれたちの頃と違って結婚が最終目的じゃないもの。アメリカ暮らしならなおさらじゃない」

「そうよね」

 10人に満たないサークルに、2人の離婚経験者がいる、あと一人は調停中だという話を聞いた。死に分かれた人もいる。後の3人は聞かないけど、たぶん、なんとか楽しく二人以上で暮らしているのだろう。ダンスするくらいのちょっと自由を謳歌して。

 結婚だって、いいことばかりではないけど、悪い事ばかりでもない。経験を積んだからといって、それが役に立つとは思えないし。調停中のみちこさんだって、夫の悪口をよく言うけれど、ときどきは夫の自慢話もしていた。

 3組に1組が分かれると言われているけど,2組もがなんとかやっているということでもある。久美子なんかも「あの二人が生まれたいって私たちを結婚させたのよ」ってよく言っていた。ほんとまあ。確かに子供らと一緒に暮せたことがいちばんの嬉しい思いでではあるけど、それでも何とかまだ一緒にやっている。久美子も最近はもう何も言わない。悪あがきだと悟ったのだろうか。いやいや、まだまだ油断大敵。で、私なんかもちょっと自由をもらってダンスなんかをやっている。世の憂さを忘れて踊って踊ってといきたいところなんだが、なかなかステップが覚えられない。なんだってそうそう楽しいことばかりは転がっていないもののようだ。