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プラントハンター


高田敞


 まだプラントハンターがいるんだ、と何気なく回したチャンネルに映し出された画面で驚いた。

 プラントハンターというのは、ヨーロッパの国々が世界に進出していた中世のころ、世界中に出かけて、珍しい植物や動物を採集して本国に送っていた人たちのことだ。それが今の日本にいるというのだ。

 その人は、園芸卸業を営んでいて、世界中に出かけていって珍しい植物を取ってきて、日本で売っているという。巨大なオリーブの木を東京のオフィス街に植えたり、3トンもある、ビア樽のお化けのような木を南米から輸入したりしている様子が映し出されていた。何日もジャングルの中を捜し歩き、技術を駆使して切り出し、何カ月もかけて日本まで運んでくる。虫一匹でも、土くれひとつでも付いていては検疫を通らないから、根も茎もほとんど切り落としてある。それでも根付かせるというのだ。盆栽を植え替えてはしょっちゅう枯らしている私から見ると、なんでそれで根付づくのだろうと神業に思える。

「世のなかにはすごい奴もいるもんだ。俺なんかとはスケールが違う」と久美子に言う。

「そう」といつものように炬燵に寝転んで本を読んでいる久美子が答える。

「おれなんか盆栽なんかちょこちょこやってるだけだもんな」

「趣味でしょ」

 いつものように上の空だ。

「まあ、そやけど。やっぱスケールがな」と言ってみる。

 久美子はまるっきり感心しないけど世界中をお得意さんにしてかけずり回っている若者はすごいと私はうなる。

 「私は、みんなの中にある、野生を引き出したい。そのために、野生のすごさを見せたい」というようなことを話していた。確かに目的が違う。

 ちょうど、ダーウィンについての本を読んでいた。その本によると、ウォーレスという人が、ダーウィンに進化についての論文を送ってきたことが、ダーウィンが進化論を世に問うきっかけとなったということが書いてあった。ダーウィンはそれまでずっと研究していた進化についての論文は発表せずにいた。世の風当たりを気にしていたようだ。他の研究論文で科学者としての名声は確立していたから、有名なダーウィン博士に見てもらいたいとたウォーレスが送ってきたという。

 それで、ダーウィンは、自分のと、ウォーレスの論文を同時に出した。横取りしなかったのだ。その後、「種の起源」という進化論のバイブルになる本を世に問うことになる。

 このウォーレスという人も、プラントハンターだったようだ。主に東南アジアで活動した人らしい。東南アジアのどこかに、ウオーレス線という、住んでいる動物の種類がガラッと変わる境界線を引いて今もその名を残している。

 プラントハンターがイギリスに送った植物を育てるために、イギリスでは王様がキュー植物園を作った。そこに大きなガラスの温室を作るために、植民地の税金をあげさせたので、植民地の人が飢えて暴動まで起こったという。今なら、植物園にしろ、農家にしろ、日本中たくさんの温室があるのだが、その当時はガラスはまだまだ高価だったのだろう。

 しかし、ちゃんとしたプラントハンターばかりがいたわけではないようだ。

 日本で江戸時代から伝わる河童のミイラとか、天狗のミイラとかいうものは、この当時のプラントハンターが作ったものだという話がある。トカゲの体に、鳥の首を縫いつけたり、猿に、オオコウモリの羽をつけたりとか、いろいろなインチキ動物をこしらえて、珍しい生きものを捕まえたといって金をせしめていたそうだ。それが遠く極東アジアの日本にも渡ってきて、河童や、天狗のミイラになったという。まあ、真偽のほどは定かではないが。

とばっちりを食ったのはカモノハシという動物だ。オーストラリアで捕まえられたその動物は、乳で子を育てるくせに卵を産むという、哺乳動物にあるまじき哺乳動物だという。問題は、その形だったようだ。ビーバーのような身体に、カモのくちばしがついていた。送られてきたその標本を見て誰もが疑ったのは自然であろう。でもどこにも縫い目がなく不思議がられたとか。今では、古い形の哺乳類としてみとめられている。

とばっちりと言えば、ダーウィンも苦労したようだ。進化論が出たころは、宗教者からばかりではなく、科学者からも多くの反論があった。その最たるものが、チンパンジーの体にダーウィンの顔をつけた風刺画である。

 ところが、そういう話は遠い昔のことかと思っていたら、意外とそうでもないようなのだ。現在のアメリカの人の47パーセントもの人が、進化論ではなく、人間は神が作ったと考えているという統計があるということだ。これも真偽のほどは定かではないが、アメリカでは、進化論を学校で教えてはならないとか、進化論を教えるなら、同時に聖書も教えなければならないという州法が当たり前にあるという。ほぼ半分の人が人間は神様が作ったと思いこんでいるという統計もさもありなんという気がする。

 このダーウィンも一種のプラントハンターであったのだろう。若いころ、ビーグル号という小さな船に乗って、5年ほど、世界を旅してさまざまな動植物や地質標本を集めて本国に持って帰っている。その後は本来の科学者の道を歩んでいたようだ。

私も若いころうろうろした。でも、日本の中だ。親の苦労など一つも考えずに適当なことをやっていた。早く定職について独り立ちしてほしかったろうに、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、根無し草で、親の心労や経済的負担は大変だっただろう。そんなことも、自分の子が大きくなるまで気づかなかったのだから。

 まあ、ふらふらの質がまるっきり違うということだ。

「世界を股にかけてるもんな」と言ってみる。

「人それぞれよ。敞さんもちゃんとやってきたでしょ」

 ちゃんと、慰めてくれる。でも本から目が離れていない。夫操縦法だ、などとひねくれない。もう40年近く結婚しているのだから。

2015,4,2記