プラントハンター  メッセージ


帰還


 高田敞


「わあ、良かった、美人のままで」

みちこさんの喫茶店に緑さんが入ってくるなり私は迎えに立った。入り口でつかまえて歓迎の挨拶をした。

「本物だ」と、にこにこ肩なんか触ってみる。

「やだ。この人変」と、緑さんはニコニコ逃げる。

「夢じゃないか確かめてんの」

「やだ、夢なんかに出ないわよ」

「そんなことないよ。ときどきやって来るよ」

「私行かないわよ」

 ニコニコ、でもちょっと真面目に答える。超常現象などちょっと信じるタイプなのだ。

「いやあ良かった、ストレスでおばあちゃんになっちゃったかと思ってた」

「大変だったのよ。円形脱毛症。見る」

「うん」

ちょっと尻込みしながら言う。なんか怖そうだ。でも、やだとは言えないし。緑さんは、振り返って後ろの髪を上げた。平気なのだ。

「わあ、かわいそう」

たしかに、大きく丸く禿げている。

「いじめられたんだ」と、みちこさんから聞いていたので聞いてみる。

「大変だったの」

「わかる」

 話しながら、席につく。ウツおじさんと、知らないおばさんがあきれた顔をしている。緑さんと仲がいい京子さんは、まあ、仕方ない爺さんだとニコニコ見ている。

「緑さんにご執心なの。奥さんがいるのに」とみちこさんがそのおばさんに説明している。

「ま、こっち帰ってきたから治るよ」

「治る」緑さんが聞く。

「うん治る。むかし、小学2年生で円形脱毛症になって、あっという間に全部なくなった子がいたけど、治ったよ」

「え」と斜め向かいに座っているおばさんが、小学生で、という顔をしている。しばらくあまり来なかったから、知らない人が増えた。「緑さんが来ないからこのごろ来ないのよ」と、みちこさんに言われいわれしていた。まあ、それもあるのだけど。

「5年生になって生えてきたと思ったらあっという間に普通になった。あれたぶんいじめか何かあったと思う」

 みんななんとなく納得した顔をしている。でも本当かどうかはわからない。うちの子も、小学生の1年のとき「そろそろ学校よそうかと思ってるんだけど」と言ったと、久美子から聞いたことがある。先生とうまが合わなかったと久美子が言っていた。2年になって担任が変わってからは、ずっと、学校楽しい人間で過ごしていた。大学終わるまで。たいがいの子は楽しくやってるんだけど、時たま、学校に不適応になる子がいる。なかなか解決しないことが多い。子供も大人も神様や天使ではなくみんな人間だし、勉強も難しすぎるから。それでもたいがいは折り合いつけてうまくやってるんだけど、中にはこじれることもある。

 緑さんは、仕事熱心で、ちょっとまっすぐすぎるところがあるから、新しい職場でそりが合わなかったのだろう。なあ、なあでやればよかったのかもしれないが、ちゃんとやりたくてそれができなかったのだろう。わたしみたいにちゃらんぽらんじゃないから、きっと。でも、今緑さんは元気だ。

「お父さん元気」と聞いてみる。

「それが良くないの。今ね、カルチャーショック。落ち込んでるの」

「歳とってるもんな」

緑さんは、一人暮らしの父親が弱ってきたからと言って、面倒見るために故郷に帰っていた。そして、今度は父親を連れて自分ちに帰ってきた。

「こっちだって、毎日嫌な天気じゃないか、って言うの。あっちは毎日カラッと晴れてていいわよって言って連れてきたから」

「今年は特別。雨ばっかりで変なんだよ。運悪かった」

「またダンスでもやったらいいのに」

「駄目なのよ、歩くのがやっとだから」

「そうだったよな。デイケアーとかは」

「今申請してるの。でも、人と何かいろいろしたり話したりするの好きじゃないの」

「困ったな。でもダンスしてたんだから大丈夫だよ。久美子の母ちゃんもなんだかだ言ってたけど行きだしたら楽しみに行ってるよ」

「男と女は違うのよ」

「仕事どうだった。受かった」と京子さんが言う。

「申し込んだの。面接があるのよ」

 緑さんが言う。

「え、仕事するの」と私が聞く。

「京子さんが見つけてくれたの」

「京子さん仕事見つけるのうまいもんな」と私が言う。彼女はしょっちゅう仕事を変わっている。

「短期の臨時の仕事よ」

「大丈夫。美人だから通るよ」

「だっていっぱい応募したみたいだし」

「コネあるといいんだけどね」

私は適当なことを言ってみる。

 旦那さんはしっかり働いているし、子供も独り立ちしているしだから、もう働かなくても十分やってけると私なんかは思うのだが。「自分のことは夫に頼らずにやりたいの」と以前言っていた。のんびり遊んでいるということはきっと頭のどこにもないのだろう。働く、という言葉が、やだ、の隣にあるちゃらんぽらんな私なんかとは違うのだ。

「今度おじさんが来るの。泊る準備してるの」

 緑さんは、みちこさんに話しかける。

「お義兄さんのところに泊ればいいじゃない。そんなのお義姉さんの仕事でしょ。」

二人はしばらくその話になる。

「親戚なの」と知らないおばさんが聞く。「そう」と私は答える。

緑さんは元気いっぱい話している。三年前に遠い実家に帰る前と変わらない。

ここには仕事を探してくれる人もいるし、努力を認めてくれる人もいる。私みたいなファンクラブ爺さんもいるし、は足引っ張りかな。きっと、すぐ髪の毛も生えてくるだろう。

帰りに夕飯の材料を買いにスーパーに向かう。町中にあるちいさなスーパーだ。ビルなんて、学校と役場くらいしかない小さな町並みの上に裏山が暗くたちあがっている。その山に向かって細い道を真っすぐ走っていく。家並みが少し続く。数分走ると通り抜けてしまう商店街だ。それも寂れてしまって、歩く人も見当たらない。嘘寒い風に幟がはためいている。

暖かい故郷の瀬戸内に帰って住んでみたいと、ときどき思う。知り合いだって、二,三年もすればそこそこできるだろう。でも、行かないだろう。今ここに何人か知り合いがいる。行けば同じように仲良くできる人はできるだろう。でも、それと今とは取り換えはきかない。

山の上は灰色の空だし、風はまだ冷たいけれど、もうすぐ啓蟄だ。みんな春の準備だ。