風


高田敞

車から降りた顔に吹き過ぎていく風が硬い。海に近いのかな、と思う。

車のほとんどいないスーパーの広い駐車場に、晩秋の昼下がりの光が弱弱しく傾いでいる。いつものように遠くに来たなという感じがする。いつのころからか感じるようになった。

そのスーパーは、随筆クラブに行く途中で、クラブの話し合いのときのペットボトルのお茶と、ちょっと菓子を買っていくためにいつも寄っていく。自動販売機で買うより6,70円ほど安いからお茶の当番になってからここに立ち寄っている。戦後すぐに生まれて、何もない時代に育ったうえに、公務員の安月給暮しをしてきたから所帯じみているのだ。公務員は税金泥棒みたいに言われたことがあるが、子供二人も育てたら、とても一人の給料ではやっていけない。うちも大変だった。

このスーパーからは、10分ほどで随筆クラブの集まりをする公民館に着く。そこから向こうが市街地だ。小さな田舎の町だ。だから、スーパーの周りは、畑やちょっとした林の中に道沿いにまばらに家が点在するだけだ。田舎は、一人1台車がなければ暮らせないからみんな車を持っている。だから、町外れでもスーパーが立つ。街中より駐車場が大きくとれるからかえっていいのかもしれない。

店内は静かだ。私は急ぎ足で買い物を済ませるとレジに行く。レジに並んでいる人はいない。おばさんが「いらっしゃいませ」と言う。でも、かしこまってはいない。田舎の陽だまりの挨拶のように、どこか、のんびりしている。「袋大丈夫ですか」と聞かれる。「うん持ってる」と答える。おばさんは「はい」と答えると手早く、レジにチェックしていく。

明るく静かな店内を見渡しながらここでもいつものようにどこか遠くに来た気がしている。いつも行くスーパーと違うからだろうか。不思議な感じだ。

 

生まれたのは海のそばだった。かすかにその記憶がある。その後、戦後の混乱の中、一家で都会に出たときも海のそばだった。大人になって働きだしたときも、海のそばだった。

子供のころ住んでいた家は港につながる運河の近くだった。港に続く運河の河口は、コンクリートの岸壁で出来ていた。だからそこに行っても海に触ることはできなかった。でも釣りはできた。僕たちは時々そこで釣りをした。小さなドンコと言う魚が釣れた。本格的に食べられる魚はもっと大きな人たちのことだった。だからたいがいは何もせずぶらぶらと海を見ながら歩いた。

海はどちらかというと音だった。その運河からは行きかうポンポン船の軽やかな音や、時おり汽笛が聞こえてきた。焼玉エンジンと誰かが言っていた。エンジンの上の玉を焼いてからエンジンをかけるのだよと。漁船だったのか、タグボートだったのか今では定かでない。漁船より、貨物船がはるかに多かったから、ほとんどがタグボートだったのだろう。タグボートは、いつも、2,3艘のはしけを引っ張って行き来していた。その甲高いはじける音は春も夏も秋も冬も間断なく聞こえていた。硬い風のなかで。

僕らはその後、海にはいかなくなった。海とは反対のほう、街中を見るようになったからだ。海を見たり、チャンバラをしたり、ポンポン船の音に起こされたりしていた子供でよかった時代はすぐに過ぎ去ってしまった。でも本当は底抜けの子供であれたことはなかった。こどもであっても大人の世界が否応なく入り込んでいた。できない宿題であったり、親たちの苦しみであったりと。大人たちから見れば些細なことでも、子供には大変なことであった。

以前みちこさんの喫茶店で誰かが、もう一度「若がえりたいと思う」、と聞いたとき、緑さんが「嫌よ、もうごめんだわ」と答えていた。私も、「もう一度あんなしんどいことやりなおすなんて、いやだね」と言ったもんだ。

 

ポケットからビニール袋を取りだして、ペットボトルを詰めると、出口に向かう。商品のチェックをしているお姉さんの横を通り過ぎる。いつも見る、ほっぺたの赤いきれいなお姉さんだ。「ありがとうございました」と言われる。で、「どうも」と答える。お姉さんに言われてちょっといい気分になる。あの子だって、この畑や林のどこかに住んで、友達や、恋人と生きているんだと考える。おばさんなら考えないのに。困ったお爺さんだ。

あの子だって、やはりできないことを何とかこなさなくてはならなかったり、人のことで苦しい思いをしているかもしれない。あるいは、好きな人と手をつないで歩いたりしているのかもしれない。それならすてきだろう。きっとそうだろう。

 

あるかないかの風の中を車に向かう。風が硬い。たった30分ほど車で走ってきただけなのに。

私の家は山の近くだ。だからか風は柔らかい。里山の風は幾百万の木々の葉群を通り抜けてくる。海の風は幾百万の波を吹きすぎてくる。

おばさんとすれ違う。子供たちにおいしいものを食べさせてやろうとやってきたのだろう。母がそうしていたように。

遠くはここではない。あのポンポン船の海辺から私が遠くへ来てしまったのだ。母や父や、いろいろな人を置いて。