木枯らし一号
著者 高田敞
「琴音さん入り浸ってるのよ」
とみちこさんが言う。
外はヒュッと北風だ。窓の外で揺れているしゃらの木は、それでも負けずにまだ緑を残している。木枯らし1号になるかもしれないから、これで降参するだろう。
「入りびたりって」
「ヤマさんところによ」
「ヤマさんて?」
私は聞く。どうも人の名前が覚えられない。覚えようとしないのもあるのだけど、覚えてもすぐ忘れてしまう。絶対覚えなきゃって呪文をかけて覚えても、つぎ会った時にはすっかり名前は消えている。困ったもんだ。
「陶芸やってる人よ」
それでも思い出せない。だいたい陶芸やってる人はこのあたりにいっぱいいる。
「わかんないなあ」というと、
「たまにしかこないから、会わないかも」という。
「なんだ」という。いつもの忘れるくせではなかった。
それで紅茶をちょっとすする。そんなに熱くはない。いつもほどほどの
熱さで出てくる。そこはプロなのだろう。
「住み込みで弟子入りしてた女の子が帰ったのよ」
「ふうん」
「変なのよ。20歳そこそこの女の子よ。それを、男やもめの家に住み込みで弟子にする。親も親よ。いくらヤマさんと馴染みだっていっても、自分の娘を置いていく」
みちこさんは憤慨している。
私の前のおばさんはニコニコして聞いているだけだ。何度かここであっている人なのだが、やはり名前がわからない。だから私が少し合の手を入れる。
「やっぱ信頼してるんじゃない」
「だって、ヤマさんもう70近いのよ。女の子も常識ないんじゃない」
「じゃ50歳も違うんだ」とやはり合の手を入れる。
「変でしょ。だから琴音さんも怒ってたのよ」
「なんで」
「だって変でしょ」
「そっかな。男冥利に尽きるんじゃない。俺もまだ望みあるかな」
と鼻の下を伸ばす。
「なに言ってんの、高田さんは奥さんいるでしょ」
と今日は八つ当たりだ。
「そっか二人者はだめか」
「決まってるでしょ」
「その娘さんが帰ってから、琴音さんが入り浸りなのよ。琴音さんはすっごうく怒ってたのよ。変態みたいに言ってたのよ。それが店ほったらかして毎日出かけてるのよ」
「もてる男はいいな」
「それってすごうく変じゃない。」
「変かな」と私は向かいに座っているおばさんに声をかける。でもにこにこしているだけでやはり何にも答えない。かわりにみちこさんが答える。
「変よ。次から次に取り替えて、不謹慎よ。琴音さんだってなに、手のひら返したように入り浸って」
「いいんじゃないの。二人とももうあとはそんなにないんだから」
「年の問題じゃないわよ」
「そうだよな、倫理の問題だよな」
「不謹慎よ」
みちこさんの怒りは収まりそうにない。
「いいんじゃないの、60過ぎたら道徳なんか古着屋に出しちゃうもんだよ」
「違うでしょ。年を取れば身を清くするのでしょ」
「そっか。そうだよな」
「でも二人とも一人身ならいいんじゃない。愛は年なんて関係ないんだから。うらやましいよ」
「久美子さんがいるでしょ」
「そうだ。忘れてた」
みちこさんはやっぱり八つ当たりだ。
風がゴーと鳴って空を過ぎていった。窓の外のしゃらの木が驚いてハタハタ横になびいた。もうすぐ冬だ。琴音さんも、ヤマさんもこの冬は暖かいだろう。年とるほどに寒さは身にしむから、暖かく過ごさなくては。
2014,11,17