メッセージ |
恩返し
高田敞
夏の夜だ。でも、クーラーがうなっているので部屋は涼しい。公民館の20畳ほどの和室だ。そこにお爺さんとお婆さんが7人集まっている。流れ作業で封筒に印刷物を入れている。私は右隣のお爺さんから受け取った封筒に最後の2枚を入れて左のお爺さんに渡す。そのお爺さんが封をして終りだ
「近くに野人塾って看板出してる家があるんだ。そこでこの前、久美子がイノシシを解体してるところに出くわしたんだって」と私は言う。ふうんと誰かが答える。
「久美子は毎朝散歩してるんだわ。太っちゃったから相当気にしてて。散歩してたら、庭の台の上にイノシシがドンとあおむけに置かれてて、みんなで解体してるところだったんだって」
「朝からすごいね」とお爺さんが答える。
「すごいよなあ。久美子が聞いたら、罠にかかってたのを20頭ほど捕まえてきたんだって」
「市の害獣駆除だな」手を休めずにお爺さんの中の一人が言う。
「そう言ってたって。山で捕まえてきたのか聞いたら、このあたりにいるんだって言ってたって。周り住宅街だよ。役場のすぐ近くで」
「そうだぞ。どこにでもいるぞ」と日ごろから、イノシシに悩まされているお爺さんが言う。
「遇ったことないから、イノシシって、山にいるとばっかり思ってた」と私はその時の感想を言う。
「大変なんだから。畑荒らして」そのお爺さんが言う。
「うちの周りで畑荒らされたの聞かないから、聞いてびっくりだよ」と私も言う。
みんなせっせと作業をしていく。3カ月に一回、9条の会の機関誌を発送する。全部で400人と少しに出す。もう何年も続いている。
以前、イラクにアメリカが攻め込んで、日本も自衛隊を送り込んだときに、この会の講演会に行ったのがきっかけで参加するようになったのだから、10年近くになるかもしれない。
日本人がまたよその国に鉄砲を持って乗り込んで、よその国の人を殺すなんて絶対だめだと考えたのだ。それまでは政治のことは選挙するだけでいいと思っていたのだが、やっぱり戦争にだけは反対と手を挙げなければならない、と考えを変えた。役に立つとは思えなかったけど、それだけは、ちゃんと態度を示すことが絶対必要だと思った。ちょっと怖かったけど。
そして、この会に投稿したり、イラク派兵反対の集りに行ったりしているうちに、何となく、この会に入った。
戦争反対とか、政治的なことをしてる人たちだから、きつい人たちなのかもと思ったりしたが、まるで正反対だった。
勤めていたころはさまざまな人がいた。きつい人、根性悪な人、高飛車な人、悪口ばっかり言っている人、出世のためにいろいろ頑張っている人。もちろん気のいい人もたくさんいた。この会は、気のいいお爺さんと、気のいいお婆さんしかいない。不思議なくらいそうなのだ。まあ、何の得にもならないのに、戦争でみんなが苦しまないようにということで、もう、あっちの世界もそんなに遠くないのに、残り少ない時間を割いて面倒なことを時々後ろ指を指されたりしながらやろうという人たちなのだから、根がお人よしなのかもしれない。
「久美子が食べるのと聞いたら、生ごみに出すんだって。勇気がある人は持って帰って食べるけど、放射能のことでほとんどの人は食べないって。だから焼却場に持っていくそうなんだけど、そのままでは焼却場で受け取らないから、解体しなけりゃならないんだって」
「そんな決まりがあるんだ」お爺さんが答える。
「増えるのは鴉と猪ばかりだね」ひとりのお爺さんが言う。
「最近雉の声も少なくなってるよね。前はどこでも見かけたのに、最近は声さへ聞かないものな。どうしたんだろう」
「そうだよな。もうここ1年は見てないな。前は、散歩すると必ず鳴き声は聞こえたし、よく姿も見たのにな」
「狐も見かけないよな」
「狐は見たことないな。狸は見たことあるけど」と私。
「狸はいるよ」とお爺さんが近くの狸の話を始める。
一段落したところで、
「この前、庭に兎が入ってきたよ」と私が言う。
「何色」
「茶色。小さいの。子どもだな」と答える。
「私も見たよ」
他のお爺さんが言う。
「溝の中でうずくまってたから、こうやって助けてやったんだ」
お爺さんは両手でそっと救う真似をする。子供の兎のようだ。
「いいことしたね」誰かが言う。
「そしたら次の日、畑の菜っ葉が、ずっと一列食べられてた」
ハハハ、とみんなが笑う。
「助けるのは、こんどは鶴にした方がいいよ」誰かが言う。兎を助けたお爺さんは奥さんを亡くしてひとり暮らしをしている。
紙の山も、封筒の山もだいぶ少なくなった。こんなことやっても助けた兎のようなのかもしれない、と思ったりする。でもそれは言わない。
年寄りたちの夏の夜だ。年4回だから、この封筒詰めをやるたびに季節が変わっている。4回やると1年が終わる。そして一つ歳をとる。年寄りの1年なんてまたたくまだ。