メッセージ


 入道雲

高田敞


 夕方のローカルニュースの終わりに、放送局から西の空を映した。地平の小さな山並みの上に横に細く長く暗い雲が積もっている。その上の空高く入道雲が一つ突き出している。日はもう山の向こうだけれど、上半分が夕焼けの中だ。

「どれ歩いてくるか」

「それがいいわよ」と久美子がにこやかに言う。いつも私の健康を気遣ってくれているのだ。もちろん、うっとうしいから少し消えたら、なんて思っているわけではない。私が出掛けると言うと、いつも時間を気にして、早くはやくとせかしてくれるのも、私が少しでも早く楽しいことができるようにという優しい心からである。

 今日は午前中にダンスクラブがあったので、もう運動はしたからいいやと、ごろごろしていたから気になっていたのだろう。

 私は、あの入道雲が見えるかな、と思って腰を上げたのだ。ついでに歩ければ歩いてこよう、というくらいのつもりだ。

 夏至を過ぎたばかりだから7時を過ぎているのに空は明るい。家の前は、田んぼの向うの林に遮られて目当ての雲は見えない。そこで、いつものコースを歩きだす。ウォーキングだからもちろん速足のつもりである。少し行って林が切れると西の空が見えた。テレビに映っていたとおりの入道雲が見えた。テレビに映っていたから価値があるとは思うつもりはないが、それでも「やっぱり」とほくそ笑んだりしている。

 梅雨晴れの西の空遠くにぬきんでて二つ入道雲が光っている。もう日が沈んでいるからか、よろめいて力なく斜めにかしいでいる。頂は風が強いのだろう、吹き流されて長く伸び、槍の穂先のように北の空を刺している。

私はそのまま先へ進む。道の両側は一面の田んぼになる。大きく伸びた稲で水面は見えない。その中に夕やみが忍び寄っている。夕凪で葉先も揺れない。暗い緑に沈んでいる。なぜか蛙も鳴いていない。「おうまがとき」だからな、と昔子供に読んでやった童話を思い出す。おうまがときとは魔物に出会う時刻なのだという。向うから、夕やみをまとわりつかせて白髪の老婆がやってくる。私はそれを見てもそのまま歩き続ける。男だから怖くないのだ。

その老婆が、「こんばんは」と挨拶する。いつも会う、ウォーキングおばさんだった。いつだって遇うとニコニコ挨拶してくれる。私もにっこり「おばんかた」と答える。

もちろんそれだけだ。ニコニコしてくれるからといって、立ち止まって愛の言葉を交わしたりしない。世間話もしない。名前だって知らないのだ。

 で、(そうだよな。こんばんは、になったんだよな)と通り過ぎながら思う。

 私がここに住みだしたころは、年配の人はみんな「おばんかた」と言っていた。私はひとり「こんばんは」と言っていた。40年近くたってその人たちはもういない。だから、もう「おばんかた」とあいさつする人はいない。お爺さんもお婆さんも、言わない。「こんばんは」の人たちが40年たって、あの人たちに代わってお爺さんやお婆さんになってしまったのだ。

 あのころは、梅雨になるとどこを歩いてもホタルが飛んでいたなあ、と思いだす。どこの田んぼも、ホタルは普通に飛び交っていた。いっぱい飛んでいるか、少し飛んでいるかの違いだった。花火をすると、その光に誘われてか、寄ってきたりした。庭に飛んできて、闇の中で、明滅したりしていた。

いつのころから見かけなくなったのだろうと考える。農薬の空中散布が始まったころからだから、と思いだしてみるがいつごろかは定かではない。少なくなったなと思う間もなかったような気がする。今はもう町じゅうどこの田んぼにもいない。同じころ、蝗もいなくなったなあ、と思う。来た頃、朝早くおばあさんが休耕田や、畦でうずくまっているのを不思議に思っていた。なにをしているのだろうと言うと、久美子の父が「蝗捕ってんだ」と言った。「朝早いと、露で体が冷えて動かないから婆様でも捕れんだ。小遣い稼ぎだ」と言った。

秋になり、稲刈りの終わった畔を、バイクの横に大きな網をつけて走っている人もいた。やはり蝗捕りだ。田んぼにいた蝗が、稲がなくなったので、あぜ道の草に移動してくるのを、一網打尽にする。それでも一向に減る気配はなかったのに。

久美子の実家にも網の袋に入れられた蝗がつるされていた。糞を出させて、それから佃煮にする。東京では高級でも、ここではおやつ以下だ。

 でも今はいない。見つけるのさえ大変だ。

 栗畑のわきを抜け、保健センターと役場の間を、夕やみに追いかけられながら、腕を大きく振って歩く。「大股でしっかり腕を振って歩くといいんですよ」とこの前保健センターのお姉さんに教わったのだ。でもせっかく大きく腕を振っても、もう退勤したのだろう、保健センターの窓は暗い。花の匂いがかすかにする。くちなしかなと見まわしたが、くちなしはない。かわりに生垣に小さな白い花がいくつも連なって夕やみににじんでいる。あれかなと思ったが確かめずにそのまま歩き続ける。ウオーキングなんだから勢いは緩めない。家の窓に明かりがついた。

 40年近くたったがこのあたりの景色に大した変化はない。この役場が移転してきて、国道のバイパスが近くの林を切り開いて通ったくらいが大きな変化だ。家が数件たち、組内から、3軒いなくなった。跡取りがいなくて、家だけ残っている。どこの家も少し古びたけれど、林も、田んぼも昔と同じだ。小さな変化だ。

私たち二人がやってきて家を建て、二人の子供と暮らし、その子供も東京に行ってしまった。その子たちが私がここに来た時より歳を取っている。そしてまた二人の生活になった。青年だったはずのふたりはお爺さんとお婆さんになった。家もずいぶん古びてしまった。使わない荷物ばかりがやたら増えた。昔からいた人たちも、代が変わり、変わった人たちさえ、白髪になったり、髪の毛が薄くなりしている。見た目は大差ないようだけれど本当は何もかもすっかり変わってしまっているようだ。

入道雲も型が崩れ、光を失って灰色に沈んでいる。夜に追いかけられながら、せっせせっせと歩く。歩けなくなったら捨てるわよと、久美子に言われてるのだ。

 2014,7,1