怒りん坊


     メッセージ

著者 高田敞


「どうしてみんなすぐ怒るの」と陽子さんが言う。

「怒るのがいいことだと思っているからじゃない」と私は答える。

 この前まであんなに記録的な猛暑と騒いでいたのにもうすっかり秋だ。窓をしっかり覆っているしゃらの木の間をくぐり抜けて、風が喫茶店の中にも入ってくる。

 洋子さんが、新聞の投書について話している。なんでも、電車の中で、修学旅行らしい子供たちが楽しそうに話していた。だんだん声が大きくなりだしたので、どこかのおじさんが「うるさい静かにしろ」と怒ったということだ。で、子供たちが静かになったとかいう。その後おじさんが冗談を言って和やかになったのが良かったという投書だったそうだ。

「だって、普通に、少し静かにしてって言えば済むことでしょ」と陽子さんは続ける。

「それで言うこと聞くかしら。厳しく言ったからその子らも聞いたのよ。今、悪いことをした子供を叱れない大人ばかりになってるでしょ。甘やかしてるから、子供が変になってるのよ」とみちこさんが言う。

「その人もそう思ったんだわ。マスコミも言ってるからね。俺は悪いことは悪いと言える大人だから、子供の将来の為にマナーを厳しく教えてやろうと思ったんじゃない」

「怒るのが立派な大人なの」と、陽子さんが言う。

「まさか。ただ、マスコミは怒る大人がいないといって、怒る大人こそ立派な大人だって奨励しているからそれに乗せられてるだけなんじゃない」

「怒るのじゃなくって、叱ったのよ」とみちこさんが言う。

「違うの」

「そうか。マナーを教えるために叱ったんだ」

「私は、その人上役から嫌なこと言われたかなにかで頭に来てて、上役の代わりに、子供に当たったのかしらと思ったわ。投書の人も怒鳴ったのはちょっとと思ったみたい。その後冗談かなんかでほっとしたみたいなこと書いてたから」洋子さんが言う。

「その投書の人みたいに、子供が何しても知らんふりだから、子供は何してもいいと思ってしまうのよ」

「そうだなあ、俺も知らんふりだな。その人はたいしたものかも。やっぱ、子供の将来の為にここで教育しなくちゃって使命感であふれかえったのかも」と茶化す。昔々、クラブの後輩に先輩茶化さないでください、と言われたことがあった。いまだにその癖が抜けない。面倒そうになるとすぐ逃げを打つのだ。

「知らんふりするのじゃなくて、子供の声好きなのよ。子供の声嫌いな人もいるけど、子供の声聞いて嬉しくなる人もいっぱいいるのよ。その人は子供の頃のこと忘れてるのよ。修学旅行がどんなに楽しかったかってすっかり忘れてるのよね。覚えてたら、ついつい声が大きくなるのは仕方がないわよねってにこにこ見てあげられたのにね」と陽子さん。

「でも、それじゃ、世の中のルールがわからないまま大人になるでしょ」とみちこさん。

「そりゃそうだ」と私はもはや逃げ腰である。

「子供は何にでもすぐ夢中になるのよ。それを暖かく見てやるのが大人の役目でしょ。ルールなんて普通の声で教えてあげれば分かるのよ」と陽子さん。

「そうだよな。その人我慢できない大人なんだよ。せっかくの旅行を、自分が静かなのが好きだからって、怒りとばして、子供をつまらない気持ちにさせて立派なことしたって胸張ってるなんて大人の風上にも置けないね。その人こそ、人を怒鳴ってはいけないっていう世の中のルールを知らないんだよ」と私はがぜん洋子さんの肩を持つ。

「でも、公共の場所では静かにするのがマナーでしょ。黙っててはその子の為にならないわよ」みちこさんも負けてはいない。

「マナーか。おれなんかマナー外れてばっかし。怒る人いなかったからなあ」とやはり茶化す。

「マナーって誰が決めるの」と陽子さん。

「マナー屋さんなんじゃない」と私。

「マナー屋さんて何」と、洋子さんの声が少しきつくなる。

「よく、お上品な上流よ、って顔したおばさんがマナーを説いてるじゃない。素晴らしい日本人とか、日本人の作法とか、日本の常識とかいう本書く人たち。挨拶だけ立派で、カッコばっかつけて上っ面が良ければすべてよしって人たち」

「私その人たちあんまり知らないけど。でも、電車の中で、みんなしんとしてて、能面みたいにしてるのと、みんな、にこにこそれぞれににぎやかに話してるのと比べたら、どっちがいいと思う。私は、にぎやかな方が人間らしい列車だと思うけど」洋子さんは鋭く突く。

「そうだよ、マナーとかいうのは心を殺して形を整えるってことだから、能面がベストなんだよ」

「そうよ。あっちでギター弾いてたり、こっちでトランプやってたり、歌ってたり、話してたり、みんな楽しくやってたら、列車飛びこむ人いなくなるわよ」と、陽子さんは過激だ。

「迷惑でしょ、静かにしたい人もいるのだから」とみちこさんは負けない。

「その人は耳栓持って列車に乗ればいいんだよ。その人の為にみんなが話したいことも話せなくて、つまらない旅しなくちゃならないなんてのが、あたりまえなんてのがおかしいんだよ。それに、どうせ、列車の音がうるさいんだから、おしゃべりくらいいいんだよ」と私は、しっかり陽子さん派になってしまった。

「その人だって、慣れればおしゃべりの方がいいと思うわよ。みちこさんだって東京に友達と行くとき、しゃべらずに行ける」

「私は小さい声で話すわよ」

「その人はやっぱり、マスコミが言う、立派な大人は、子供を怒るものだって言う宣伝に乗せられてるだけなんだと思うな。そういう指導は厳しくという考え方がこの前の柔道の暴力指導問題やら、その前の、高校生の暴力指導の自殺を生むんだと思うよ」

「でもそれくらい我慢しなくちゃ強くなれないわよ」

「そうかもなあ、そのあたりはよくわからないけど、体育系の暴力指導の根源は、子供は厳しくしつけなくてはならないということが根源だと思うな。マスコミが宣伝してるから怖い気もする」

「そうよ。子供は自由にのびのびと、民主主義で育てるべきなのよ。その方が長い目で見れば成長するのよ」

「この前、陶芸教室でお婆さんが、孫をはたいたら、『なんではたくんだ、って口答えしたの。親が甘やかしてるから』とか言ってた。孫が、ばあちゃんが悪いって言って婆ちゃんをはたいたら婆ちゃんはどう思うだろってその時思ったね」

「そりゃ怒るでしょ。そんな孫はしっかりしつけないと、駄目なのよ」とみちこさんが言う。

「しつけって、力関係なんだよ。力の強いものが、力の弱いものを自分の思いどおりに動かすためにするんだよ。大人が子供を、課長が平を、部長が課長を、社長が部長をしつけるのさ。その反対は絶対ないんだよ。婆ちゃんが孫に正しいことをしつけてるみたいだけど、そうじゃないんだよ。単に自分が思い込んでいることを,押しつけてるだけなんだよ。さっきの大人も、社長がしゃべってるときにうるさい、って怒鳴れないよ、絶対。子どもだから怒鳴れたけど、こわもてのお兄さんたちだったら、知らんぷりしてるよ。カッコつけて立派ぶってるけど、相手が自分より弱い時だけ怒鳴るんだよ。しつけってそういうものと思うよ」

「じゃ子供ら野放しなの。誰がしつけるの」

「しつけなんかいらないよ」

「みんな自分勝手で、めちゃめちゃになるでしょ」

「反対だよ。しつけは、目上の人が目下の人を自分の思ったとおりに動かすことだろ。相手が強いから言うとおりにしてるだけだから、正しい正しくないとは別の判断基準だよ。だから、そういう人は相手が目下だったらいくら正しこと言ってても言うこと聞かないよ。社長がインチキやれって命令したら、インチキやるよ」

「そんなことないでしょ。しつけられてない人こそ、悪いことを平気でやるでしょ」

「そうじゃないよ。しつけられるというのは、強い人に怒られるか怒られないかが基準になるよ、そのことの善悪を基準にするんじゃなくて」

「その時に、ちゃんと、正しいやり方を教えてるでしょ」

「教えると怒鳴るは違うんだよ。教えるのは、自分の知っていることを伝えるだけだよ。受けては自分で考えて、いいか悪いかの判断材料にするだけだよ。受け取るも捨てるも自由なの。怒るのは違う、絶対服従を強制してる」

「勝手にしたら、言うこと聞かないでしょ」

「そうだよ。だから良いんだよ。自分が判断して、自分が責任を取るってことが一番重要なことなんだよ。ただ怒鳴る人に服従して、自分の判断ができない人間では、大人になって自立できないよ。いつも人の指導ばかり気にして、そのとおりに動く、ロボット人間になってしまうから」

「そんなことないでしょ。正しい事身につけてれば、大人になっても、ちゃんとやっていけるでしょ。自分勝手なことやってたら、いつまでも自分勝手で社会に受け入れられないでしょ」

 窓から、冷たい風が滑り込んできた。ついこの前まで残暑だと騒いでいたのに、もうすっかり秋風だ。

帰りの車の中で考える。厳しくしかるとどうなるか。子供は怒られるか怒られないかで物事を判断する癖がつく。自分より力の強い人の考えを測って行動するようになる。上のいいなりの人間になる。もし、優しく教えると、子供は、そのことがいいことか悪いことかで判断するようになる。目上の人の考えを考慮しないで、本質で判断する人間になる。これでは、上役の、考えを先読みして、上役の気にいることを一生懸命やる社長にとってのいい会社員や権力者にとっての良い国民にはなれない。社長や、総理大臣の考えを先読みして、奉仕する人こそ彼らの望む人間像なのだろう。だから、マスコミは一生懸命厳しいしつけを説いて回ってるのだろう。

いつものように、極端になりがちなことを考えながら、スーパーへ晩御飯の買い物に走っていく。日が短くなった。あっという間に夕暮だ。