メッセージ 



人の口

高田敞

 

 隣の義母の隠居から帰ってきた久美子が「施設でね」と笑い声で言う。

「晴子さん車椅子買ったって、職員の人みんなが噂してるって」

 さっそく、母との話を報告する。晴子は義母の名だ

 朝6時の役場のチャイムがさっき聞こえた。もう日は昇っているのだろうが、空は明るい灰色のままだ。

このところ久美子は早寝早起きで、どうも4時とか5時には起きていろいろやっているみたいだ。私は遅寝遅起きなのだが、今日は五時に目が覚めて、寝なおそうとしたのだが、寝そびれて起きてしまった。

 半分眠ったままいすに座っていると、帰ってきた久美子がそのままのそっと膝に腰掛けてきて「施設でね」と言った。猫なら可愛くて軽いのだがと思ったが、重くても、なついているから可愛いかわいいと撫でなでしてやった。春から、私も庭仕事やウォーキングや老人体操やダンスに精を出しているから、久美子にのっかかられても骨が砕けることはない。

「そりゃお母ちゃんが言いふらしたんだわ。絶対、だれか来ないかだれかこないかって待ちかまえてたんだよ」と私も笑う。

「娘さんに朝散歩に連れて行ってもらえるわね、って言われたから、朝は起きられないから駄目だって言ったんだって。それじゃ夕方ねって言われたって。いっつも夕方行かなくちゃだめになっちゃった」久美子は笑う。

「そうだわ、昨日散歩に連れてってもらえた、って、行くたびに聞かれるわ」と私も笑う。

「たいへん」とうれしそうだ。

 車いすを買うことにしたのは、家にいるときは、歩けないので、一日中椅子に座ったりベットで寝転がっているだけだから、少しは外に連れ出したいということで久美子が言いだした。介護保険でリースをしようとしたのだが、介護度が低いので、リースはできないということだった。歩けないけれど、他の病気がないから介護度が低いのだという。

 それで買うことにした。先週の終りに業者が見本を持ってきたので、一緒に見て選んだ。

「お母ちゃんは、今日かな、今日かなって毎日言うの。木曜日って教えるのに、また、今日かなって言う」とぼやいていた。

「家にいるときはひとりで何にも出来ないし話し相手もいないし、何も変化がないからそればっかり考えてるんだよ」と私は言った。

 

「昨日は牛久の大仏を見てきたんだって」

 久美子は私に持たれたまま麦茶を飲む。

「中に入ったのって聞いたら、外から見ただけだって」

私は、ふんふんと聞いている。

「それから県庁を見て帰って来たって。途中、高速のサービスエリアで休憩してお土産買ったみたい。本当は買っちゃいけないて言われてたみたいだけど、いいわよいいわよって、こそこそ言って買ったみたい」

「なんか小学生の遠足見たい。みんなでやれば怖くないだ」と私は笑う。

 施設はお金は禁止みたいだ。いろんな境遇の人がいるので、差別が出ては困るということで、家から何か持ってきて人にあげることも禁止だと以前聞いた。でも、お母ちゃんはそんなことは無視して、ちゃっかり物は持っていって人に上げるわ、禁止のお金も持っていくわで、元気いっぱいみたいだ。今のところ楽しみはそこしかないのだから、いっぱい楽しめばいい。

「みんなで楽しかった楽しかったって言ったら、職員の人が、あんまり楽しかったって言わないでくださいって言うんだって。本当は、工事で施設が使えないから休みにしたのに、家にいられなくて休めない人たちだけに限定して連れ出したのだから、楽しかった話をしたら他の人が面白くなくなるかもしれないって言うんだって」

「そりゃそうだ。でも無理だね。絶対今日の朝のうちにみんなに広がってるよ。相手がお母ちゃんだよ。おかあちゃんの口に戸を立てるなんて、天岩戸を閉じるようなものだよ」

「ほほ」と久美子が笑う。

で、報告が終わったのか、ヨッコラショ、と立つ。

「ごはん食べる」

「ううん、まだいい」

 窓の外の空は白いままだ。昨日の予報では夏日になると言ってたから、これから晴れてくるのだろう。この前日本中に大雨降らせたから梅雨も一息入れたいのだろう。