雑談目次 


人の道

著者 高田敞


 テレビをつけ何気なくチャンネルを回していると、徳光さんの四国遍路の番組が出た。

 愛媛のどこかのお寺でお坊さんと話していた。四国のお寺や、歩く道を映さないかなと見ていた。

 昔の人は、人の道をおいかけていた、今の人は、金や地位を追いかけている、という昔のお坊さんが説いたという話をしていた。なるほどなるほど、と聞いていた。寺の地域にあるタオル工場に場面が変わったのでチャンネルを回した。

 日曜の朝からテレビのチャンネルを回せるのは、退職老人と、朝日新聞の漫画の、「ののちゃん」のお母さんくらいかもしれない。

 北海道の画家の話をしていた。昔の人らしく、苦労したらしい。その中の、一枚の絵を、紹介していた。魚や、果物や、じゃがいもやがどっさり描かれていた。

 その画家の娘さんなのだろうか、それについて話していた。声だけで、姿はないけれど、しっかりおばさんの声だ。

 「うちにこんなに食べ物はなかったですよ。魚も果物も。そう、じゃがいもはありましたね。あったのはそれだけですね。食べ物がいっぱいあればなあ、という強い願望が書かせたのでしょうね」

 そうかそうかと思う。人の道もいいけれど、衣食足りて礼節を知るだよな、と。

 先日、知り合いの慶応ボーイに勧められて学問のすすめ、という本を半分読んだ。福沢諭吉の書いた有名な本だ。文語だから言語音痴の私は意味を取るだけで四苦八苦だった。

 「人の上に人を作らず・・・」の名文句は子供に説いているというのは読んで初めて知った。考えてみれば、確かに、大人が勉強しなさい、と説くのは子供にである。

 それによると、生まれたときはみんな同じなんだよ。違いは、世に役立つことを成し遂げる人になったか否かで差がつくのだよ。そのためには学問をしなければだめですよ。学問をしたかしないかで大きな差ができるのだよ、というようなことを述べていた。それも、それまでの漢学者のような机上の学問じゃ駄目です、実学を学び、実際に役立つことをして、豊かになることが学問の目的なんですよ、みたいなことだった。

この本が出たのは明治6年と書かれてあった。数年前はまだちょんまげの時代だ。西洋文明と産業を見聞きした福沢諭吉は、その素晴らしさに、これは頑張らなくちゃ、と思ったのだろう。意気込みが感じられる。西洋との差に、まいったと手を上げるのではなく、素晴らしい、俺たちもああなろうと、希望に目を輝かせているところが彼のすごさなのだろう。

確かに実学は大切である。そのおかげで、大きな工場も立ち、米もたくさん取れ、飛行機も飛ぶようになった。食卓にはじゃが芋以外のものがいっぱい並ぶようになった。文明の豊かさは大切である。

 でも、それだけでいいのだろうかということも思う。床屋は、いかに上手に髪を切るかに専念すればいい。百姓はいかに良い野菜を作るかに専念すればいいということだけでいいのだろうか。と思う。もう少し贅沢をいってもいい世のなかになったのではないだろうか。落ちたとはいえ、世界第3位の経済大国である。腐っても鯛である(?)。

 今、たくさんの人たちが、「働けど、働けどわが暮らし楽にならざり」の世界になっている。知り合いの弟は、過酷な職場で精神を病み、自殺してしまった。親戚も、二人も過労で倒れた。一人は帰らぬ人になり、一人は復帰不能になった。昔は、ニュースの中のできごとだったことが、今は身近に起こる。仕事が人間の上になってしまった。その上に金がある。金が神様である。そして、その金は、金のあるところに流れていくシステムになっている。勉強すれば偉くなるのだよと説いた福沢諭吉も、それが、金持ちの下働きの良き資質にしかならない世のなかになるとは想像もつかなかったろう。競争は必ず勝ちと負けを生む。弱肉強食の世界を生んでしまう。ライオンは、必要な餌しか取らない。しかし、人間は、ライオンになったら果てしなく奪う。いや果てしなく奪う人間がライオンになれるのだから、とどまるところはないのだろう。残念だけれどあらがうすべはないのかも。