春に向けて
田 敞
「こんにちは」と後ろから声がする。振り返ると、犬を連れたおばさんが道に立っている。
私は、使い古したふろ用の椅子に腰かけて花の植え替えをしている。アスファルトを張っただけの青空駐車場で、道路に背を向けて座っていたから、首をねじって横目で見た。首も、身体も手術であまり捩じられないので、誰だかよく見えなかった。知らないひとのようだから、「こんにちは」と挨拶を返しただけで、また花の植え替えに戻った。すると、ややあって「何植えてるの」と声がする。もう行ってしまったと思っていたので、驚いてよく見るために今度は立ちあがって振り返った。
「ああ、坂本さん。分からなかった。ごめん」
「マスクしてるから」
「それに逆光だし顔分からなかった」
夕日を背に立っていたのは坂本さんだ。病気をしたとかで犬の散歩は妹とか近所の人がやっていると聞いていた。それより、以前はけっこう太っていたのが、今は普通の体形になっているので、かなり小柄に見えたのでちょっと見ただけでは分からなかった。
「春の花。これパンジー。そっちのはアグロステンマ。きれいな花だよ」
「来年の花を今から育てるの」と聞く。
「春の花は、9月に蒔いて咲くのは3月から。けっこう手がかかるんだ。夏の花は、4月に蒔いたら6月には咲くからあっさりなんだけどね」
「ずいぶん先ね」
「パンジー以外は冬眠するから」そして、「体調はどうなの」と聞く。
「この前抗癌剤やって、しばらく入院してて戻ってきたところなの」
「抗癌剤って苦しいんだろ」
「そう。でもこの前はそれほどでもなかった」
「そう良かったじゃない」と言おうとしてやめた。
やはり癌を患っていた母のことを思い出す。薬は苦しいほど効いているという話を聞いたからだ。ほんとうかどうかは定かではないけど。
「今回は後2回残ってるの」
「まだ2回やるんだ。大変だなあ」
「病院と行ったり来たりよ」
彼女は去年旦那さんを無くして、今は一人暮らしをしている。家で療養するのも大変なのだろう。
「仕方ないもんな、やることやって治さないとな」
「苦しくてもね、生きたいもの」
「そうだよ、長生きしなくちゃ」
「このまま死ぬなんて悔しいもの。楽しいことしたいもの」
「そうだよ、楽しく生きなくちゃ」
犬はおとなしく腹ばいになってあちらを向いてる。何年も前、まだ子犬だったころは、通りがかった時は、にこにこ体中で尻尾を振って手を舐めに来たものだが、今は知らんぷりだ。そのころは彼女も元気で家の前もよく通ったものだ。
彼女は、以前よりは褪せたが、病気やつれという風ではない。頭を隠すためにすっぽりかぶっている帽子以外は普通だ。それも知っている人以外にはわからない。
「コロナ終わったらみんなで御茶しましょ」
「そうだね。ほんと早くコロナ終わらないかな」
「手を止めてごめんなさい」と言って歩きだす。犬もすっと立ってついて歩く。
退職したころ、毎日犬を連れて1時間ほど散歩していた。ときどき、田んぼの向こう遠くに犬を連れて歩いて行く坂本さんの小さな後ろ姿を見かけた。私はずっと手前で引き返していた。私より二つか三つ年上のはずなのに強いなあと感心したものだ。
そのときの犬は大きな犬だった。今はちいさな犬だ。彼女は杖をついている。私ももう遠くへは歩けない。電信柱を3本も行くと戻ってくる。それが還暦からの15年だ。私も大きな手術をやったけど、幸い命にかかわることではなかった。それ以外は結構やりたいことをやってこれた。彼女はどうだったのだろう。夫の看病に疲れたのだろうか。死を否応なく突きつけられて、せめて最後に、と思ったのだろうか。でも、楽しいことなんか願ったってそう手に入るものじゃない。悔ばかりが残らなければいいのだが。でもうまくやるだろう。伊達に生きてきたわけじゃないのだから。
私はまたパンジーの小さな苗をポットに植えかえる。
パンジーは店頭にはもう花つきの苗が出ているけれど、私の苗はやっと2センチほどだ。でも、来年の3月になれば咲きだす。他の花も、4月には咲き誇るだろう。そのとき、犬を連れて通りがかり、「きれいね」と言うだろうか。そうならばいい。
私はどうなのだろう。病気をしなくても後15年生きられればかなりいい方だろう。退職してからもう18年過ぎている。早いものだ。時はますます加速度をつけて通り過ぎている。今年も始まったと思ったら、もう後二月半しか残っていない。たぶん残りも夢の間に過ぎるのだろう。夕日が背中に温かい。庭の紅葉が色づくのももうすぐだ。