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歩く


田 敞


「こんなん見てると、また歩きたくなるんだよな」

NHKの番組、「心たび」を見ながら隣で本を読んでいる久美子に言う。田んぼや畑や点在する家の見える細い田舎道を自転車で走っている場面だ。

「こもあたりと言っても通じるわよ」

チラッと見て久美子が言う。

「たしかにこの辺の道だわ。日本中どこいってもたぶん同じ景色だよ。だから、必ず地名の入った看板や道路標識映すんだと思うよ。ほんとは行ってないんじゃないというクレーム来るんじゃない」

もう何年も同じやり取りをしている。それでも、その時間がくると、久美子はよく、「心たび」にチャンネルを合わせてから本を見る。

 久美子はこの番組を見ない。生まれてから70年間も暮らしている景色とほぼ同じ景色の中をお爺さんが自転車で走っているだけなのだから退屈なのだ。久美子は刑事コロンボを楽しみにしてる。私は刑事コロンボは見ない。久美子が見始めると、風呂に入ったり、パソコンを打ったりしている。犯人を追い詰めていくあのいやらしさが性に合わないのだ。コロンボは夜の放送だが、昼間のテレビは、韓国のものか、チャンバラか、サスペンスだ。チャンネルを回すとどこかで必ずサスペンスをやっている。で、久美子が読む本がない時は2人でサスペンスを見たりしている。あんまりハラハラドキドキするのは見れないけれど、適当なのは見ている。激しい運動ができなくなったように、精神的な面でもあんまりハラハラするのには耐えられなくなっている。歳だ。

 

「もう歩けないからな。そこまでも歩けないんだからやんなっちゃう」と久美子が聞きあきているいつもの愚痴だ。

 過去に3度88カ所遍路に四国へ歩きに出かけたが、後の2回は4日目の最初の遍路返しであえなく敗退した。情けないことだ。

「もう来なくていいって言ってるのよ」と久美子が言った。

そのとおりかもしれない。ただ、今は疑惑がある。母は、毎日仏壇にお参りをしていた。弟も車で四国遍路に行ったと言っていた。その二人が癌で60代で逝ってしまった。

 信心なんてそんなものなのだろう。私も、行った後良くなったこともあったし、良くなかったこともあった。それら、良いことも悪いことも行かなくても起こっていたことだとも思う。行って助かったこともあったけれど、それらは、弘法大使とは関係ないことがらだろう。そう、あの歩いた日々が懐かしいことは私の問題なのだ。田舎道を一人とぼとぼ歩いた。お爺さんやおばさんや、若い人たちとも歩いた。それらが懐かしいのだ。 

 「楽しみながら歩くんだよ。いろんな名所があるんだから、寄り道していきな」と、脇の道からひょいと現れたお爺さんが言った。寄り道してきたらしい。徳島の途中から、室戸岬の突端を回って岬の途中まで後になり先になり時々顔を合わせていたお爺さんだ。でもそんな余裕はなかった。歩くのさえおぼつかない状態だった。よく寄り道してこれることと思った。寄り道していても私と同じペースなのだ。よほど足が強いのだろう。どう見たって私より年上なのに。

土砂降りの雨の中、やっとたどり着いた小さな民宿であったのが最後だった。私が次の日行くことにしている山の上のお寺にすでにお参りしていた。その後は合わなかったから、その半日の行程を追いつけなかったのだろう。どこだったか、徳島か、高知だったか、ハリセンボンという魚、みやげもの店なんかでふぐ提灯にされてる魚が干からびて道端に落ちているのをよく見かけた。不思議に思っていると、嵐のとき波にもまれて膨れて、そこを風でこっちまで飛ばされてくるんだよ、と教えてくれたのはその人だったか違うお爺さんだったか。もう定かではない。遍路のお爺さんはたくさんいた。たいがいみんな元気だった。若者より元気いっぱいだった。地元のお爺さんにも世話になった。困った時はひょいと現れて助けてくれた。

 今コロナで、社交ダンスもエアロビも自粛だ。読み聞かせも、今年は代表者の当番だから打ち合わせには出るが、実際の本読みには行かない。盆栽と花の世話がほとんどだ。

 ときどきは足を鍛えなくちゃ、と歩きはじめるのだが、電柱3本ほど行くと膝が痛くなり始めるので引き返してくる。これでは四国は遠い夢だ。やはり、もう来なくていい、花の世話でもしてろということなのだろう。

 もう歩けなくなった私や、仕事や家事やいろいろな事情で歩くことができなくなった老人や、思うだけで出かけられない出無精の人たちの夢が、60歳ごろから走り出して、今70歳を越えても走っている彼の姿に重なっているのだろう。ぜいぜいと息を切らして休み休みそれでも楽しく坂道を登っていく姿が、時に軽トラを捕まえて乗せてもらう姿が、決して強くはない人生を歩んできたお爺さんやお婆さんの分身なのだろう。