ひよどり
著者 田 敞
今年もヒヨドリが旅立ったようだ。
今年はいつもより1週間ほど早くからヒヨドリが騒ぎ出した。庭で追いかけっこをするのだ。たぶん縄張り争いなのだろう。
いつもは庇の中まではやってこないのだが、サッシの真ん中の桟に飛んできてつかまって顔を見ていく。
「別れの挨拶に来てんだ」と久美子に言う。
それにつれて、バナナの減り具合が遅くなっていった。早い時には10時くらいには無くなっていたのが、午後まで持つようになり、やがて残るようになった。
ある日、とんがったくちばしの跡が二つちょこっと付いていて、バナナは次の日まで残っていた。もうみんないっちゃったんだなと思っていたら、庭にヒヨドリが飛んできて鳴いた。まだいるのかと思って、新しいバナナを置いてやった。でも、そのバナナは手もつけられず次の日も次の日も残って黒くなっていった。その後もヒヨドリはときどき庭に来るし、近くで鳴いているのが聞こえる。しかし、バナナは食べない。
冬中庭にやってきてバナナを食べていたヒヨドリは、いつもの年のように北に旅立ったようだ。新しく来たヒヨドリは、このあたりで夏を過ごす。バナナには興味がないようだ。だからあまり庭には来ない。来るのは夏、水飲み用の皿で水浴びをするときだけだ。それと、ブルーベリーの実がなるとすぐさま茂みに潜り込んで実を食べる。こちらが実を摘みだすと、近くでギャーギャーと怒る。自分のだと思っているようだ。
もう何年になるだろう。バナナを置き始めたのは退職して間もなくだったと思うから、もう10年は超えているだろう。毎年同じパターンを続けている。テレビで以前関東のヒヨドリが北海道に渡って夏を過ごすというのを見たことがある。庭に来ていたヒヨドリも、北海道まで渡っていくのかもしれない。秋北海道から津軽海峡を本州に渡ってくるとき鷹がそのひよどりを狙っているのをテレビで見た。うちのヒヨドリもその難関を突破してきたのだろうか。何年も何年もよくくぐり抜けてきたものだ。
ここにバナナがあるのを知っているのだから、毎年同じ鳥が帰ってくるのだろう。それとも何代にもわたって子に孫にと伝えているのだろうか。何羽もが入れ替わり食べに来ているようだから、たぶん北海道で子育てをして、連れて来た子に教えているのだろう。
秋やってくると、庭で大騒ぎをする。バナナの催促なのか、挨拶なのか。まだ他にも餌があるだろとほっておく。柿の実を食べたり、マグノリアの実を食べたり、棕櫚の実を食べたりしている。でバナナをやると、バナナには目がないのか、毎日、あっという間に食べてしまう。
南天の実や万両の実を食べてしまうと、もう北風ばかりだ。だから寒い中でほころびている蝋梅の花をつついて久美子に叱られる。少し暖かくなると椿が咲きだす。木瓜が咲きだす。飛び回って花にくちばしを突っ込んでいる。ほころびだしたマグノリアの蕾の先をつついたりしてやはり久美子に叱られる。そのときだけは、メジロも顔を出す。花から花へ大忙しだ。
そして庭は葉っぱだらけになった。梅の枝なんかもう40センチは伸びている。黒々として5月の日を浴びている。
「雀も、ヒヨドリも冬じゅう肥料撒いてたから育ちがいい」
「え」と久美子。
「毎日、何百も糞していくから6カ月だといっぱいだよ」
「ほんと」
鳥が梅の葉蔭に飛びこんだ。
「ヒヨドリ」
「たぶん。よそから来たやつだと思う」
そして枝をゆすって飛び立った。
「あれって恐竜なのでしょ」と久美子が言った。
「そうみたい」と、私が言う。
「かわいくなったこと」
「生きものの歴史は弱いものが生き残るんだって誰かが書いてた」
「そう」
承服できないという声だ。
「小さくて、他の恐竜に追い回されて仕方なく空に逃げた恐竜が鳥になって今に生き残ってるみたい。ゴジラみたいに大きくて怖い恐竜が滅びて、恐竜の中で一番弱かったのが生き残ってるといえそう。哺乳類だって、弱っちくて小さなネズミみたいのが恐竜時代を生き伸びて今繁栄している哺乳類の祖先になったし。そんな例はいっぱいあるって」と適当。
「そう」
やっぱり承服していない顔だ。たぶん強い人が天下を取ったり、権力者になったり、社長になったりして、偉くなっているからだろう。旦那が、年金じいさんで細々と生きていて、花なんか作って喜んでいるのを横目で見ているからだろう。人生もう少し何とかなるはずだと思っていたのかもしれない。そうは問屋がおろさないのだ。
「ライオンは強いけど、数はシマウマやヌーやウサギやネズミの方がずっと多いから、見てくれはライオンが繁栄しているようだけど、本当に繁栄してるのはライオンじゃないかも」
「でもシマウマはライオンの餌よ」と言いたいだろう。
冬じゅう群れていた雀はもうほとんど寄りつかない。今は夏のヒヨドリがちょこっと寄っていくだけだ。来ても、茂った梅やマグノリアやボケやいろいろな葉に隠れて見えない。庭は静かになった。