げたさん
田 敞
「やあ」
塀の向こうから突然現れた人が大きな声で言う。
「わ、びっくりした」
げたさんと鉢合わせした。彼はいつも大きな声だ。
生垣の南側に、義父の駐車場に行く舗装した細い私道がある。義父がなくなった後、そこは日当たりが良いので、一部にプランターを二十ほど二列に並べて花を植えている。そのほかにもいろんな鉢植えがいっぱい並んでいる。四、五十はあるだろう。
そのプランターに、夏の花を植えようと苗を運んでいたら、道路を自転車でやってきたのだろうげたさんが、塀の向こうから突然現れた。
げたさんとは娘が同級生の縁で知り合った。私と同じように退職後やることがなくなったのだろう、図書館でよく顔を合わせているうちに話すようになった。
彼はこのあたりをいつも自転車で走り回っている。人がいると止まって話をしていく。
「よくやってるね」
自転車から降りて言う。
「なんとか。植えとくと花が咲くから」
「なんだって育てるのはいいことだ。楽しみだからな」
「よく走ってるな。俺は、電動だ」
「三台あるんだ。折りたたみ二台と、これと」
子供用の自転車みたいな車輪の小さな自転車だ。
「走らないとダメになるから順に乗ってやってるんだ。これはギアーがそのままだから、ちょっと重いんだ。このごろは力がなくなってな」
「おれも同じだ。やろうと思っても体が嫌がるんだよな。これだって植え替えてやろうと思っていて、もう一ヶ月は経ってるもんな」
「なかなかなあ。体が嫌がってもそこを頑張るといいんだぞ。酒飲むかい」
突然話が変わる。
「いや、もう飲めない」
「そうか。俺も飲まない。旨くなくなってな」と、元気がない声だ。
「そうだよな。コップ一杯を持てあまして、半分になって、三分の一になって、今は飲む気がまるでない」
「年だよな。聞こえる?草刈りやってる。小林さん」
また話が変わる。彼は変わり身が早いのだ。耳を澄ましたけれど、聞こえるのは、道路のすぐ向こう側にある田んぼに水を送るポンプ小屋の音だけだ。
「今、話してきたんだ。頑張ってるよ」
げたさんは彼女とも立ち話をしてきたみたいだ。
「あそこも広いから大変だよな。彼女も一人になったからな」と私。
「うん。そうだよな。そろそろ一年になるか」
「それくらいになるか。このあたり一人もんばっかりだよ」
「そうかみんな年取ったからな」とげたさん。
「年取ったっていっても、小林さんは俺より二つ上くらいだよ。癌だったからな」
「ああ、癌だったんだってな」
「このあたり死ぬのはほとんど癌だ。今も、治療中の人だらけだよ」
「二人に一人の時代だからな」
「このあたりは三人に二人くらいじゃない。コロナなんて目じゃないよ」
以前は葬式はみんな私たちの親の代だった、それがいつの間にか、同年輩ばかりになっている。昔、組をやっていた仲間は、今は連れ合いを亡くしたり、病気になったり、奥さんを亡くしてからどこかに行ってしまったりで。二人でいるのは少数派になってしまった。
「彼女はおれの一級上だよ」
「そうなんだ」
といってもげたさんの年は分からない。同じくらいだろうくらいにしか考えていない。
「彼女は一人暮らしだからな。これから大変だよ」
「息子がいるだろ」げたさんが言う。
「ああ、でも近くじゃないんじゃない。盆には子供連れて帰ってきてるけど普段は見ないからな」ひとんちのことはあまり興味がないから、近所でも知らない。
「たいがい子供夫婦がいるけど、そうでないのも結構いるからな。うちなんかもそのうち、どうしようもなくなるな」と私。
「先のこと心配してくよくよしてもつまらんぞ。今元気なんだからそれを活用するのがいいんだぞ」とげたさん。
「そうな。好きなことやって楽しくやらなくちゃ。後はいくらもないんだから」
「そらまた先のこと考えてる。じゃ、行ってみるから」
げたさんは自転車にまたがりゆっくり走り出す。以前はギュンと走り出していたものだが、今日は出だしで少しふらついた。今は図書館も貸し出しだけで、長居できないから、ああやって自転車で走り回って、であう人ごとに話かけているのだろう。コロナなどどこ吹く風だ。
いつの間にか世代が変わっている。もう息子たちの世代になっている。いつまでも若いつもりでいるけど、みんなすっかり古びてしまっている。
風呂で使っていた古い椅子に腰かけて、ひょろひょろに伸びて倒れているパンジーを抜いては、鶏頭の苗を植えていく。梅雨の雲越しの薄ぼんやりした光は、それでも背中に暑い。
こんな昼日中に花植えをしていられるのだから、今が一番のんびりかもしれない。網を構えてヤンマを追っていた夏休みだって、背中に宿題の影があった。出来ない仕事に追われていた日々も遠い昔だ。今のところ背中にはなにもない。ほんの一時の安らぎかもしれないけど、歳を取るのもいいもんだ。