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 小春日和

 

 久しぶりにみちこさんちに行った。半年ぶりだろうか。いや、1年は行っていないかもしれない。忘れてしまっているくらい前だ。喫茶店を閉めてからどれくらいたつだろう。それさえ定かでない。月日は過ぎて行く春風のように消え去っていくものなのだ。いや、ただ、物忘れが多くなっただけか。

 みどりさんからメールが来た。「明日みちこさんちに行くからお茶しない」というものだった。大喜びで、「いくいく」などと返信した。

 で、3人でおしゃべりした。といっても、超おしゃべりなみちこさんと、おしゃべりなみどりさんを前にしては私の出番は相槌をうつくらいが関の山だけれど。私の役割なんてのは刺身の妻というところで、だいたいそんなもので。

 なぜ集まったかというと、みちこさんが病院で、なんだかだ言われた後、なんだか聞いたことのない病名を言われたので、それをネットの達人のみどりさんが調べようということだそうだ。そういえばこの前来た時も、やはり、みちこさんの病気について調べるためだった。どちらも私はまるで関係ないのだが刺身には妻が必要だからなのだろう。

 「お腹は変だし、食欲はないし、吐き気はするし、父も、お姉さんも癌で亡くしてるでしょ、てっきり胃癌だと思ったのよ。それで医者行ったら、これは癌ですって言われたのよ。でも調べたら、結局違ってて変な病名言われたのよ。怖くなるじゃない」

みちこさんが病気について説明してくれた。

「医者って大げさに言うんだ。俺も、絶対癌だって百回くらい言われて、手術の手順まで説明されて。ほんとまいったよ。手術までひと月くらいあったから兄弟に会いに行ってきたよ。そしたら、癌細胞はありませんでしたって。あの騒ぎはなんだったんだって。まあ、騒ぎだけで済んでよかったけど。みどりさんの旦那さんも言われたんだろ」

 ひと月ほど前、偶然スーパーであったとき「夫癌なの」と言っていたみどりさんに聞いた。

「そう。99パーセント癌だって言ってたのよ」

 言いながら、持ってきたパソコンに病名を打ち込んで検索している。

「あら、出た。簡単よ。一番最初に出てた」

「えっと」と言いながら見ている。みちこさんは後ろに行って覗き込んでいる。私は、向かいに座ったまま動かない。このごろ足が弱くなって立つのがおっくうなのだ。

「食道のヘルニアで、加齢によって起こる、ですって」みどりさんが読み上げる。

「なんだ、いつもの加齢か」とわたしは相槌を打つ。みどりさんは続きを読んでいく。なんだかよくは分からない。で、結局、「要経過観察、ですって」と締めくくる。

「お医者さんも経過を見ましょうと言ってた」とみちこさん。

「怖い病気じゃなくってよかったじゃない」とわたし。

「年取りたくないわね」とみちこさん。

「70になったから仕方はないわよね。腰は痛くなるし、歯も3本入れ歯にしたのよ。毎日歯を磨くように洗えばいいんだから、ってお医者さんは言うのよ。確かにそうなの、別に面倒じゃないし」

 みちこさんは何でも明るくとらえる。

「おれも、この前から、奥歯がしみるから、行かなくちゃと思っているんだけど、めんどくさくて」

「早めに行った方がいいわよ。痛くなるから」とみちこさん。

「みどりさんち結局どうだったの」と、みどりさんの夫のその後を聞いてみる。

「細胞とって検査したら、癌細胞は出なかったの。だから大丈夫」

「良かったじゃない」

でも、みどりさんは良かったとは言わない。

「それで単身赴任切りあげて、うちから通ってるの。月曜から金曜まで、6時の電車で行くから5時起きで弁当作ってるの。帰りは8時。大変よ」

「5時起きで弁当作りか。みどりさんもまだ働いてるんだろ」

「そう。服は脱ぎっぱなし。夫は、家事やらなくていいようになったら楽になったって言っているの」

「ほんとまあだね」と言ってみる。

「うちの息子は、朝、子供の朝ごはん作って、並べて置いて、自分も食べて、それから出かけるのよ。嫁さん寝てるから」

みちこさんは得意の嫁さんの悪口だ。

「だめな男もいるし、ダメな女もいるから」と、脱ぎっぱなしの自分を棚に上げる。

「ひとりになったときの計画立ててたのに、おじゃんになっちゃった」

 みどりさんが言う。

「5年後未亡人になるつもりだったのよ」みちこさんが笑いながら補足する。仲良しだからしっかり相談してたのだ。

「未亡人の計画立ててたんのに、おじゃんになって、それで、ストレスで、円形脱毛症が再発したの。美容院の人が教えてくれたの」といって、髪をかき分けて、向こうを向いて見せてくれた。頭のうしろに指の先ほど丸く禿げているところがある。

「夫が帰ってきて、自由はなくなるは、毎日世話しなくちゃならないはだ。踏んだり蹴ったりなんだ」とわたし。

「そうでしょ」

「でも、毎日添い寝できるからいいじゃない」

みどりさんはニコニコ返事しない。替わりにみちこさんが、

「よけい大変なだけでしょ」と応える。

「お肌つやつやになってるし、一段ときれいになってるし、若返ったよ」と私は言う。こりゃ完全なセクハラだ。

 でもみどりさんはとっても嬉しそうなのだ。

「後釜狙ってたのになあ。残念」

「あなたにはくみこさんがいるでしょ」みちこさんにたしなめられた。

「そうでしょ。くみちゃんがいるでしょ」みどりさんも言う。

「のしつけて誰かに出しちゃう」

「下取り」みどりさんがニコニコ言う。

「だれも引きうけてくれないか」とわたし。

「分からないわよ。もういたりして」みちこさんが言う。みちこさんは時々辛辣なのだ。

 

 誰か学者が言っていた。雌雄がなぜあるのか解けぬ謎なのだ、と。雌だけだと、全部が子孫を残せる。ところがオスが入ると、半分は、子孫を残せないむだ飯食いができる。大きなデメリットである。非常に効率が悪い。そんな仕組みが自然淘汰の中でどうして5億年もの間生き残ってきたばかりか、かえって繁栄しているというのが謎だそうだ。

 そんなの簡単だ。ただ自分が二つに分裂するだけでは何の喜びもない。いっぱい温め合って子どもを作るのはとっても喜びなのだ。いっぱい温め合った生きものほど子どもを残したからさ。だから、人だっていつも温め合おうとするのさ。

 今年もいつまでも暖かい。11月になっても、毎日小春日和で、窓の外はまだ緑だ。爺さんも婆さんも陽だまりの小屋で元気いっぱいだ。