雑談目次 | ゆうべ | 鈴虫 |
百合
田 敞
「百合がこんなにパックリ開いて、見てみてって咲いてるね」
外から庭を通って帰ってきた久美子が言う。
「うんすごい。パンツはかせなきゃ」
ぼんやり見ていたテレビから目を移して言う。久美子は「えっ」て顔をしている。
「ファーブルは、女学校で、おしべとめしべの話をして、先生くびになったんだよ」
まだピンとこない顔だ。
「虫の交尾じゃないんだよ。花粉がめしべについて種ができるという話だよ。たったそれだけなのに、それを聞いた親が騒いで首になったらしい。フランスだよ」
「フランスはお上品なのよ」と久美子。
「芸術の国だもんな。ファーブルは仕事がなくなって苦労したみたい」
「かわいそう」
あんまりかわいそうという顔ではない。
「日本だと、小学校で教えてるのにな」
「花も恥じらう乙女たちだからよ。小学生なら何も分からないけど、女学生はおしべとめしべの意味が分かるから顔赤くしたのよ」
「日本の方が進んでいたかも。知り合いが話してたけど、離島に赴任した女性が、夜ばいにあったって言ってた。それが許されてたんだから昭和だよな」
「昔はおおらかだったのよ」
「いまはもっとおおらかだったりして。知り合いの女の先生が言ってたけど、小学校の高学年になると、女の子がセックスのこと聞いて来るって。週刊誌では合コンだ出会い系だなんて花盛りみたいだし」
「だめよ、そんなところに電話したら」
あっさり釘をさされた。
庭に、赤と、白と、黄色の百合が咲いた。去年は黄色が咲く前に虫が茎の中に入ってさっさと倒れて咲かなったが、今年は虫にやられずに咲いている。特に黄色は大きくてふっくらと咲いて、周りの木の緑の葉の中で光っている。
百合は山百合から改良されたオリエンタル系と、透かし百合から改良されたアジアンテック系がある。オリエンタル系は、山百合の香りが特徴だ。アジアンテック系は、香りはないけれどさまざまな色が鮮やかだ。二つの種は本来花粉をつけても種ができないのだけど、今は、バイオテクニックで無理やり交雑させてしまう。あの花嫌いなんて言ってられないようだ。その結果、鮮やかな黄色で、山百合に似た花型の花が咲いたり、透かし百合の花型で、香りが山百合だったりする。まあ、昔の政略結婚だ。今でも、それはあるか。好きになる条件に、収入や、勤め先や、学歴や、顔や身長や体重が大きくかかわっているようなのは今もそんなに変わらないようだから。といっても今は自分である程度選択できるから、そんなに悲惨がることもないか。でも、自由は裏返せば弱肉強食社会ということだ。足かなんか、強いオスがメスを独り占めして、弱いオスは遠巻きにそれをみているだけだ。力のない者は指をくわえていなければならないことになる。派遣だから結婚できないなんてことも結構あるようだ。でも、力があればいいかというと、一概にはそうもいえないようだ。その力を手に入れたら、維持していかなければならないから、結局自分の力以上に頑張らなければならないから、自由だからといってそうそうのんびり楽しくやれるってことにはならないようだ。
花は、昔は虫や鳥と仲良くやっていたけれど、いまは人間と仲良しだ。それで、きれいな花やおいしい作物ができるのだから、人間にとってはありがたいことだ。
以前何かで、人間が麦を利用しているようで、実は麦が人間を利用しているのだ、といっているのを聞いたことがある。麦は自分の種を人間に提供することで、人間に運ばれて、世話をさせて全世界に広がった。麦だけでは他の草や虫との競争がし烈になり、なかなか育つことができないのに、人間が汗水流してその草や虫を取り除いてくれ、肥料まで与えてくれる。うまく人間を利用した、ということだ。
豚も、牛も、人間に食べられるから悲惨なようだが、そのために、世界中に人間が広げていったという。食べられるのは大変だけれど、そのために人間は、1年365日豚に餌をやっている。土日も休まず一生賢明面倒を見ている。自然界だって食べられたり死んでしまったりして、成獣にまで成長するのはほとんどいないというのだから、食べられることを代償に、世話をさせるのはいい取引なのかもしれない。
乳牛は、子どもを産まなければ乳がでないから、毎年、ちゃんと雄牛を連れてきて子どもを作らせてくれる。そうでなく、人工授精などという、味もそっけもないことで子どもを作るはめになる牛もいるが、ただ食って太って、楽しいことも無くそのまま食べられる多くの豚よりはましかもしれない。
梅雨に入って、珍しく予報通りに雨が続いている。今月に入って赤とんぼが弱弱しく飛んでいたが、雨宿りしているのだろう見かけない。それとももう山に避暑地を探しに行ったのかも。今年は普通のアゲハ蝶がたくさん飛んだ。代わりに黒いアゲハ蝶は見かけない。去年何年かぶりに見かけたトンボエダシャクは、今年はいっぱいヒラヒラ飛んでいる。雨がちょっとでも止むと飛びだす。みんな恋の相手を見つけようと頑張っているのだ。ひと夏の恋しかないのだから悠長にしてはいられないのだろう。私も、もう後はそんなにないのだから、元気でいるうちにもう一度恋くらいしてみたいもんだ
「頑張らなくっちゃ」とつい独り言を言ってしまった。
「あの枝伸びすぎよね。切る」
久美子が応える。頑張らなくっちゃ。
庭の木は雨を得て黒々と緑だ。空なんかその枝先にちょっと覗いているだけだ。
2019,6,29