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ゆうべ

田 敞

 

「ねえ、試食して食べられなかったらどうする」

女の子が言っている。

「その時はお父さんが食べる」

 スーパーの前の駐車場にワゴン車のクレープ屋が店を出している。その前で小学校の1,2年生くらいの女の子と、その若いお父さんらしい人が話している。女の子はお父さんから少し離れて前やら横やらをあっち行きこっち行きしている。だから大きな声で話しているから私まで聞こえる。女の子がぺったりお父さんにくついていないのは、あんまり、父親とは外出しないからかもしれない。近寄りたいけど近寄れなくて、近くをピョンピョンしている。たぶんお父さんもどうやっていいかわからないのだろう。きっと、小さいころあんまり抱っこされなかったのだろう。

 女の子は、ピョンピョンと、飛びはねるようにしてクレープ屋の前の子ども用の踏み台に飛び乗った。女の子の期待が背伸びして覗き込んでいるからだからあふれている。

 女のこの喜びが、お父さんの喜びなのだ。二人のお祭りだ。

最近は、スーパーにも男が増えた。たいがいは同年輩だから、年金爺さんだ。若い人は、昼間は働いているから、昼間のスーパーにはこれないだろうから、老人ばかりになるのは当たり前か。今日は、たまたま、夕方になって買い物に来たから、若いお父さんもいたのだろう。

 

 父も、母が亡くなってからは自分で市場に買い物に行っていた。少しは自分で料理もしていたようだが、たいがいは総菜など買ってきてコップ一杯の晩酌をして世界の旅番組を見ながら、「便利になったなあ。これで、旅行行かなくても世界中を見れる」と、何となく暮らしていたようだ。私は家を出て遠くに住んでいたから、たまに帰るくらいで、親不孝をしていた。

 父は明治生まれだから、子供と遊んだりしなかった。私たち兄弟にとってただ煙ったい存在でしかなかった。

その父が一度だけ相撲を見に連れて行ってくれた。なぜか、男兄弟が4人なのに私だけだった。電車に乗って相撲を見て、また電車に乗って帰ってきた。何にも話さなかったような気がする。楽しかったかといえば楽しくは無かった。父はどうだったのだろう。

 煙ったい父は私が大人になるまで煙ったい父だった。

 

それもあってか、私は、子供の夏休みなどの長い休みには必ず旅行に連れて行っていた。普段も、けっこう一緒に遊んだ。それも小学校までだ。子どもらが思春期になってからは、旅行にも行かなくなった。娘には煙ったい父になったようだ。

一緒によく遊んだのだけれど、手をつないで歩いたり、抱っこしたりはあんまりしなかった。もっと抱っこしてやればよかったと今思う。というより、損したなと思う。

今、ときどき孫が息子に連れられて来る。抱っこしたときの、べたっとした重さはいいものだ。息子や娘だったら、どうだったろうと思う。あの頃は育てかたもわからなかったし、育てることの喜びが本当に貴重なんだということも分からなかった。仕事や、他のことに追われて、一番素晴らしい事が傍にあることに気がつかなかった。好いてくれて、頼ってくれているときに、いっぱい抱っこしてやればよかったと思ってももう手遅れだ。

 

 息子は子供たちをよく抱っこしている。流行りのイクメンだ。

 時代なのだろう。世代を代ると少しずつ子どもへのかかわり方が変わっている。子供をかわいがるのはいい。子どもも親もうれしい。

 私の母は、かわいがろうにもその余裕がなかった。共稼ぎで、疲れて帰ってきた母が、1個のトマトを4つに切ってくれて、兄弟で食べた。夏の夕暮れだ。暑いあつい、瀬戸内の夕凪だ。

 

 私は、カートから買い物かごを下して車に積み込む。あのお父さんも、ずっと後になって、あのとき抱っこしてのぞかせてやったら良かった、と思い出すだろう。小さな子供と暮らしたことがどんなに素晴らしい日々だったかを、きっと懐かしく思いだすだろう。

日が屋根の向こうに落ちて、空は淡く夕焼けだ。あの子も、いつかきっとこのゆうべを懐かしく思い出すことだろう。