雑談目次   散飛  ゆうべ





田 敞
 

田んぼに水が入った。あっちでもこっちでも代かきだ。と言いたいところだが、見渡す田んぼはトラックターが1台切りだ。このあたりの田を請け負って、順番にやっていくのだろう。田んぼも簡単になったものだ。

 夜は蛙の一大合コンだ。ゲコゲコ大騒ぎだ。でも昔ほどではない。昔は家の中にいてもうるさかったが、今はほとんど聞こえない。まさか奇特な蛙が請け負っているというわけでもないだろうが。

 先日蛙の話を子どもたちに読んだとき、「このごろ牛蛙居ないわね」、と、一緒に行ったおばさんが言った。たしかにいなくなった。以前は、夜な夜な「ウオーウオー」と気味悪い声が聞こえていたものだが、もうずいぶん聞かない。もう10年、いや20年以上にはなるだろう。蛍がいなくなったころからかもしれない。そのころ蝗もいなくなった。赤とんぼも激減した。そのうち,蝗も、蛍も、赤とんぼも、絶滅危惧種になるのではないだろうか。蛍はまるっきり見ないし、蝗も、年に1匹見れば良い方なのだから。蛍だって、蝗だって、赤とんぼだってうじゃうじゃいたのに。

源氏蛍は、小さな渓流などで暮らしているから、農薬を撒かれないから生き伸びるだろう。それに、目立つから源氏ボタルは人が保護しているが、農薬漬けの田んぼで暮らす平家ボタルは顧みられないからいずれ絶滅してしまうだろう。いやこのあたりではもう10年以上見ないからすでに絶滅しているのだろう。平家の落人のように、世間の人のこないところで生きていればいいのだが。耕す人のいない、捨てられた田んぼがいっぱいあるというから、そこで暮らしていればなんとかなるかもしれない。

田んぼに虫がいなくなったからか、ツバメも飛ばない。田んぼの泥を取りに来るくらいだ。ツバメは、子育てに赤とんぼを捕まえていた。その赤とんぼがいなくなったから燕は困っているだろう。ピーピー鳴く子どもに何をやっているのだろう。だからだろうか、街中には居ても、田んぼのあるこちらにはほとんどいない。

 昔、ダム反対をやっていた時代があった。反対の理由が環境破壊ということだった。知人に今もそう思っている人がいる。谷だったところにダムができると、大きな湖の下になって、それまでの環境は壊れるだろう。鮭も鮎も登れなくなる。

 そのとおりである。しかし、電気は必要である。火力は二酸化炭素を出すし、原発は放射能を出すし、風力は鳥がぶつかるし、太陽光だって、大きな面積が必要で、そこは草が生えないようにするためにきっと除草剤をまいたり、防草処置をしたりして、自然のしの字もないところになるだろう。地熱だって、いろいろな温室効果ガスが出る。電気を作ろうとすれば何らかの環境破壊が起こる。しかし、電気なしでは生きていけない。

 黒部ダムを見たことがあるが、大きな湖ができていた。今は観光地だ。それはそれなりにきれいなものだった。そこにはそこの新たな環境ができ魚も住んでいるだろうし、いろいろな生き物がそれに応じて暮らしているだろう。しかし、田んぼは違う。毎年農薬をまく。そこで暮らす生きものは殺される。赤とんぼは毎年田んぼに卵を産む。その無数の卵は生きていくことはできない。蛍も、蛙もそうだ。ほかのところに卵を産めば良いのだが、大きな水溜まりの田んぼの魅力には勝てない。わざわざ産みに行く。毒がまかれるのを知らないのだ。日本中に巨大な水溜りの罠が仕掛けられているようなものだ。昔は、農薬反対の意見がずいぶん見られたのだが、今はほとんどマスコミには現れない。農薬なしには、米作りは不可能なのだろう。実際、この広い田んぼを1台の耕運機でやるのには農薬がなくてはできない。一家総出で、代かきだ、田植えだ、草取りだといっても、一家には年寄りしかいない。若者がいても勤めに忙しい。

 だからだろうか、今は、農薬反対を言う人もほとんどいなくなった。実際、その米を食べ続けている日本人は世界の長寿を誇っている。もちろん農薬をいっぱい使っている畑の作物を食べても長寿なのだから、害はないのだろう。死ぬのは、虫ばかりだからそれでいいのだろう。

大きなマンモスを滅ぼしたのも人間だというし、巨大な鳥ドウドウを滅ぼしたのも人間だというし、アメリカの、無数にいた旅行鳩を滅ぼしたのも人間だというし、怖いサーベルタイガーを滅ぼしたのも人間に疑いがかかっている。日本狼も、日本かわうそも、日本鴇も日本人が絶滅させている。多くの絶滅種のほとんどは、人間が行ったということだ。

人間が地球の癌だ、と、なにかの番組で、お笑いの人が言っていた。そのとおりかもしれない。今、年平均の脊椎動物の絶滅の割合が、過去の最大の絶滅、生きものの80%が絶滅したといわれている絶滅に匹敵する絶滅の割合だといっている統計があるという。

殿様蛙もガマガエルも普通にいたのだが今は見かけない。見るのは、雨蛙くらいだ。田んぼの縁によくいた山かがしという恐ろしげな蛇も今はいない。餌の蛙や蝗がいなくなったからなのかもしれない。平家蛍も、食料のものあら貝が農薬で居なくなったから生きていけなくなったのだろう。畑や庭の方にいる縞蛇は去年もいたから、そのうち顔を出すのだろう。

梅雨になると、減ったけれど、いっぱい子供の雨蛙が田んぼから上がってくる。道路を渡って、塀のところで足止めを食っている。以前はダリアの花の中にいっぱい隠れて外を見ていたものだが、今はダリアも無くなったから、居場所はなくなった。ま、雨蛙は健在だから、それはそれなりに生きものは滅び切ったりはしないのだろう。

代かきの後の田んぼに、あちこちで蛙が呼び合っている。春だ。

2019,5,1