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電動アシスト自転車
田 敞
冬枯れた田んぼの中を真っすぐ農道が延びている。今の田んぼは耕地整理してあるのでみんな短冊形で、農道も真っすぐだ。その先に山なみが見える。もうこの季節には高い山は雪に光っているのだろうが、前に見える山は低く、冬の木立にくすんでいる。私はその細い農道を自転車で山に向かって走る。
去年の秋の終わりに電動アシスト自転車を買った。
随筆の仲間の人が、夫が歩くのが大変になったので、電動アシスト自転車に乗りだしたら歩くのもしっかりしてきた、と話した。その後、テレビで、やはり電動アシスト自転車は健康に役立つというのをやっていた。それで、買ってきた。
前々からほしかったのだが、ふん切りがつかなかった。娘が高校の時使っていた自転車に乗って近くのコンビニには時々出かけていたのだが、スポークは2本折れているし、ブレーキのワイヤーの被覆ははがれているしで、いつガクッと車体が折れ曲がるかもしれないような代物だった。それにちょっとした坂でも重いのだ。だから、近くでも何でも自動車を乗り出していた。
さすがに電動アシストである。坂道も楽々上がれる。こぎ出しも、グンとモーターが加速しているのが体に伝わってくる。だから出だしにふらつくこともない。今では近くのコンビニには遠回りして行く。遠いコンビニにも行く。もっと遠い2キロ以上あるスーパーにも行く。玉にきずは、思いのほかスピードが出ることだ。爽快なのだが、気をつけないとカーブが曲がりきれない。といっても、この前、意気揚々と走っていたら高校生にサッと追い越された。私はあんぐり口をあけた。電気より若さなのだ。
うれしくて遠くにいる娘にメールしたら、「車に気をつけて。怪我しないように」と返事が来た。ほんと年寄りだと思っているんだから、と思ったが、もう2回も転んだ。
一度目は、帰ってきて止まろうとして足を着こうとしたら植木鉢があったのでその先に足をついたら、踏ん張りきれずに転んだ。二度目は、小さな踏切を乗ったまま渡ろうとして転んだ。線路に向かって急な下りで、向こう側は急な登りになっていた。そこに車止めの鉄棒が立ててあって、その間をすり抜けようとして、抜けきれずに倒れ込んだ。どうもバランスが悪いし、足をついても踏ん張りきれなくなっているようだ。まあ、医者なら、これは加齢ですね、と言うだろう。
それでも毎日乗っている。なにがいいといって、景色のいいところを走れることだ。知らないところも走ることができる。
散歩では30分ではほんの近くだけしか行くことができない。片道1キロがせいぜいだからいつも見慣れたところばかりを歩いていることになる。1キロなんて車なら1分の距離だ。自転車だって、今のところ、せいぜい片道2,3キロというくらいだが、それでも、景色はずっと変わる。なら、車の方がよさそうだが、それでは運動にならないし、のんびり景色を楽しんではいられない。運動になって飽きないというところがいい。
田んぼはどこまでも広がっている。この辺りは、噂に聞くこの町の米どころだ。山からの水がいいので町一番の旨い米ができるという。
田の外れに沿って少し高い所に家が点々とつながっているのが小さく見える。そこから向こうは林だ。田んぼにならない山際に家を建てたのだろう。
田の中に遠く、白い煙が上がっている。炎も小さく見える。淡い冬の光の中を煙が真っすぐ上って空の中に薄れていく。
子供のころ、朝、毎日たき火をしていたおじさんがいた。学校へ行く前に、近所の子供たちとその火にあたっていたものだ。今と違って子どももたくさんいた。戦後のベビーブームだ。まだ、戦争の跡がそこここに残っていた。20世紀になって過ぎた年月よりまだ戦争に近かったころだ。そんなころもあったのだ。暖房は火鉢だった。隙間っ風の家の中にいるより、たき火の方が温かかったのだろう。寒い冬だった。
たき火が近づいてくる。そばにおじいさんが一人いる。見渡す限り他に誰もいない。淋しいたき火だ。
田んぼの向こうを、山の採石場から来るのだろう、時折ダンプカーが走るのが小さく見える。ペダルを踏み込む。耳元で風がうなる。耳が痛い。山が近付いて来る。