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女郎蜘蛛2


田 敞


 蜘蛛が落ちた。縁側がわりに置いてある縁台の花を置いていた皿の縁に、二本のしましまの足が引っ掛かっている。体は見えない。

 前の日、いつもいる、蜘蛛の巣の真ん中に蜘蛛がいないので捜したら、蜘蛛の巣の端っこでゆらゆら動いていた。巣の修理をしているのかと思ったが、動きがぎこちないので変だと思っていた。

 もう一月ほど前になるだろうか、やはり蜘蛛がいなくなったときがあった。探すと、サッシの上の隙間にもぐりこんでいた。翌日元の位置に戻っていたが丸々としていた胴がほっそりして、半分以下になっていた。見事なダイエットだ。前日いたサッシの隙間を見ると、白い小さな塊がある。卵塊のようだ。

 その少し前、しずくのように透き通ったビーズ玉くらいの蜘蛛が巣の糸を伝っていた。女郎蜘蛛は我関せずで、巣の真ん中にじっとしていた。見つけてよく食べないことと思った。その小さな蜘蛛よりもっと小さな虫でも、かかると、すばやく走っていって食べてしまうのに。ひょっとしてオスなのかもしれないなと思った。それにしてもあまりにも大きさが違う。体など1ミリもあるかないかなのだから。今考えるとそうなのかなと思う。よくは覚えていないけれど、卵を産んだのはその数日後のような気がする。

雄が雌の巣にたどり着くには、歩いていくわけにはいかないだろう。蜘蛛は飛行糸というものを出して飛ぶというから、おそらく風に乗って雌の巣まで飛んでいくのだろう。小さな体の方がちょっとした風にも乗って遠くまで飛ぶことができるだろう。オスは交尾さえできればそれで役目は全うできるのだから大きくなる必要はない。あの小さな蜘蛛が雄であった可能性はある。誰か忘れたが、科学者が、雄は雌が自分の遺伝子をばらまくために作った遺伝子の運び屋であるというのがあった。確かにあんな小さな蜘蛛でも、遺伝子の運び屋であるなら十分役に立つ。風に乗って遠くに運んでいくには、もってこいの体だ。それに、体を大きくして、食べ物を消費するのは無駄以上に、身体を大きくして卵を作らなければならない雌には、食料を奪い合うライバルになり、種の繁栄には邪魔になりかねない。

 我が家の蜘蛛は卵を産んだ後も餌をとり、少しづつ太っていった。元の半分ほどの大きさにまで腹が太っていたのだが、寿命だったのだろう。

 もう一度卵を産むのかと思ったが、そうではないようだ。多くの生きものは、子孫を残すことができない体になるとすぐ死んでしまうということだ。長生きすると仲間の食料を奪うことになる。資源の浪費になるのだろう。人間は生殖能力がなくなった後もかなり長く生きる。長く生きた経験と学習によって、群れの安全や、食料確保などの、生活力の向上のための知恵袋としての役割を担っているという人もいる。もちろん証拠はない。ただ、死にたくないという我が、ひつこく生きている力になっているからかもしれない。

 私なんかはどうなのだろう。どうひいき目に見ても役に立っているとは思えない。年金暮らしのむだ飯食いにしかすぎない気がする。子孫繁栄どころか、なんの生産性も持たないむだ飯食いだ。子供はひとり立ちしているし、孫の面倒もみない。関係を持っている人はほとんど年よりだ。役に立っている人もいるのだろうが、ほとんどは、生産より消費の方が大きい人たちだ。仲間に貢献していない。どうも、生の喜びを追い求めているだけの気がする。

 弱肉強食の生きものの世界で、こんな無駄をしている人類が繁栄している。不思議なことだ。

 でも考えてみれば、強いものだけが生き残っているわけではない。地球には何百万種何千万種の生きものがいるという。ミミズや、ネズミが強い生き物とは思えない。しかしどこにでもいる。繁栄しているといってもいいくらいだ。恐竜だって死に絶えたといわれて久しいが、鳥になって生き伸びている。いや生き伸びているだけではない、哺乳類より種の数でははるかに多い。ちょっと空を見ればどこにでもいる。見渡しても、ヒトとイヌとネコくらいしか見つからない哺乳類と比べても見かけもはるかに多い。

 数十億年前、たった一度、一つの命が生まれたと考えられている。その命が綿々とここまで続いている。その間、様々な形に変化したものが現れた。今では、数千万種もの形になって地球を覆っている。屋久杉も、ミミズも、メダカも、人も、もとをたどればたった一つの始まりの命に行き着くといわれている。

 人の体もそうだ。半分ずつの細胞がひとつになり、それが分裂を繰り返しさまざまな形に変化する。そして人間の体を作る。その数兆個の細胞も、福岡真一氏の動的平衡論によると、常に古い細胞は壊され捨てられ取り込んだ栄養から新たな細胞が作られていくという。1年前の体は今の体とほぼ別人だという。肺も骨も脳も、あらゆるものが。

 生きものは常に新たな生き物に置き換えられ古い生き物は新たな生き物の糧になりそれを支えている。ひとつの個体から見れば弱肉強食だが、大きな流れからは再生であるのだろう。弱肉強食なら一番強い種だけしか生き残れない。支え合いだからこそ、こんなに多くの種が繁栄しているのだろう。

ドミノ倒しのように、一つ一つは倒れながら分岐し、様々な流れになって続いていく。途絶える流れもあれば、さらに分岐し奔流となるものもある。しかし、46億年後、地球は大きくなっていく太陽にのまれてしまうという。ドミノ倒しに最後があるように、個が生まれては死に行くように、この命の流れも、永遠の時の流れの中では無力なのだろう。

 庭の梅の木にいた蜘蛛もいなくなっていた。主のいない蜘蛛の巣が空の中にあった。この冬初めての北風に巣が震えていた。

 2018,12,10