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伐採


田 敞


 いしぴの木を切った。

 「いしぴは硬いんだ」と頼んだ業者の人は言った。いしぴという名前の木なのだろう。檜だと思っていた。

私がここに家を建てたときはもう大きく育っていた。そのころはまだここは栗畑だった。栗畑と道路との境界沿いにそのいしぴが数本立っていた。久美子の父が、ここの土地を買った時に植えたのだろう。だからもう、70年は超えているだろう。結構大きくなっていて私の胴より太くなって、隣の電柱をはるかに超えている。その栗畑の栗が古くなって枯れたころ、久美子の両親がその畑の一角に家を建てて移ってきた。久美子の父がいしぴの傍にノウゼンカズラを植えた。それがいしぴに絡まりみるみる大きくなった。幹は、私のふとももより太くなっていしぴにしっかり巻きついている。夏には、朱色のラッパ状の花をいしぴのてっぺんまで咲かせた。何本もの巨大なクリスマスツリーだ。きれいでよかったのだが、いしぴの方が弱ってきた。中には、てっぺんが枯れたのもある。今ではのうぜんかずらはますます葉を茂らせて、いしぴか、のうぜんかずらかわからなくなっている。

今は義父も無くなり、義母も施設に入った。家は空き家になった。風が吹くといしぴが大きく揺れる。先日みちこさんのところへ久しぶりに行ってみたら、隣の空き家もその向こうの杉林もきれいになくなっていた。何でも、杉の木が横の家に倒れて、いっぱい弁償したので、全部切ったそうだ。

冬の西風だと、隠居に倒れるだろうし、東風だと、電線に倒れてしまう。台風の南風など来たら大変なことになりかねない。万が一そのときこどもでも歩いていたら取り返しがつかないことになる。いしぴは境界にそって一列だから風をもろに受ける。そして、からまったのうぜんかずらが風をさらにいっぱい受ける。

ということで、久美子と相談して切ることにした。それで組内の基礎工事をする人に伐採を頼んだ。

「今は材木を製材して家を建てるという大工はいなくなったからな」とそのお爺さんが言う。もう80を超えているのに、いまだに現役でなんでも工事する人だ。

「たぶんこれを植えたときはいつか家を建て替えるときに役に立つだろうと考えたんだろうけどな」と私は言う。

「昔はそうだ。ケヤキも植えてる人ずいぶんいるけど、今は使う人いないな」お爺さんが言う。

 いぜんやはり地区でケヤキの材木を庭に転がしている人がいた。聞くと、庭のケヤキは役に立たないんだと、言っていた。ずいぶん太い欅だったけど、そういうものなのだ。

 いつか役に立つと思っていてもくたびれ儲けにしかならないこともあるのかも知れない。

 みちこさんの隣のスギ林の持ち主も、親から引き継いだ杉林なのだろうけど、壊した住宅の賠償金と、伐採に合わせて300万ほどかかったというから、くたびれ儲けもいいところだろう。

 まあ、そんなもんじゃないのだろうか。私も、この歳まで来たけど、なにか役にたつものを植えたかというと、なにも無い。ただその日暮らしみたいに働きに行って、帰ってきて、寝るのも仕事のうちと、一生しょうけん命寝ていた。子供を育てられたことだけが唯一役にたったことかもしれない。何てったって、子育ては楽しかったから良しとしよう。

今、やっと再開したヨガも、最初は、エアロビクスから始まった。何年続いたろう。10年は超えただろう。そのクラブが潰れて、同じ先生のヨガに移った。もうおそらく合わせて20年以上は続いている気がする。それで少しは体力がついたかというと、まあ、年とともに衰えるのはいかんともしがたいというところだ。

 そのエアロビクスに誘ってくれたのが、バトミントンを一緒にやっていた人たちだ。その一人がみどりさんだ。それから30年はたつだろう。

 先日、スーパーの駐車場で、みどりさんに珍しくばったり会った。きれいなままだけど、白髪が増えていた。お父さんの介護で何にもでないと言っていた。でもそれで別に不幸だという顔ではない。いつものニコニコ顔だ。光陰矢のごとしとは良く言ったものだ。今、うちも介護する側だが、すぐ、されるほうになるんだろう。

 いしぴは大きなクレーンでつり下げながら切り倒していった。半日ですっかり無くなった。何十年育ててもあっさりだ。でも、栗の変わりに植えた、キウイやブルーベリーは、毎年、誰かの口に入って喜ばれているから、役に立つのはあるのかも。長い目は、よほど先見の明がなければ無駄骨なのかもしれない。凡人は1年の計くらいがいいのかも。

 草葉の陰で久美子の父親が残念がっているかもしれないが、これで、風が吹いても心配しなくて済む。