雑談目次   花粉症 我が家の昆虫記 



田 敞


 一声小さく鳴いて庭に鳥が飛び込んできた。一羽は正面の梅の枝に、一羽は通り過ぎて、マグノリアの葉影に消えた。

 庭は五月の光に眩しい。高く伸びた木瓜や梅や紫式部の茂みで、正面の隠居は屋根も見えなくなった。今年はもう初夏の濃い緑だ。その下では金魚草が夏の始まりを告げ、白いクレマチスが皐月に絡まって咲いている。その皐月もちらほら咲きだした。皐月が咲くとそろそろ雨の季節になる。まだ梅雨には早いけれど、雨の日が多くなりだした。今年は季節が半月ほど早いようだから、はしり梅雨がもうやってきたのかもしれない。去年も五月後半に雨が多くて、六月になって梅雨入り宣言したとたんに晴れの日が続いた。なんでも先取りの世の中だから、季節も負けじと頑張っているのかもしれない。

 ひよどりも、今年は五月一日に旅立った。一日の朝バナナを四分の一くらいかじって、そのままになった。いつもなら昼前には一本丸ごと皮だけにしてギャアギャア催促するのだが、きっと、朝食を食べてみんなで旅立ったのだろう。去年は五月半ばを過ぎても居残っていたので、新しくきたひよどりと大太刀回りしてから旅立った。毎年大騒ぎしてから旅立つのが恒例なのだが、今年は庭は静かだった。やってきたひよどりも、期待外れだったのか一声小さく鳴いたきりで、少し庭を見まわしてから黙って飛び去った。

「ひよどり来たよ」と久美子に言う。

「もう渡っていったんじゃないの」と久美子が聞き返す。

「かわりにもっと南にいたのが渡ってきたんだと思う」

「そうなの」

なんだ、という声だ。

「今来たのはこのあたりで子育てするやつ」

「ふうん。じゃここにいたのは」

「あっちで子育て。渡り鳥はだいたい北で子育てして、寒さから逃げて南にわたってくるみたいだから」

 夏から秋までいるひよどりにはバナナはやらない。以前バナナを置いたこともあったが他に餌が豊富にあるからか、食べにはこなかった。置いたバナナは蟻で真っ黒くなるだけだった。冬から春は、蝋梅や、木瓜や、椿の蜜を吸っていたが、今は葉ばかりでそれもない。だから、庭にもたまにしかやってこない。来てもたいがいは通り過ぎるだけだ。でも夏になると、子供を連れて水浴びにやってくる。

水は、一年中置いてやっている。四十雀が毎日水浴びにやってくるからだ。冬でも張っている氷を取って水を入れてやると、必ず水浴びをしていく。だから、雀や、エナガやひよどりも暑い盛りには水浴びにやってくる。

「南からひよどりが来たから、うちのひよどりも今頃は北海道に着いてるかな」と久美子に言う。

「十日で着くかしら」

「たぶん。一日三百キロ飛んだとしても、三日もあれば到着するから」

「速いのね」

「憶測。どれくらい飛ぶのか分からないけど、たいがいの鳥は渡りのときは一気に行っちゃうみたい」

「おなかすかないのかしら」

「大丈夫だよ、腹減ったらそのあたりで食べるんじゃない」

「もともと野生だものね」

「津軽海峡が大変みたい。津軽海峡を渡るひよどりを鷹が待ち構えていて襲ってるのを、テレビでやってた」

「かわいそう」

「鷹は上から急降下して襲うから、ひよどりは波が高い時をねらって波の陰に隠れて、海面すれすれを群れで一気に渡っていくんだって」

「頭いいのね」

「誰も餌になりたくないから」

「鳥って大変ね」

「野生は厳しいから」

「人間で良かった」

「ほんと」

 確かに、鷹や蛇におびえながら生きていく鳥は大変だ。でも人間だってライオンや豹にびくびくしながら生きていたときもあっただろう。闇が怖いのも、闇の中から突然飛びかかってくる夜行性の肉食動物に痛めつけられた御先祖さんのトラウマかもしれない。

 今はライオンや豹が人間を怖がっているようだけど。

人は今は怖いもの知らずだ。唯一怖い生きものはただ一種、人間だ。毎年どれくらいの人が人間に殺されるのだろう。世界一番の文明国アメリカでさえ、毎年何万人もの人が銃で殺されるという。IS軍は、シリアや、イラクで何十万人もの人を殺した。持っている武器はアメリカ製とフランス製だということだ。いかんともしがたい。

 居間の南向きの四枚のガラスサッシから毎日庭を眺めている。下は井桁模様のすりガラスだ。上は透明なガラスになっている。座椅子にもたれて日に何時間も眺めている。

 ありがたいことに日本に銃はない。あるところにはあるのだが、今はかろうじて静かにしている。七十三年前までそれは火を噴いていた。

 小さな綿雲が梢の向こうを流れていく。まぶしい初夏の雲だ。

日がな一日のんびりだ。ありがたいことだ。