花粉症

 

��田　敞

昨日、久美子が咳をしていた。

「鼻水が出てのどが痛いの」と言うので、

「そりゃ花粉症だ」と冗談を言って笑った。

久美子も、「コホコホ」と笑っていた。

今日になって

「鼻水が出て、熱があるみたい」と言って炬燵でぐずぐずしている。触ってみると、なんだか熱い気がする。

「風邪薬買ってくる」と訊くと。

「それがいいかも」と言う。お願いとは言わないのだ。

車に乗ると、フロントガラスがほこりをかぶっている。ワイパーをかけるがこびりついていてなかなか取れない。青空駐車だから花粉がくっつくのだ。この数週間、車は毎日花粉だらけになっていた。

「これ薬屋のおじさんのお勧め」と久美子に薬を渡す。私が勝手に決めたと思われては、効かないときおこられそうだからだ。

「花粉すごいわ。今は檜かもしれない。粉だけじゃなくて、ぽつぽつ塊でいっぱいフロントガラスにこびりついてるから。隣の木から直接落ちてるんじゃないかな」

　すぐ近く、１０メートルほどのところに大きな檜が５本並んでいる。杉は一番近くので、田んぼの向こうだ。２００メートルは離れているだろう。

「さすがに目がカサカサするもの」

「敞さんでも」と笑う。私が、花粉症なんて、といつもばかにしているからだ。

で、「コホコホ」と咳の真似をしてみる。

コップに水を入れてやる。

「マスクしてる人いないよ」と言う。

　週に２，３回はスーパーに買い物に行くが、今年は、マスクをしている人が少ない。何年か前までは、マスクの人が半分はいたのじゃないかと思えるほどマスクの人があふれていたのに、今年はいない。花粉症の人がいなくなったのだろうか。たぶんそうだろう。

　花粉症はどうも沈静化したみたいだ。今年も花粉はいっぱい飛んでいるのに、不思議なことだ。

　そこで杉花粉症について考えてみることにする。

まず、杉花粉症は、ある年急にはやりだして、一気に蔓延し、そして、どうも去年あたりから下火になり、今年になり終焉したようだ、という特徴があるといえそうだ。このことからまず考えてみる。

はやり始めは、２０年ほど前からだろうか。私の勤め先でも、花粉症に罹っている人が現れと思ったら、マスクをしている人が街中にあふれていた。テレビの街中の画面もマスクだらけになった。

原因はいろいろ取りざたされた。

ひとつは、花粉を吸っていると、あるところで満タンになって、あふれて、急に花粉症になるという説だ。また、スモッグなどの大気の汚染が複合的に花粉症を引き起こしたという説もあった。そのほかに、回虫などの寄生虫がいなくなったから、免疫機構がどうのこうので花粉症になるという説もあった。

そこでこれらを考えてみる。

まず、花粉を吸い続けると、始めは何事もないが、ある程度たまってくると急に発症するという説を考えてみる。この説では、なぜ２０年ほど前急に流行り出したのかということの説明ができない。

杉は昔からあった。ということは、昔から杉花粉が満タンにたまった人から順々に杉花粉症を発症していなければならないことになる。いつの頃も、杉花粉症の人はいたはずで、急に２０年ほど前から杉花粉症が蔓延したのとは合わない。また、今年も花粉は相変わらずいっぱい飛んでいるのに、マスクをしている人がほとんどいないこととも合わない。この説だけでは説明ができない現象といえる。

次の、大気汚染はどうだろう。大気汚染がピークだったのは、私が１０代の頃だった。あの頃都会にいた私は、冬になるとスモッグが渦を巻く中を登校していた。そんな朝は、保健室は気分が悪くなった生徒であふれていたものだ。夏は夏で、光化学スモッグで、目ものどもひりひりしていたものだ。

あれから、５０年たっている。都会の空気もすっかりきれいになった。スモッグも、光化学スモッグもなくなって久しい。それなのに大気汚染がほとんど沈静化した２０年ほど前からなぜ大気汚染が花粉症を引き起こしたということになるのだろう。そのうえ、大気汚染の経験のない田舎の若い人たちまで花粉症になっているのはつじつまが合わない。この説なら、花粉症は大気汚染がひどかった５０年前に発生していなければならないはずだ。この説でも説明ができない。

回虫はどうだろう。免疫機構が出てくるところなど何となくもっともらしい。確かに今の年寄りは子供のころに寄生虫の洗礼を受けた人が多い。今の若者は、回虫など知らない人が多いだろう。これはあやしそうだ。ただ問題は二つある。もし免疫が原因なら、他のアレルギー症も多発してよさそうである。多発したのが、杉花粉症だけだというのは変である。もう一つは、今年マスクをしている人がほとんどいないことである。やはりこれだけでは説明がつかないといえそうである。

これらの３つが重なって杉花粉症が始まったという考え方もある。しかし、こうなると、うまく説明できないから何でも手当たり次第という感じになってくる。としても、今年はマスクをしている人が極端に少なくなっていることの説明ができない。

　では杉花粉症の原因は何だろうということになる。杉花粉症と期を一にした現象があればそれが原因である可能性がある。するとある。マスコミである。

　あるとき、マスコミで、杉花粉症のニュースが始まった。天気予報でも必ず言うようになった。バラエティー番組でも取り上げる。チャンネルを変えるとどこかで必ず花粉症を取り上げている。花粉症はまずマスコミで流行した。

杉花粉の飛ぶ時期は風邪の時期でもある。鼻水が出る、咳が出る。よく似た症状だ。ひょっとして、テレビで言っている花粉症、と考える。風邪は誰でも引く。しかし、花粉症はまだ誰もなっていないこれからはやるかもしれない流行の最先端の病気だ。流行に敏感な若い女性がこれをまず取り入れた。それだけではない。花粉症になるのは繊細な人だというイメージがくっついている。花粉症になると繊細な人になれる。かっこいいのだ。そこで、コホコホと咳が出たら即マスクをする。目も、喉も痛くない人も、流行に乗り遅れまいと、私花粉症だから予防しているの、と言ってマスクをする。マスクをしていないと鈍感な人になってしまう。流行に敏感な若い女性から中年の女性へと広がり、そして、世の中にマスクがあふれてしまった。

　考えると、去年からマスクが減った気がする。気がするだけだから定かではない。しかし、今年は激減している。なぜなら、花粉症はもう最先端の流行ではなくなった。風邪と同じ普通の病気になってしまった。だから、マスクをしても繊細な人ではなくなった。それどころか、流行遅れの服を着た人のようにダサい人になってしまった。流行はあっと言う間に広がり、あっと言う間にすたれていく、それとよく似ている。ただ流行としては少し長い。そこが合わない。

　ただ、だれも言わない理由もあるような気がする。放射能のことだ。福島の事故を気にして、マスクをしている人もいたのじゃないだろうか。どこかの大学の先生がマスクをすると放射能が防げるというような話をしていた記憶がある。だが、これは花粉症と違って人には言えない。放射能に気をつけているというと何故かひとに変な目で見られる気がする。花粉症だといっていれば誰も繊細な人は大変ね、と同情してくれるだけだ。花粉症を隠れみのにしたマスクもいたのではないだろうか。私も、当時マスクを買ってきたりしたが、眼鏡が曇って肝心な外では歩きづらかったから、したりしなかったりだった。

これは考えすぎかもしれないが、流行が長引いた原因ではないかとチラッと考えたりする。

今、花粉は相変わらずだが、ニュースに取り上げられることも無くなった。天気予報で花粉情報を流しているがそれもあまり時間を取っていない。放射能も、安全神話が浸透してきている。もうマスクをする必要もない。

杉花粉症と、マスコミの動向とがほぼ一致している。花粉症はマスコミが作り上げた病気だったのではないだろうか、と考える。しかし、マスコミが言っただけで、花粉症という実際の病気になるだろうか、という疑問がわく。繊細な精神の持ち主で花粉症だったプルーストという昔の有名な小説家がいる。この人はバラの花の絵を見ただけで花粉症を発症したという噂だ。まあ、昔のことで、定かではないが、そういうこともあるということだから、今の繊細で流行に敏感な人は、花粉情報を聞いただけでも花粉症になるのではないだろうか。

もちろん実際のところは定かでない。私の憶測だけの話だ。当たるも八卦、当たらぬも八卦みたいなものだ。