雑談目次   避難小屋  めでたくもあり


青い鳥

 
著者 田 敞


「漏電なの」とみちこさんが言う。

「ええ、漏電」

 一週間ほど前「あかね雲」を届けに行ったら、喫茶店だった家の前の庭に、6畳一間の小屋が建っていた。まだ、扉はビニールの梱包の袋がついたままの、できたてほやほやだった。

 で、今日、もうきれいになったろう、と行ってみたら、また工事をしている。その原因が漏電だという。

「今日は立ち話だな」と車の窓を下して言って少し先の空き地に車を止めてきた。

立ち話をしていると、私と同年輩のお爺さんとお婆さんが通りかかって話しかけてきた。たぶん夫婦だなと思う。愛人関係では明るいうちから堂々と歩けないものな、とかんぐったりする。

「ここは何かのお店なの」とお婆さんの方が聞く。お爺さんはニコニコしている。

「いえ、今はやってないんですよ」とみちこさんが喫茶店当時のよそいきの声で応える。

「昔、喫茶店をやってたんだよ。ほら、ポプリってあるでしょ」と私はまだ取り付けたままになっている玄関の上の看板を指さす。

「そう、いつも通りかかって何の店なのかなって気になってたの。喫茶店だったの」

「そう、このひとがやってて、私はその時の客」

 何となく夫婦と間違えられてそうなので、言ってみた。みちこさんとはひとつ違いなのだ。

「またお店始めるの」

「いえ、こっちは趣味の小屋。ちょっと手芸したり、洋裁したりしようと思って作ったの。日の当たる明るい部屋でそんなことするのが夢だったの」とみちこさんはまだよそいきの声で答える。

「いいわね。私もそんな部屋が欲しいわ」

「それがね、いざ小屋ができたら3日で飽きちゃった」と笑う。

 「そうだろう、そうだろう。おしゃべりのみちこさんが独り黙々と針を動かしているなんて不可能だ」と私は思う。

「だったら、それを売るお店出したらいいのに。小物雑貨なんか並べて」

「だめよ、3日かけて作ったら1万円は欲しいでしょ。誰も買わないわよ。今は中国から安いのいっぱい入ってくるし。欲しい人にあげてるの」

「そうよね。でも、あっちの家ともマッチして、おしゃれで、もったいないわね。私も小屋欲しいの。小屋作って家庭内別居したいのよ」

お婆さんは笑って言う。隣で夫だろうお爺さんもニコニコ顔だ。たぶんそんな夢みたいなことが起こるわけないと思っているのだろう。「ほんとは怖いの知らないな」、と私はこっそり思う。

「私もそう。家庭内別居憧れるよなあ。でも、庭に小屋つくったって、毎日顔合わせるんじゃ意味ないもんな」とわたしも笑う。

「伊豆の家ただだって言った時に貰っておけばよかったの。そしたら遠くに行けたのに」とみちこさんが言う。

「誰も貰い手がないから市に寄付するって言ったら、更地じゃないとだめだって言うから壊して更地にしたのよ。そしたら隣の人が100万で売ってくれって言ってるって。壊すのに350万かかったのに、100万ではって、200万にならないかって交渉してるって」

「更地になったんだ。もらっとけばよかった。でもあの頃は東南海地震が来るって言ってたからなあ」と、地震のせいにしている。本当はたんに生活を変える気持がなかっただけなのに。

「姉が、いらない空き家をただでもいいからもらってほしいって、探してたの」

 みちこさんが二人に説明している。二人は分かったような分からないようなニコニコ顔だ。

「あっちの壁の色いいわよね。いまどき、木の壁って珍しいわよね」お婆さんが言う。

「木は傷みやすいからって大工さんに言われたんだけど」とみちこさんの話が続く。

 少し話して、二人は散歩に戻る。その後ろ姿を、正月を過ぎたばかりの午後の光が二人の姿を包んでいる。「じゃ、俺も行ってみる」

 車に乗り込みながら見ると、二人の姿はもう見えない。まだまだ足は達者なようだ。

 だれも遠くにあこがれるんだなあと思う。でも、実現しないだろうな。もう若くはないからそんな馬力はないだろう。若いころは先へ先へ行くのが当たり前だった。今あるものは踏み台にすぎなかった。先には無限に時間があった。今は先には時間がない。元気で動けるのは10年もないだろう。今あるものを後生大事に掴んでいるしかないのかもしれない。

 みちこさんに手を振ってゆっくり車を走らせる。

 「いや、まだ10年もあるぞ」と考える。「10年矢のごとしだからな。考えているうちに過ぎてしまうのだろうな」

 手の中にあるのは何ということのないつながりだけだ。随筆の人たち、ダンスの人たち、ヨガの人たち。それくらいだ。ヨサコイやパソコンクラブや9条の会の人たちは止めたらそれでおしまいだ。切れるのは簡単だ。それくらいの未練しかないのかもしれない。捨てれば捨てられるのかもしれない。新しい土地で新しいつながりを見つけられるかもしれない。でも今、そのつながりをすべて捨てて動けるだろうか。新しいつながりを作れるだろうか。ふん切りがつかないまま、あと10年矢の如しなのだろう。

誰が言ってたんだっけ、「山のあなたに幸いすむと人のいう」って。若いころ、名前さえ知らなかった町に来て、もう40年になる。山のあなたに幸いはあったろうか。たぶん、私の実力では分が過ぎた幸せだと思う。でも今も思う。「山のあなたに行ってみたい」と。

 1月も半ばになり、光は心なしか明るくなった。その光に輝く車の流れに乗って家路をたどる。冬も後半分だ。

 H30,1,18 田 敞