雑談目次   我が家の生きもの 流転 


野生


著者 田 敞


暗くなったのでカーテンを閉めようとして、蝉の幼虫が這っているのを見つけた。

サッシの外の縁台の上をゆっくり這っている。

「久美子来てみな、蝉の幼虫」

「ほんと初めて見た」

 やってきた久美子が言う。

「昔、筑波山でキャンプしたとき、テントの中で、羽化したの覚えてない」

「覚えてない」

寝ようとしたら、テントの内側を登ってきて、羽化していくのをみんなで見た覚えがある。もう30年くらい前のことなのだから、忘れるのが普通か。

幼虫はゆっくり歩いていくと、縁台の端まで来て、行くところがなくなってサッシの縁に前足をかけて登ろうとがんばっている。滑ってなかなか足がかからないようだ。そして案の定ストンと下まで落ちてしまった。

「あっ落ちちゃった。大丈夫かな」と言うと。

「大丈夫よ。野生だから」と久美子が言う。

去年までは桜の木があったが、今は、登る木がない。大丈夫かなとも思ったが、まあ、どこかに這っていって、良いところを見つけるだろう。

翌朝、落ちたところのすぐそばの花のてっぺんに、蝉の抜け殻がしがみついていた。

「蝉かえったわ」

と久美子に知らせる。

「そう」とやってきて、抜け殻を見る。

次の日も、縁台の上に蝉の抜け殻が転がっていた。

「いよいよアブラゼミかな。うっさくなるわ」

久美子は別にという顔をしている。耳鳴りか蝉の声か区別がつかないのだから今さらどうということはないのだろう。

「桜の根っこが生きてるからかな」と言うと。

「生きてるんじゃない。ひこばえいっぱい出てるもの」と言う。

「そうだよな」

切ってからほぼ1年になる。この春ひこばえを切ったのだが、その後にもまた生えてきた。

「あっちも、ほらなんて云ったかしら。切ったのやっぱりいっぱい出てきてるわよ」

「何、こぶし」

「違う、似てるけどほら」

で考える。タイサンボクと言う名が浮かぶ。でも違う。連想してみる。

「ああ、ほうの木」

「そう、ほうの木。何回か切ったけど、すぐ出てきて伸びてくわよ。生命力ってすごいわね。こぶしももういっぱい伸びてるわよ」

草は冬には枯れてくれるけど、木は伸び放題だ。あっという間に手に負えなくなるほど大きくなる。

 こぶしも脚立に上って2度ほど切った。それがあっという間に枝を伸ばしている。あと1年もすれば元どうりになるだろう。もう今度は登れないかもしれない。下から切るには太すぎて怖いし。難しいことだ。

「桜の根にいるのかな」

「え」

「蝉の幼虫。桜の根についていたのがまだ桜が生きてるからそのまま桜の汁を吸って生きてるのかも」

「そうかもしれないわね」

「そしたらあと6年は出てくるかも」

「桜いつ切ったっけ」

「去年の春よ」

「そっか。すると去年は蝉が出る前だから卵は生みつけられないから、おととし卵をうみつけたのが最後だから、その蝉が出てくるとしたら5年後だ」

「桜が生きてたらね」久美子が言う。

「多分生きてるよ。あんまり栄養送れないから、だんだん痩せた蝉が出てきたりして」

「がりがりのがヨロヨロって。なんか怖いみたい」

 久美子は笑って言う。

「あっちの木に移るかもよ」

 近くの梅の木やマグノリアの木を指して久美子が言う。

「土の中をやみくもに穴を掘って行くのも大変だよ」

「野生だから、なんとかするわよ」

「野生だもんな」

「5年後こっちがいなかったりして」

「まさか」久美子が笑う。

「男は70代になると危ないからな」

「そうを。みんな80までは頑張ってるわよ」

「だよな。ま、考えても始まらないか」

 自分だけは大丈夫と思っている。それでいいのだ。人間だって、ひょっとしたら元は野生なんだから。

H29年7月30日