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我が家の生きもの
髙田 敞
遠くで、弓の弦が風にうなっているような音が聞こえる。いつものように耳を押さえたら音が小さくなった。鳴りやまない部分はいつもの耳鳴りだ。小さくなった分が蝉の声だ。今年も蝉の季節が始まったようだ。
「蝉。多分ニイニイゼミだと思うよ」
と久美子に言ってみる。
「そう」といって、すぐ「私には聞こえない」
と答える。最初から聞く気はないみたいだ。
今年は何年振りかで、近くまで鶯が来て鳴いている。大きな声ではっきり聞こえるのだが、久美子は聞こえないという。
「高い音がだめなの」
「へえ、ほら鳴いたよ」と教えても、聞こえないという。
「内緒話をするなら、高い声で言うと良いよ」と笑う。
「だめだめそういう時は絶対聞こえるから」と笑う。
そろそろ日暮しも鳴くかな、と思って夕方外へ出たら、遠くからカナカナと小さく聞こえてきた。田んぼの向こうの杉と雑木の林からだ。
日暮しは、いつも梅雨の終わりごろになると鳴きだす。毎年、散歩道の途中のスギ林が一番早く鳴くのだが、4月からなんとなくグダグダしていて散歩に行かないから聞き逃していた。
今年は梅雨入り宣言の後、週1回くらいのしょぼしょぼ雨しか降らず、猛暑が続いている。この前まで、次々にやってきていたアゲハ蝶も、暑さ負けしたのか、ほとんど見かけない。かわりにナガサキアゲハ(長崎アゲハ)が飛んだ。この蝶は暖かいところの蝶で、昭和63年発行の町の自然を調べた本には載っていないから、その後、やってきたのだろう。最近毎年見かけるから居ついているのかもしれない。ツマグロヒョウモン(端黒豹紋)もその本には載っていない。こんな田舎にも地球温暖化なるものがやってきたのかもしれない。そのツマグロヒョウモンは、5月ごろ何度か見かけたきり姿を見せない。春パンジーに卵をうみつけていたのだが、そのパンジーを抜いてしまったからかなと思ったりするのだが、毎年パンジーは抜くのだからそれが原因とは思えない。珍しいのは、開けてあったサッシからオオムラサキが飛びこんできて、テーブルの上の、湯飲みに止まったことだ。目があって慌てて飛び出した。
普通、蝶は部屋には入ってこない。日影で暮らすジャノメチョウ(蛇の目蝶)やキマダラヒカゲ(黄斑日影)はたまに間違って入ってきたりするが、日向で暮らす蝶は軒下あたりで引き返す。オオムラサキは、大型のきれいな蝶で知る人ぞ知る日本を代表する蝶である。最近は数が減ってきていると町の本にはあるが、毎年家の周りで見かけるのは、少し離れた所にこの蝶の幼虫が食べる榎の大きな木が何本かあるからだろう。
梅雨入り宣言の頃、久美子が「アジサイを切ってきたら転がったの」と言って、さなぎを持ってきた。緑色の大きなさなぎだ。「たぶんアゲハ蝶だわ」と言って、胡蝶蘭の鉢の、外に伸び出している気根の間に挟んでおいた。生きてるかなと、触ると、そのたびに胴体を左右に振って、いやいやをしたりしていた。ひと月ほどして、朝見ると羽化していた。
「蝶になったよ」と呼ぶと久美子も感心して見ていた。そしてやおらノートを持ちだしてスケッチをし出した。
「複雑。難しい」と見せてくれた。たしかに難しそうだった。
蝶は一日そのまま羽を広げてじっとしていた。翌日、いつの間にかいなくなっていた。窓から飛び出したのだろう。
「どこ行っただろう。元気かな」と久美子が言う。
「庭に蝶道があるから、混ざって飛んできてるよ」
「そうね」
「野生だから」
「ちゃんと子孫残すかしら」
「それは大丈夫。そのために飛んでるんだから」
そのころはアゲハのラッシュだった。次から次に普通のやら黒いのやらのアゲハが庭を通りすぎていた。
今は、7月になっての猛暑のためか、庭には赤とんぼが数匹枝先に止まっているだけだ。
たくさんいた白い蝶もたまにしかやってこない。
水浴びにやってきていた鳥たちも姿を現さない。水入れが日向なので、湯になってしまうからかもしれないと木陰に移したが、来ている気配はない。春、北へ帰って行ったひよどりの後釜に、もっと西の方から渡ってきたのだろうひよどりが時どき庭の木に止まっていたがそれも来ない。
「蝉にとまられちゃった」
盆栽の水やりから部屋に戻って言う。読んでいた本から久美子は目をあげる。
「蝉のやつ木の幹と間違えたんだ」
腕を見せる
ホホホと笑って
「干からびた木の幹ね」という。
「日焼け」と反論する。
「私もほら」
と腕を上げて半袖の肩をまくる。白と黒とがはっきり分かれている。今年はよく草刈りをしているからだろう。
私はさぼりっぱなしだ。そろそろ、動きださないと本当に動けなくなる。暑さなんか吹っ飛ばせと言っているのだが、テレビで、すぐ、熱中症に気をつけて、水を飲んだ、クーラーを活用して、なんて言ってるから、お言葉に甘えてしまう。ほんとお年寄りになってしまった。
H29年7月,