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ひよどり2


田 敞


 「あれ、バナナ半分残ってる」と、夕方外を見て久美子に言う。

「おいしくなかったのかしら」と久美子が答える。

 この1月半ほど、私に代わって久美子がバナナを洋間の掃き出し口から、前に据え付けてある縁台に置いている。私が四国へ行っている間、代わりに久美子が盆栽の水やりと、ひよどりのバナナ置きをやっていた。私は足を痛めてすぐ帰って来たのだけれど、その後も立つのも大変だったので、久美子がバナナ置きを続けてやっていた。私が歩けるようになって盆栽の水やりは私になったが、バナナ置きは続けていた。

私は、売れ残りのとか、一番安いのとかのバナナを買ってきていたのだが、久美子は高いのを買ってきている。で、「人間の分」と言って、先っぽをちょこっとかじってから置いてやっている。私の買っていたのより大きいのに、昼まで持たずに皮だけになる。きっと甘いのだろう。

「行っちゃったのかも」と私は言う。

「そうなの」

ひよどりは毎年5月の半ばになるといなくなるのに、今年は、いつまでも庭で騒いでいたので、甘いバナナにつられて居残るのかなと思ったりしていた。

翌朝見ると、早起きの久美子がもう新しいバナナを置いている。勿論先っぽはちょこっとかじられている。昨日のバナナは半分残ったままだ。新しいバナナも久美子以外がかじった形跡はない。

「行っちゃったみたいだな」

 久美子は黙っている。

 いつもなら、次から次にやってくるのに、庭にはヒヨドリの影さえない。やはり、ひよどりは季節を間違えたりしないようだ。

 

 今までいつも犬とか猫とかがいた。最初は、迷い込んできた犬を、息子が「捕まえた」と離さなかったのが始まりだった。「動物園のおじさんは動物を捕まえるのが上手だね」と、いつか自分も捕まえてみたいと思っていた頃だ。

その犬が14年生きて死んだら、久美子が子犬を抱えてきた。息子は東京へ出て大学に通っていた。その犬も14、5年は生きただろうか。東北沖地震の年に死んだ。耳が聞こえなくなって、歩くのがつらそうでも、引き綱をつけるとゆっくり歩き出した。それもできなくなり、同じ所をくるくる回転するしかできなくなった。鎖が体に巻きつくので、鎖をはずしていたら、ある朝居なくなっていた。もう歩けないと思っていたので油断した。探すと、いつもの散歩道の途中の田んぼの縁に隠れるように横たわっていた。車で連れ帰ったがもう立つことさえできなかった。久美子はスポイドでミルクを一生懸命飲ませていた。

 私が抱いて帰った子猫もずいぶん長くいた。歳老いて、寝てばかりになったある日、やはりいなくなった。探したのだが、とうとう見つからなかった。

 犬も猫も、最後は死に顔を見せないためにどこかに行くというけれど、そうなのかもしれない。

インコや熱帯魚もいた。子ども二人と生き物でにぎやかだった。今は久美子の父の残したメダカが農業用の水タンクにひっそりいるだけだ。子供たちもひとり立ちをして遠くへ行ってしまった。

ときどき、「犬飼う」、と久美子が言ったりする。でも、「散歩大変だから」、といつも私が言う。久美子はそれ以上は言わない。

 

「ヒヨいなくなって静かね」

庭を見ながら久美子が言う。

庭は、花が終わり、伸び放題の梅や、マグノリアや、木瓜や、蝋梅やいろいろな木の葉が春の光の中だ。その光の中で白い蝶が戯れている。