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痛 風
著者 田 敞
「昨日風呂で寝ちゃった」と久美子が言う。
「よく沈まなかったこと」
昨日、久美子が、知り合いのおばさんの父親が酔っぱらって風呂に入って、眠って沈んでしまった話をしたばかりだ。遅いからと見に行った時は手遅れだったという。何年も前のことのようだ。
「洗い場で椅子に腰かけてよ」と久美子は言う。
「残念」と笑う。
「そうはいかないわよ」とつねりに来る。
オットットと逃げる。
「沈んだらどうしよう」
ちょっと心配している。このひと月、急に風呂好きになって、1時間ほど入っている。たまに声をかけると寝ぼけた返事が聞こえる。
「沈まないよ」と腕で大きな腹の真似をする。
「自分だって中性脂肪で内臓脂肪なのに。みんなに言っちゃうかな。敞さんは中性よって」
「誰に言うの」
「みどりさん」
「だめだめ」
「緑さんなら喜んで相手してくれるわよ」
「そうかな」
「ほら、鼻の下のびた」
先日血液検査をして、中性脂肪が突出していたのだ。
「疲れだよ」と言ってやる。
久美子は、昨日も、朝早くから草刈りをして、午後からバードゴルフに行って、その後、エアロビクスを始めると言って夜に近くの公民館に出掛けた。
最近は毎日バードゴルフだ、卓球だと何かしら出かけている。その上に,母親を車いすに乗せて散歩に行ったり、ウォーキングをしたり、草刈りをしたり、タケノコ掘りをしたり、と、一日中動きまわっている。それまで、ゴロゴロ寝転がって一日中本ばかり読んでたのが、先月から急に動きだした。本人が言うには2年ぶりだという。いや2年どころではないなと思ったが言わない。図書館でほぼ毎日本を借りてきてやっていたのは、はるか前からのような気がする。その本を読まない。本どころか、毎日1時間はかけて読んでいた新聞も読まない。とにかく動きまわっている。
私はというと、このひと月ほどひっくり返っている。図書館どころか靴をはくのが大変な日が続いた。足が腫れて、病院に行くと、痛風だという。血液検査の結果を見て、医者は、発作が起こっている時は尿酸値は下がるのですとか、中性脂肪値が高い人は痛風になりやすいんですよとか言う。尿酸値は正常だったからそう言うのだろうと邪推する。原因はなんであれ、痛かった。最初の1週間は這ってトイレに行っていた。
久美子は「家で修業しなさいっていってるのよ」と笑ってる。エアロビで会ったみどりさんたちには、「追い返されたのよ」と言った、と言って笑っている。私もそう思う。
ひと月半四国を歩いて来る筈だった。それが1週間もしないであっさり足を引きずって帰って来た。誰にも内緒で出かけたのはそんなことになるだろうと思ったからだ。あっさり帰ってくるのはこの前の二の舞だから。それっきり、足が腫れて痛くて歩けない。だから、医者に痛風ですと言われても信じられなかった。2週間たっても腫れは引かないので、違う医者に行ったらやはり同じ診立てだった。言うことも同じだ。
で、諦めて、薬を飲んでる。幸い痛み止めが効く。昔からの腕の痛みは変わらないのだけれど、足の痛みには効くようだ。
娘が、メールで、「激しい運動をしたら痛風になる」ということを知らせてきた。その仕組みもこまごまと書いてあった。持つべきは娘だ。「いい子だなあ」と久美子に言う。「博学だなあ」と言ったら、ネットの受け売りと言ってる。
そのひと月半の間に、庭も変わった。木瓜が満開になり、散った。チューリップが咲いて今は枯れる寸前だ。咲き続けていたパンジーもさすがに盛りを過ぎた。アネモネも、咲いて綿の種を飛ばして消えた、カリホルニアポピーもあでやかに風に揺れていたのが今はとがった実の方が多くなった。そのたびに、歩けてたら、高知市かな、とか、足摺に着いてる頃だな、とか、道後温泉に辿りつけたかなとか思った。1回目に行った時は道後までたどり着けずに、土砂降りの中、途中の巨大銭湯に泊ったのを思う。ラナンキュラスがあでやかに咲き、日本シャクナゲが咲いた。そろそろ、香川に入るころだなとか、考えているうちに、5月が半ばになった。今年初めてのツマグロヒョウモンが飛んだ。歩けてたらなあ、もう結願だな、と、ひとり思う。久美子には言わない。恥ずかしいからだ。
足の痛みも消えた。腫れが少し残っているだけだ。
「お大師さんがその間家で修業しなって言ってるのよ」と久美子が言った通りだ、と思ったりする。
今日はシトシト雨だ。四国で遭ったおじいさんやおばあさんや外国の若者たちはもう結願して、家に帰っただろうなと思う。庭も、林も、山も緑だらけだ。もうすぐ夏だ。
H29,5,20