あちらを立てれば

(同時刻の相対性)
これは、以前にも少しずつ書いてきたことですが、ここで、まとめて書いてみたいと思います。

 「光の速さは一定である」ということの相対論の定義
 光の速さが一定であるということには、二つの状態があります。
ひとつは、光源が動くときです。もうひとつは観測者が動くときです。
A  光源が動くとき(光速普遍)
 ジェット機の出す光も、車のライトも、ヒトの持つ懐中電灯の光も、家の中の光も、みんな同じ速さである。
 これは光源の速さは光の速さに影響しないということです。光は真空中を常に30万キロで進むということです。これは相対論でなくてもいえます。どちらかというと、絶対速度なので、相対論とは相容れません。絶対速度30万キロがあるということは、絶対速度0キロメートルがあるということです。相対論では、絶対静止はないということが基本原理だから、相容れません。
B  観測者が動くとき(光速普遍)
 どの観測者に対しても、光は同じ速さである。秒速10センチで動いている人にも、秒速1万キロで動いている人にも、光は秒速30万キロで近づき、30万キロで遠ざかる。
 これこそ相対論の真髄です。
 アインシュタインはこれを、「真空中の光の速度は、何に対しても常に同じ30万キロの値をとる。」と提案しました。そして、「なぜそうなのかを、問う必要はない。」としっかり予防線も張っています。
 するとこんなことが起こると説明されています。
 飛んでいるロケットの真ん中で、あるひとが光を出します。この人に対して、ロケットの前後の壁はいつも同じ距離にあります。光は、光速度普遍の原理でこの人に対して同じ速さで前後に進むので、光は同時に前後の壁に当たります。
 新幹線の中で、ボールを前後に同時に同じ速さで投げたときもボールは前後の壁に同時に当たります。この慣性の法則と呼ばれる現象とよく似た結果が出ます。
 同時に、このロケットの外でこの光を見ていた人にはこう見えます。
 光は、この外の人に対しても、同じ速さで進むので、この人から前後に同じ時間に同じ距離だけ進みます。しかし、その間に、この人に対してロケットは前方に進んでいるので、光は後ろの壁のほうに先に当たります。ロケットに乗っている人から見ると、前後の壁に同時に光は当たるのに、外で見ている人には、後ろの壁に早く当たります。矛盾が生じます。
 このように、同じ現象が、観測者の立場によって同時刻であったり、同時刻でなかったりします。これを、「同時刻の相対性」というそうです。時間が狂うということだそうです。
 またこれは、観察者に対して、光の速度が一定ということなので、観察者の速度に光の速度が連動することになり、光そのものの速度がさまざまに変化するということになってしまうので、(A)真空中の速度は一定ということと矛盾が生じます。新幹線の中のボールの速度が、新幹線の速度に連動するので、投げた人の速度が一定でも、新幹線の速度により、地面に対する速度が変化するのとよく似ています。
 違いは、新幹線内のボールの場合は、外の観測者から見ても、同時に前後の壁に当たることです。ボールの場合は、外の観測者の影響はありません。光の場合は外の人が見た場合は外の人の速度に連動することになります。外の人が立ち止まっているときも、歩いているときも、自動車で走っているときも、その向きが、列車に反対でも同じでも、ちゃんと光は連動して、その人に合わせて動きます。指一本も触れないのにです。いえ、相対論ではそういうことは想定しないのです、外の人はちゃんと静止していなければならないのです。絶対静止は存在しないと、相対論者は言うのにです。
    
考察
@  A 光源が動くとき(光速普遍)が正しいという理由
 音と比べると、音とよく似た現象であることが分かる。
 歩いている人の声も、マッハ2で飛ぶジェット機から出た音も同じマッハ1で伝わる。音は音源の速度によって伝わる速さは変化しない。光もこれと同じ現象を起こすと考えられる。
 これは、音も光も、振動であるので、そのものは慣性質量を持たないから、音源や、光源の速度を運動エネルギーとして保存できないからでしょう。
  
A  (A)だけが正しいときの現象を考えてみます。
 光は、光源の速度に影響されずに、どこでも一定のスピードです。
 すると、こうなります。ロケットの真ん中から出た光が前後の壁に到達する間に壁は動いているので、光源と、前の壁との距離のほうが後ろの壁との距離より長くなるので、後ろの壁のほうに光は先に到達することになります。これは、上記の外部観測者の観測と一致します。内から見ても、外から見ても同じに見えます。この場合は、時間も、距離も縮めたり伸ばしたりする必要は生じません。相対論とは相容れません。
B  B 観測者が動くとき(光速普遍)が正しいという理由について
 これはとても難しいです。
 (a)マイケルソン、モーレーの実験で確かめられたと人によっては言います。(なぜか、アインシュタイン自身は、この実験について、なにも言っていないということです。)
 しかし、そうでしょうか。この装置は、動いていても、止まっていても、ガリレイの相対論から考えると、常に長さは変わりません。すなわち距離は一定です。光の速度も、同じ光を分岐させるのだから同じです。そして同じところで分岐して、同じ距離を進んで同じ分岐点に戻るのだから、光の進んだ距離は同じになるはずです。同じ距離を同じ速さで進むのだから同時に出発した光は、同じ所に同時に戻ってくるのは当たり前です。(A)の、光は真空中を一定の速さで進むという、光速普遍だけで十分です。ここからは、光の速度は、観測者の速度に合わせるという光速度普遍は出てきません。
 この光が同じところに戻らない場合について考えます。
(A)の光速普遍だけでは到達時刻が違ってしまいます。たとえば、この実験で、進行方向においてある鏡と、直角方向においてある鏡への到達時刻です。進行方向の鏡への到達時刻が遅れるはずです。光が鏡に到達する間に、前方の鏡は少し前に進んでいるはずです。すると直角方向の鏡より距離が長くなるので遅れるというわけです。前方の鏡に対しての、光の相対的な速度が遅くなるということです。そして、帰りは反対に距離が短くなるので相殺されるというわけです。相対的な速度が速くなることです。ただこのことを算数で求めるのはさすがにちょっと困難です。
 また、直角方向の鏡も、あまり移動距離が長いと、光は鏡に当たらなくなります。鏡も、元の場所も移動しているので、光は3角形の軌跡を描くことになります。三角形の斜辺の長さが出てくるので、これを計算でとくには、算数では無理ですね。
(B)の光速度普遍でももちろん同時につきますが、原理は違います。観測機械に対して光速度になるので、どの方向でも、行きも、帰りも同じになります。相対速度が変わらないということなので、観測装置が止まっているのと同じと考えればことは足りるようです。とても簡単です。 
 しかし、このとき異なる速度の慣性系間では光の速度が違ってきます。そのために、動くと距離が縮んだり、時間が伸びたりするわけです。これは、普通の数学でも解けません。とても難しくなります。あちらを立てれば、こちらが立たずというわけです。
C  ロケットの中の観測者にはどう見えるのか、思考実験
 観測手段1
 まず、マイケルソンたちの考えた実験の模倣をして見ます。前後の壁に鏡をつけて、戻ってきた光を中央で干渉させて見ます。
a  (A)だけが正しいとしたとき
 光は絶対速度です。壁も観測者も光と関係なく動きます。
 光が光源から壁に向かっているときは、先ほど述べたように前方の壁との距離の方が実質的に長くなって光は後方の壁に早くつき反射します。しかし帰りはそれとはそっくり逆になって、後方の壁から観測装置までの距離が長くなるので、後方の光のほうが遅く戻ってくることになります。そうすると往復でかかった時間は相殺され、同時に観測装置に戻ることになり、干渉縞は現れません。
b  (B)が正しいとしたとき
 相対論では、同時に前後の壁に着き、反射され同時に中央に戻ってきます。アインシュタインに言わせれば、「なぜそうなるかは問う必要はない。」です。
c  結果
 相対論でも、古典力学でも中央で観測する限り干渉縞が現れないのは同じです。したがってこれではどちらの壁に早く到達したかは観測できません。
 観測手段2
 そこで、壁に時計を置きます。中央で合わせてから、前後の壁に置きます。光が当たったらその瞬間に止まるようにセットします。そして、そのメモリを望遠鏡で読みます。さてどうなるでしょう。
a  (A 光速普遍)だけが正しいとしたとき
 後ろの壁の時計が早く止まります。
b  (B 光速度普遍・相対論)が正しいとしたとき
 前後の壁に同時に着くというのが相対論ですから、同時刻をさしています。
c  結果
 どの意見を正しいとするかで結果が違ってきます。なぜなら、これは、思考実験だからです。実験者の判断が実験のすべてだからです。ほんとうの実験をやるとどうなるのかは、やってみないとわかりません。
D  音と比べてみます。
 音の伝わり方を考える
 超音速のコンコルドの中で話しても、話は普通に通じます。コンコルドは音速の3倍で飛ぶとかいうので、話し声は後ろに残されて前の人には聞こえないように思えます。でも、普通に話すことができます。相対論の光の現象と同じようです。でも、仕組みはまるで違います。話し声は空気を伝わっていきます。音速は、その媒質この場合は空気に対する速度です。
 コンコルドの内部の空気は機体といっしょにマッハ3で飛んでいます。コンコルドの速度は空気が保存します。声はこの空気の中をマッハ1で伝わるので、中の空気を基準にして、前方へも後方へもマッハ1で伝わります。したがって、真ん中で出した声は前後の壁に同時に当たります。
 外から観測すると、声は、前方へ、マッハ3+マッハ1すなわちマッハ4で飛んでいきます。後方へはマッハ3-マッハ1、すなわちマッハ2で前方へ飛んでいきます。早い話、声は飛行機とともに飛んでいきます。新幹線のボール投げと同じです。
 一方、コンコルドが外部に出す音は外の空気の中を進むので、コンコルドにおいていかれます。外の空気は、秒速3とか4メートルなので、外に出た音は、前方へマッハ1±3か4メートル、後方へマッハ1±3か4メートルとなり、コンコルドに追いつくことはできません。だから、コンコルドの真ん中から外に出された音は後ろには到達しますが、前には到達しません。
 これはもっと速いロケットでも、遅い自動車でも同じ現象がおこります。
 上に書いた相対論の光とよく似た結果が出ます。
 光も波だということを考えると、相対論が証明されそうです。
     
 考察
 なぜ相対論の光の現象とよく似た結果が出るのか考えて見ます。
 ともに、波だからというのが共通点です。違う点は、光には光を伝える媒質がありませんが、音には空気という媒質があることです。
 音は、空気の動きと連動して動きます。だから、飛行機の中では、空気も飛行機と同じに動いているので中央から出た音が前後の壁に同時に到達するのは相対論でなくても説明がつきます。この場合、飛行機の運動エネルギーを、空気がもらって、間接的に音に伝えていると考えられます。
 しかし、光には媒質がありません。したがって、ロケットの動きを光に伝えるものはありません。光はロケットの速度に影響されずに独自の速さで動くはずです。
 すると光は後ろの壁に早く到達するはずです。上記のロケットの話の、外から見た光と同じになるはずです。
 では、現実に光が遅れる様子が観測されているかというと、私は知りません。ただ、光の速度と、現実に体験している人間の速度の違いがあまりに大きいので、今のところ、人間には、感じることができません。普通の人の、最高速、秒速400キロメートル(地球の速度)にしたって、光の30万キロメートルの、測定誤差の範囲内です。
 いつか、光速ロケットができた暁には、「え!後ろの人が消えた。」ってことになるかも知れません。
 これを、ロケットの中に観察者がいると、どうして同時に光が前後の壁に当たることになるのでしょう。観測者の「気」ですか、「眼力」ですか、それとも「相対論でそういっている」からですか。こっとん
並刻記   
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