絵に描いた餅はおいしいですか の2

蒸し返し
また、相対的な動きがあるかないかです。
1 問題
ほかに何もない宇宙を、ロケットAとBの二機がすれ違います。ほかに比較するものはありません。
このロケットの動きについて、ニュートンとアインシュタインでは考え方が大きく違います。そのことについて、また検討します。
答え
A ニュートン氏の考え方。
絶対静止が存在するという考えが基本にあります。
だから、(1)Aが動いていて、Bが動かない。か(2)Bが動いていてAが動かない。か(3)AもBも動いている。の3つの場合を考えます。すれ違うのだから、両方止まっている場合はありません。
 3つの場合があっても、実際は、どれかひとつに決定されます。(1)でもあり、(2)でもあるということはありません。必ず、どれかひとつです。つまらないくらい常識的です。
B 相対論の考え方   
絶対静止が存在しないということが基本にあります。
だから、(1)Aが動いていて、Bが動かない。か(2)Bが動いていてAが動かない。の二つの場合を考えます。宇宙に二つしかないからAを基準に考えるか、Bを基準に考えるかしかないので、両方動くと両方止まっているはありません。基準は動かないのでそうなります。
しかも、どちらが動かないか誰にも決められないので、(1)と(2)はどちらも同時に存在します。不思議な世界です。とても楽しい非常識の世界です。
 二つの考え方は月とすっぽんです。
検証します。
今度は回転です。3歳の子供が、補助車つきの自転車を買ってもらいました。うれしくてきゅきゅきゅくきゅきゅきゅくこいで走り回っています。
A 前輪が回転しているときを考えます(地球が基準です)
{ニュートン力学です}
 前輪が回転しながら、時速3キロほどで進んでいます。地面は、自転しながら太陽の周りを公転しています。そして太陽は銀河の周りを、・・・となります。とても簡単です。
{相対論です}
 地面を基準に考えると、前輪が回転して、前輪は地面に対して時速3キロで前進しているといえます。子供はどのような状態になっているのか私には分かりません。相対論では素直に自転車に乗れているとは考えられません。
 もちろん地面が止まっているのだから、宇宙が地球の周りを回転しています。一種の天動説の復活です。いや、地球が止まっているのだから全宇宙が止まっているという考え方もあります。多分相対論ではこちらです。必ずといっていいほど1対1の対応です。AもBもCもDも・・・・・・というような自然界に普通に見られる複雑な対応は考えません。究極の原理を考えるのだから、余計なものは排除して考えるというのらしいです。だから前輪とその他のすべての対応になります。前輪とそのほかの全宇宙ということです。前輪てすごいですね。
 では車輪を基準に考えるとどうなるでしょう。前輪が止まると、前輪の車軸を中心に自転車も、子供も、地球も、宇宙も回転を始めます。
 本当にそのようなことが起こるのか試して見ます。
 前輪の中心に小型ビデオカメラを固定して撮影します。前輪の回転とともにカメラは回転します。そしてそれをテレビで再生すると、世界が回転しているのが写ります。これは、カメラが固定された場合、すなわち前輪が止まっていた場合の地球の動きが映されていると考えられます。性能のいいカメラなら、太陽や星の回転も写るでしょう。
 そうです、前輪を基準にすると、宇宙が回転するともいえそうです。相対論の勝利です。
 でもそれでほんとうにみんな満足なのかちょっと考えて見ます。太陽が、東から昇り、西に沈むのに、「それでも地球は動く」と言った人がいたように、見かけと本当のことが食い違うことはざらにあるということですから。
B 動いている前輪が止まっているとした場合です。(前輪が基準です)
a 地球が回転している場合を考えます
 このとき、ビデオカメラの映像のように、周りが回転しています。アメリカやフランスやカメルーンが映ってないので、地球が回転しているかどうかはこの映像からは判断できませんが、地球は1個の球体であるという考え方が一般的なので、地球も回転していると考えられます。
 すると、このときの地球の回転の中心は、地球から20センチほど離れた自転車の前輪の車軸になります。このとき、地球と自転車の前輪を合わせた質量の中心は、地球の中心にあります。回転の中心と、質量の中心がこれほど離れた場合の回転の力学的法則はどういうものなのでしょう。1秒間に前輪の周りをほぼ1週する地球の遠心力をとどめておく力は、前輪のどこにあるのでしょう。ローレンツ変換でも何でもいいので、計算してみてください。少なくとも、ケプラーや、ニュートンではだめです。彼らの計算ではこういう地球の運動は不可能であるとしか出ません。
b 太陽を考えます。
 太陽はやはり前輪の周りを回転しています。1秒間に1回転です。その速度はというと、太陽までの距離、1億5千万キロかける2πです。約18億キロです。これは光の6000倍のスピードです。もちろん、ニュートンでもケプラーでも、このような太陽の動きは不可能であるとしか出ません。そればかりか相対論でも光より速いものはないと定義されているので、このような太陽の動きは不可能であると出ます。この矛盾はどう説明するのでしょう。まさか、それは見かけ上のことで、本当には起こっていないことだから、問題にしないでもいいのだなんていわないでしょうね。
 
考察
  ではビデオの映像はどうする。確かに回転していた。
  そのとおりです。でも、それは映像です。映像には質量はありません。物体から出された質量のない光という電磁波を磁気テープに保存しているだけです。
  このカメラの映像を、固定したテレビで見ると、映像は回転します。けれど、回転しているのは映像なので、質量はありません。本物が回転しているわけではないので、力学的には何の矛盾も存在しません。本物の象を鼻息で吹き飛ばすことはできなくても象の写真ならふっと吹き飛ばすことが可能なのと同じです。
  では太陽はどうなるでしょう。もし、この中に太陽が映っていたら、太陽も回転します。太陽は光速で回転しているのでしょうか。いいえ、テレビ画面の中の太陽は、テレビ画面の中を、1秒間に1周です。本当に太陽が車輪の回りを回転するように光速になることはありません。日常的なスピードです。アンドロメダ銀河が映っていても同じです。テレビ画面の中を1秒間に1周します。決して超光速にはなりません。
 別に、光速を超えるものがあっても相対論でなければ困りはしないのですが、光の6000倍もの速さで太陽が地球の周りを回ったひには、一日が1秒間になってしまって、0.5秒で、夜と昼が交代して、めまぐるしくてとてもやってられなくなりそうだから、やっぱり、1日は24時間ぐらいあったほうが落ち着くんじゃないかなとおもいます。
結論
 マイクロビデオカメラを車輪につけて回転させることは、3歳の子供でも十分にできます。しかし、地球や太陽を回転させることは、3才の子供にはとてもできることではありません。
 それは、本物と、見かけを区別しようとする、旧態然とした考え方だと言われれば、そのとおりです。でも、ニュートンまでの人たちが見つけた、自然界の運動の仕組みで、車輪が回転する仕組みは説明がつきます。でも、車軸を中心として宇宙が回転するという仕組みはどのような自然界の仕組みからも説明できません。
 それは、見かけ上起こっているから、本当に起こることとは違って、力学的な運動の法則は適用されないとでもいうのでしょうか。それでは、本当と見掛けを区別しようとするのが間違っているというのはいただけません。本当と、見かけは、力学的な法則がまるで違うのですから、はっきり区別しなければなりません。
 早い話、相対的な動きは見かけ上も起こっていなくて、理論の中だけの観念としたら、全ては説明がつきます。もちろん、旧態然としたひとつも面白くない考え方ですが。
 ただ、「古い」と「間違っている」とは判断基準がまるで違うものです。わざわざ、長さの違った物差しを使って実験しているようなものでしょう。
 そんなことでは、そのものでは正しいことが証明できないので、ほかの関係ない価値基準を持ち込んで、言葉尻上つじつま合わせをしているととられかねません。

ということで、物は相対的に動くということは、現実には存在していないと私は思います。「事実」と、「見てくれ」を区別するのが古い考えといっても。古い考えが正しい場合も多々あるのですから。
ちょんとぽい 04,2,1並刻記
あちらをたてれば
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王様は裸だ!目次