見た目がすべてですか

双子のパラドックス(矛盾しているようで正しい説)とは
 これはスピードと時間の関係のことです。アインシュタインという人の相対性原理という理論から出てきた問題だそうです。物にしろ、光にしろ、スピードが速くなればなるほど時間の経過が遅くなり、光の速さになったら時間は止まるという理論と、宇宙には絶対的な静止点がないので、全ての動きは相対的であるという二つのことから出てきた問題だそうです。
A 問題とは
 双子がいて、そのうちのひとりが光速で飛ぶロケットに乗って宇宙旅行をしてきたら、二人の年齢はどうなっているかという難問(?)だそうです。
 ロケットに乗ったほうが、光の速さで飛ぶために、時間が遅れ、歳をとらないから若い。というのがひとつの考え。これだけならパラドックスにはなりません。
 ところが、宇宙には決まった静止点がないから、ロケットに乗った兄を基準にすると、地球にいる弟が、光の速さで向こうに飛んでいっているといえる。だから、光速で飛んでいるのは弟だから弟が若いといえる、というのです。
 弟から見れば兄は歳をとらない。兄から見れば弟は歳をとらない。どちらも若いというのです。こんなことがあるわけがありません。しかし、理論から考えると間違いはありません。矛盾している、しかし正しいということでパラドックスになるそうです。
B ついで
 ところで、弟の周りの人たちはどうなるのでしょう。弟だけ歳をとらないのは、変に思われないかしら。大丈夫、周りの人たちも、兄から見れば光速で飛んでいるのだから、歳をとりません。
 ということは地球全体の時間が止まるということです。犬も猫もミミズもおたまじゃくしも、みんなみんな仲良く歳をとらない。兄一人が光速で飛ぶと地球の時間が止まる。これは大変です。
 でも大丈夫、幸いなことに今まで誰も光速で飛んだ人はいません。これからも、まあしばらくは光速で飛ぶ人はいないでしょう。だから地球はここしばらくは、ストップモーションにならずにすむ。めでたしめでたし。とはいかないんですよね。
 これに対して、それは、兄から見た、見かけじょうのことで、実際の地球上では普通に時間が経過している、という意見もあります。なら、最初から、時間が止まるというのは幻想であるといえばいいので、相対論は幻想空間の原理であり、現実とは無関係であるということになってしまいます。
 矛盾しているけれど正しいというけれど、どうですか。矛盾は見つかるけれど、正しいところは見つからないのですが。
解決意見
A 「不思議宇宙のトムキンス」の方法
 こういう解決方法を考えた人がいます。 兄は出発するとき加速している。そして戻るためにも減速している。したがって、加速し減速しているのは兄だけである。このことが兄だけが歳をとらない理由であると。
 「不思議宇宙のトムキンス」ではこれを、「ホームにいる人はよろめかないが、列車に乗っている人はよろめく」ということで解決しています。よろめくほうだけが加速度を受けているというわけです。加速度を受けた人のほうが時間が止まるといっています。
なぜか、ニュートンの慣性の法則です。ニュートンで、相対論を証明しようというわけです。ニュートンは、絶対静止を基準にしているので、相対論とは相容れないはずなのですが。これもパラドックスですか。
 光速で、ロケットが一定運動しているときは、兄から見れば、地球が光速で反対方向に運動していると見えるなら、ロケットが加速運動しているときも、兄から見れば、弟が反対方向に加速運動していると見えるはずです。よろめこうがよろめくまいが。(電車は床だけが動くからよろめくけれど、相対的に動くのが許されるならばホームも体も全体が同時に同じ方向に動くのでよろめかないはずです。)これは減速しているときも同じはずです。ということは、まるっきり相対的です。すると、また、どちらも若いというパラドックスに陥るわけです。上記の方法では解決できないということです。(特殊相対論と、一般相対論の違いだそうです。)
B 考察
相対的な状態とは
 地球に残ったほうを弟、ロケットに乗ったほうを兄とします。弟から見れば、ロケットに乗った兄は光の速さで飛んで行ってるのは確かです。はんたいに兄から見れば、地球に残った弟は確かに光の速さで、自分から遠ざかっているともみえます。相対論からいうとこれは正しいことです。でも、それが同じことであるだろうかあえて考えてみようと思うわけです。
 子供のころ、川のそばに住んでいました。橋の上から、下を通る船をじっと見詰めていると、そのうち、船が動いているのではなく、自分が動いているような錯覚に陥いります。それが面白くて、船が来るのを橋の上で待っていたものです。
 同じように、隣のホームの電車が動き出したのに、自分のほうが発車したように思えた経験をしたことがあるでしょう。
 ロケットの話はこれによく似ています。違うのは、どんなに自分が動いているように思えても、そうではないのだと知っていることです。理由は、自分がつかまっている橋の欄干が自分と一緒に動いているからです。橋が、地面から取れて動くわけはないからです。駅も、よく見ると、ホームの位置が変わらないので動いているのは向こうだと分かるのです。
 もちろん、それは基準点を地球においているからそう思えるだけで、宇宙全体に基準点が存在しないのだからどちらが動いているかは決められない、というのが相対論ですけど。

 
エネルギーから考える
 兄が西に飛ぶことが、弟が東に飛ぶことと同じことであるという相対論の主張をエネルギーの問題で考えて見ます。
 自分が動いているのか、船が動いているのかです。相対論ではどちらも○です。でもそうでしょうか。ヒントは橋の欄干です。それには地球がくっついています。地球がそんなに簡単に動くでしょうか。
 兄が西に飛ぶとき一緒に飛んでいるのは、ロケットとそれに乗っている人や物だけです。しかし、弟が東に飛ぶときは、弟がいる地球も東に飛ぶことになります。地球が飛ぶことは、太陽も一緒に飛ぶことです。ということは、銀河系も一緒に飛ぶことです。ということは、宇宙全体が東に飛ぶことになります。もちろん、「そのとおり」と相対論者は言います。それこそ、常識を打ち破った相対論の真髄であると。
 確かに宇宙に、絶対的な静止点がないとすると、見た目はそのとおりかもしれません。しかし、ロケットひとつ飛ばすエネルギーで宇宙全体が動くでしょうか。宇宙全体にロケットをつけて、東に飛ばして、弟を東に飛ばすことと、兄のロケットを西に飛ばすことで、弟を東に飛ばすこととはその消費エネルギーがまったく違います。
 水爆を百個爆発させても地球だけでさえロケットのようには飛ばせません。なのに、ロケット1機を飛ばすエネルギーで宇宙全体を飛ばすことができるというのです。それが正しいなら、ニュートンのエネルギーの法則ばかりではなく、アインシュタイン自身が提案している、E=mcという式さえも無意味になってしまうのではないでしょうか

 上のよろめく問題もエネルギーで考えて見ます。
 電車は、まず電気エネルギーで、モーターが回ります。それが車輪に伝わります。電車が動きます。そのエネルギーが体に伝わります。そのとき、立っている人には、足からエネルギーが伝わります。足が前に動きます。体はまだエネルギーをもらってないのでそのままの位置に残ります。よろめきます。そこで人はあわてて、踏ん張って、エネルギーが体全体にうまく伝わるようにします。体も前に進みます。電車が加速されている間は、人はふんばって足からくるエネルギーを、体全体に伝えなくていなくてはなりません。常にそれぞれに変化する運動エネルギーに対応していなければならないのです。いわゆる、ニュートンのエネルギー不変の法則と、慣性の法則です。
 では、そのエネルギーはどこから来るかというと、知ってのとおり、元は太陽の核反応エネルギーや原子力エネルギーです。それを電気エネルギーに変化させたものです。エネルギーの根源まで途切れることなく遡れます。
 一方、ホームにいる人はどうでしょう。電車が走り出すのと同時に、電車から見ると、反対方向に、どんどん加速されながら遠ざかっていくように見えます。相対論から言うと、これは電車が止まっていて、ホームが動いていることになります。でも、ホームを動かすエネルギーは何なんでしょう。動いているのに、その運動エネルギーはどこからも供給されていないという不思議が出てきます。
 もしこれが可能なら、これを個々に働かせる研究をすると、モーターも、エンジンも要らないエネルギー消費が0の究極のクリーンな交通システムができそうです。え!できるわけないって。相対論が正しければ大丈夫できるはずです。
結論
 結論は簡単です。本当に動いているのは、エネルギーを使っているほうだけです。もう一方は、見かけだけで、動いてはいません。物は、相対的には動かないのです。
 この問題について造詣の深い人の本に、この現象が現実に起こるかどうかからこの問題を論じるのは、双子のパラドックスの問題の本質を知らない人だという意見がありました。しかしそうでしょうか。この問題を提出した人は、相対論が現実に起こったとしたら、こんな矛盾が生じるよ、どうすると問いかけたのです。理論と事実とのずれを問題にしたのだから、むしろ、相対論が現実に起こっている、あるいは、起こりうるのかを検討するのがこの問題の本質であると思うのですがいかがでしょう。
 この問題の本質は、スピードが出ると、時間が遅れる(光速度は普遍である)ということと、絶対的な速度はなく物事の動きは相対的である(速度は普遍ではない)という原理(本当は仮説にしか過ぎません)そのものが互いに矛盾していることです。互いに矛盾する原理(仮説)を立てて、常識を打ち破ったところがすばらしいなどと平気な顔して何一つ検証しないことがこの問題の本質でしょう。
 少し考えてみると、この二つの原理(仮説)が事実の上に立っているのではなく、空想の産物だということがわかるでしょう。
 相対論が起こるのはきまって、思考実験とかいう、白日夢の中だけです。現実の中では何一つ起こりません。いや、いくつかのことが、理論どおりに実際に起こっている、よく勉強しなさい、といいたいでしょう。でも、アインシュタインリングも、太陽近辺の星の位置の違いも、水星の動きの狂いも、加速器の中の粒子のエネルギー問題も、相対論とは関係ないことが原因であるということは、ほかの項で述べました。そのほかのことも、観測誤差か、相対論者の欲目にしかすぎません。
 相対論が幻想四次元空間のすばらしい理論でも、人間のいるこの宇宙の営みは、旧態然とした現実三次元空間の法則で動いているのです。
 どんなすばらしい理論だって、事実と違うなら、理論のほうが間違いなんです。科学はシビアなんです。でも相対論だけは、事実のほうが間違いなんですよね。事実などという常識を打ち破ったところが、アインシュタインのすばらしさなんだから。ぽんところんだ。
2004年1月3日 並刻記

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