Newton9月号相対性理論Q&Aへの反論3
重力による時間の遅れ Q8
(以下「 」内はNewtonから引用です)
1 問題
学生―「・・・ブラックホールの境界面では,時間の流れは止まってしまうのですよね?ブラックホールの境界面近くから外を眺めると,外の世界の時間は猛烈なスピードで流れ去ることになるのですか」
教授―「そういうことになります。逆に・・・ブラックホールに落ちていく人を見ると、時間の流れがどんどん遅くなるので,しだいに落下する動きは遅くなっていくように見えます」
2 考察
時間の流れは見ることができるか。ということを考えてみます。
(1)思考実験
@ 実験条件の仮定
ブラックホールの境界面上の人(A氏)が1秒たつ間に、外の世界の人(B氏)は1日たつとします。
A 実験
2005年9月1日午前0時に実験を開始します。
(実験開始から10秒後)
A氏は2005年9月1日午前0時10秒にいます。
B氏は2005年9月11日午前0時にいます。
A氏からB氏は見えるでしょうか。また、B氏からA氏は見えるでしょうか。
あなたは10日未来の人や物を見たことがありますか。あるいは、10日過去の人を見たことがありますか。見えると思いますか。
(実験開始から1分後)
A氏は2005年9月1日午前0時1分にいます。
B氏は2005年10月31日午前0時にいます。
あなたは2ヶ月先の人や物を見たことがありますか。2ヶ月過去の人や物を見たことがありますか。
(2)種あかし
「ブラックホールに落ちていく人を見ると、時間の流れがどんどん遅くなるので,しだいに落下する動きは遅くなっていくように見えます」
というのが、トリックになっています。
本来、時間の流れを人間は見ることができません。それを見えるようにするために、人の動きに変えてあります。見えないのだから見えるようにするという、正当な理由があります。
時間の流れが遅くなったら、人の動きもそれにつれて遅くなるはずである。人の動きが遅くなったら、時間の流れも遅くなっているという証拠であるということです。
ここでだまされたのです。
時間は運動会ではありません。運動会では、速い人も遅い人も同時に見えます。だから、時間が遅くなったことで遅く動いている人も見えるという論理です。スピードが遅いということで遅く見えるということと、時間が遅くなることで遅く見えるということはまるで違う現象です。動きが遅いというのが同じ現象だから、スピードが遅いと、時間が遅いということまで同じだとうまく錯覚させているのです。
運動会に時間競争という種目を考えてみて見ましょう。先頭の子は超スピードなので明日を走っています、まん中の子は今日を走っています。ラストの子は、遅いので、昨日にまで遅れてしまいました。
観客はこれを見ることができるでしょうか。見えるのは観客と同じ時間の子だけです。人は今の出来事しか見ることはできません。※注1
トリックの種は、時間の流れを人の動きに置き換えたことです。人の動きはたんなる物体の運動なので速くても遅くても見えます。だから、それに置き換えられた時間も遅れても進んでも見えると思い込まされたのです。昨日や明日が見えるわけはありません。そんなことができるのは,SF小説か漫画の中だけです。SFや、漫画がすべて嘘だとは限らない、と怒られる方もいるでしょう。そのとおりです。しかし、時間旅行は嘘だと思います。少なくとも、実証されてはいません。最近の漫画家も腕がいいものだから。しっかり信じ込まされている読者もいるとは思いますが、実証されていないのは事実です。
3 結論
これも、相対性理論の巧みさのひとつです。三段論法が大黒柱だとすると、この、他のものに置き換える手法は、さしずめ、床柱とでもいえるでしょうか。
そのものを見ることができない、とか、想像することができないとか理由をつけて、他のものにちゃっかり置き換えるのです。そしてそちらで証明します。置き換えたほうは、なんということのない現象なので証明できます。では、本当のほうはどうなのかというと、何の証明も、説明もありません。
時間の遅れで、人の動きがゆっくりになったら、その人は見えなくなってしまうのです。(時間が遅くなるなどということがあるとしたら)でも、ふだん、目にしている遅く走る子は消えません。その日常の感覚をうまく利用しているのです。時間が遅れるということはこれまでも、日常ではおこったことがありません。また、これからもおこることはありません。日常では判断できないことなのです。嘘は大きくつけといいます。日常で判断できないと、人は判断を止めて鵜呑みにしてしまう傾向があります。それをうまく利用しているのです。
人の動きがゆっくりになったことと、時間がゆっくりになったこととは違うことです。それが、あたかも同じことのように思わせています。
表面が似ているからその気になるのですが、本質は似ても似つかないものなのです。
比喩が証明されても、本当の問題が証明されたとはいえないのです。それを、見えないから、とか、想像するのが難しいから簡単にするとか言ってごまかしています。
重力によって時間が遅れたりはしません。7月号への疑問で書いたように、重力で時間が遅れたら、太陽はまだ紀元前5600年までしかやってきていません。(※注2)現在に届いていないのです。今ある太陽はなんなのですか。教授に答えてもらいたいものです。
※注1
1万光年先の星の光は1万年昔の星を見ていることになる、という話があります。なら、1万年過去を見ていることになるということです。でも、そうではありません。1万年前に星を出た光が、今、地球に届いたということです。届いたのは光子であって、過去の映像です。過去の星ではありません。昨日、ニューヨークをたった飛行機が、今朝成田に着いたのを見た、というのと同じです。見たのは今ついたばかりの光子です。過去のものではありません。
※注2
太陽系の歴史を40億年で計算しました。実際は46億年だといわれていますから、もっと過去になります。
2005年9月6日 並刻記