Newton2005年9月号

 「相対性理論Q&A」への反論

 

 なぜ光速は誰から見ても同じなのか 

(以下「 」内はNewtonからの引用です)

 

 ここでは、最初に、光速度不変の原理について、述べられています。

「観測者がどんな速さで動こうと、また光を発する光源がどんな速さで動こうと、光はつねに秒速30万キロメートルで進む」

 「この原理を土台にして、相対性理論は築き上げられていきます」

ということです。そこでこのことについて、考えてみたいと思います。

1 光速度不変の原理は証明されたか

(1)問題1

「光速度不変の原理自体もさまざまな方法で精度よく確かめられています。」とあるが、それは正しいか。

ア 「連星」を利用した検証 (Q1)

「 連星から発せられる光は,星が地球に近づいている時も,遠ざかっているときも同じように秒速30万キロメートルだったのです。」

イ 反論

 光速度不変の原理には二つの現象が入っています。

@ 観測者に対して、つねに30万キロメートルで進む

A 光源の速さに影響されることはなく、つねに30万キロメートルで進む

の二つです。

 光速度不変の原理で重要なのは@のほうです。同時性の不一致や、時間の流れが遅くなる現象や、物体がちぢむ現象が起こるのは@のためです。学生が、「そんな不思議なことが本当に正しいのですか」と聞いているのもこちらのことです。

Aのほうは、普通の現象です。音にもこの現象があります。音も音源の速度には影響されません。これは、音も、光も、慣性質量をもっていないから起こる現象です。これは、救急車のサイレンがドップラー効果を起こすことや、連星の光が、やはりドップラー効果を起こすことから実証されています。

 しかし、この現象からは、同時性の不一致や、時間の流れが遅くなる現象や、速さで物体がちぢむ現象は起こりません。ニュートン力学の範疇です。

 では、連星で証明だれたのはどの現象でしょう。簡単です。Aです。@とAはまるで違う現象です。Aが証明されたからといって@も正しいとはいえません。

 したがって、一番肝心なほう、常識では考えられない@のほうは証明されていません。

 相対性理論者は、@とAがまるで違う現象であることを知っているはずです。なぜ、読者が勘違いするようなことを回答をしたのですか。まるで、素人だから、だましてしまえとでも考えているのかと思ってしまいます。

ウ 光速度不変と光速不変 

 @ 光速不変

 「光速は宇宙の中で『絶対的に静止した場所から』から見たときにだけ秒速30万キロメートルになる」

A 光速度不変

「光速は誰から見ても同じ値をとる」

という考えが紹介されています。

 

@は絶対速度です。ニュートン力学と矛盾しません。Aは相対性理論です。

アインシュタインがAを選んだ根拠が、宇宙の中に『絶対的に静止している』といえる場所などないと考えて光速度不変の原理にたどりついたのです」と書かれ

ています。

 ニュートンは、絶対静止があると考えて彼の力学を考えました。

では、「絶対静止」の有無を考えてみたいと思います。

a ニュートンの考え

 バケツの水をかき回すと渦巻きができます。このとき、水は、周りが盛り上がります。これを見て、ニュートンは絶対静止があると考えたと聞いています。

 私なりに理由を考えてみます。これは遠心力です。そのため、回転する水が回りに押し付けられ、盛り上がります。もし、絶対静止がなくて、どちらが動いているか分からないとします。するとバケツが回転しているとしたときはどうなるでしょう。水は盛り上がりません。このことから動いているのは水のほうだということが決められるわけです。

 これに対して、ある相対性理論者は、バケツが回転するときは宇宙も回転している。そうすると、宇宙の回転による磁場が発生して、バケツの水の周りを盛り上げるなどと、壮大なことを書いてある本を見たことがあります。本当にそんなことを思っているのか本心をきいてみたいです。ただ、このときの磁場は観測されていません。水を盛り上げるほどに磁場だから、かなり強烈なはずです。近くのテレビは映らなくなるのじゃないでしょうか。

b アインシュタインの考え

 何もない宇宙空間に2機のロケットを飛ばします。どちらが動いているのか分からないから、絶対静止はない、という考えです。

問題点1 

 分からない=ない、といえるか。いえません。分からないということは、あるか、ないか分からないということでもあります。すなわちあるかもしれないということです。

問題点2

1から10まで観念論です。

 何もない宇宙空間なんて、この宇宙のどこにも存在しません。光は宇宙のどこにも存在します。引力もどこにも存在します。2機のロケットだって、機械が動いています。電気が流れています。電子は動いています。人もいます。それぞれから光が出ています。2機のロケットといっても、1対1対応にはなりません。

 バーチャル空間のバーチャル実験です。こんなことで証明できたといえるのでしょうか。物理学とはたかだかその程度のものなのでしょうか。

 修正すべきだというニュートン力学は,実際の現象から物事を考えています。少なくとも、絵空事ではありません。

 

(2)問題2

 「アインシュタインは光速度不変の原理を、まず仮定し,それを土台にして特殊相対性理論を作りました。そして特殊相対性理論はさまざまな方法で検証され,現在では正しいと認められています。ですから、その土台である光速度不変の原理も正しい,といえるでしょう。」 

(3)反論

ア 間接証明は証明になるか Q2〜Q5 

  これは間接的な証明です。直接「光速度普遍」が証明されたわけではありません。

イ 特殊相対性理論は証明されたのか1

「特殊相対性理論はさまざまな方法で検証され,現在では正しいと認められています。」と書いてあります。本当に証明されたのでしょうか。

@ 同時性の不一致 Q2

 これはどのように証明されたのでしょう。

 直接の証拠は有りません。思考実験という手前勝手なお話だけです。

 「発光弾」を使った思考実験を行っています。

 「宇宙船内の観測者から見ると,発光弾は同時な発射される」とありますが、これは、「光速度普遍」が正しいとすると、という前提がなければ成立しません。「光速度普遍」が間違っているという前提なら、発光弾は同時には発射されません。

前提によって、結果が変わります。どちらが正しいかはこのことからは決められません。

A 時間の流れが遅くなる Q3

 これはどのように証明されたのでしょう。

 やはり、何一つ直接の証明はありません。やはり、思考実験という、手前勝手

なお話だけです。

 ロケットに積んだ、光時計を使った思考実験です。

これも、やはり、「光速度普遍」が正しい、としたときだけ光時計の光は天井に当たります。しかし「光速度普遍」が間違っていたら光時計の光は天井には当たりません。これも、前提が変われば結果が変わります。どちらの前提が正しいかということはこのことからは決められません

B 物体が縮む Q4

これはどのように証明されたのでしょう。

 やはり、何一つ直接の証明はありません。

つぶれることとではなく「特殊相対性理論での長さのちぢみというのは,宇宙船を構成する原始の形も含めてすべてが均一に進行方向にちぢむのです」とあります。

 この「ちぢみ」は観測されたのでしょうか。

 観測されていません。

 また、この「ちぢみ」は文学的には、面白い考え方ですが、科学的には、原子が縦方向にちぢんだ状態というのはどのような状態かは、まだ何一つ解明されていません。

 これも、やはり。「光速度普遍」が正しいとしたときだけ成り立つかもしれないことです。「光速度普遍」が間違っているときは成り立ちません。

 このことから、「光速度普遍」が正しいということはできません。

C 速度が速くなると、質量が増える Q5

 「原始一つ一つにいたるまで,体を構成する要素のすべての質量が一様に大きくなるのです」

「この場合も、運動している本人からすれば何の変わりもありません。宇宙船内から見ると、本人の質量はいつもどおりです。あくまで運動している宇宙船の外部の静止した人から見たときに,質量が増大して観測されるのです」

これも、実際に観測されてはいません。質量が、増えるというこの現象は、科学的に究明されているのでしょうか。

 相対性理論に、静止はないのに、静止がでてきています。相対性理論では、外の観測者も、ロケットの中の人から見ると、ロケットは止まっていい手、外の観測者が飛んでいるのです。と、揚げ足取りをしても仕方がないのですが、これも、「光速度不変」が正しくなければ、成立しない現象です。

 

 このことから、光速度普遍を証明することできません。

 

2 結論

 このことから、少なくとも、Q1からQ5までの理由では何一つ、光速度不変の証明にはなっていないと思います。Q6は、光速度不変とは関係がありません。

 学生さんも、おべっかなんか使ってないで、もう少し骨のある質問をするべきでしょう。といっても、いまどき、相対性理論に疑義をさしはさんだら、笑い物か、相手にされないかだから仕方ないけどね。

 不思議なのは、大学の教授が、こんなことが証明になると本気で思っているのだろうかということです。

 (Aと仮定したらBが成り立つ。Bが成り立ったのだから、Aは正しい)という論理です。こんな理屈は、中学校の教諭だっていんちきだって見破っちゃいますよ。相手は素人だから、分かりやすくというので書いているのでしょうが、分かりやすくということと、丸め込むということは違うことです。まあ、昨今、「理解をはからなくては」、ということは、「うまく丸め込む」ということと同意義になっていますからね。

 

2005年9月4日 並刻記

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