まとめ (相対性理論と、ニュートン力学を比べる)
1 問題
光の進路とその理由をまとめてみます。
宇宙船の中の観察者 |
光の進路 |
直進する |
曲がる |
直進する |
曲がって見える(実質絶対座標に対して直進) |
理由 |
宇宙船内は静止しているのと変わらない |
動いている宇宙船に光が取り残される。 (観測者に対して、光速度不変でなくなっている) |
重力の影響のない慣性系とみなせる。→静止しているのと変わらない |
絶対座標に対して直進する光と、絶対座標に対して動いている観測者との相対速度が変わるので |
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宇宙船の外の観察者 |
光の進路 |
斜め(曲がる) |
直進する |
曲がる |
曲がって見える(実質絶対座標に対して直進) |
理由 |
中から見て、まっすぐな光が上に到達するまでに、宇宙船が進んでいるから (観測者に対して、光速度不変でなくなっている) |
重力の影響を受けていないところから見ているので慣性系の宇宙船と同じになる。静止しているのと変わらない |
中から見てまっすぐな光が向かいの壁に到達するまでに、箱は落下しているから (観測者に対して、光速度不変でなくなっている) |
上に同じ。 ともに実質の光の進路は絶対座標に対して直進する。曲がって見えるだけ。 |
(1)まとめ
等速直線運動と自由落下する箱は、現象も理由も同じです。加速運動をする宇宙船だけは、現象も理由も反対になっています。
どちらかというと、自由落下と、加速運動とは、加速しながら進んでいる一般相対性理論だから同じになり、等速直線運動は特殊相対性理論だから、これだけ違うかと思ったら、そうではないみたいです。
2 考察
(1)相対性理論で直進する場合の論理の流れ
@等速直線運動(中の観測者)も、加速運動(外の観測者)も、自由落下運動(中の観測者)も、すべて慣性系とみなせる。
→A「『慣性系ではすべての物理法則が静止した場所と同じように成り立つ』(相対性原理)」
→B「静止している場所だろうが,一定の速さで動いている場所だろうが,そこで起きる物体の運動には違いは現れない」(ガリレイの相対性原理)という順序で光が直進する論理が構成されています。
―私の推測―
{静止した場所なら光は直進する。→慣性系(動いている)は静止した場所と同じだから光は直進する、と考えたのではないだろうか。理由は、動いている場所では、光が直進するというのは証明が大変であるが、静止した場所なら、光が直進するといっても、証明が必要ないと考えたのではないだろうか}
このことから、
(加速運動をしている場所を外から見ると)(慣性運動をしている場所)と同じ。(慣性運動をしている場所)は(静止した場所)と同じ。(静止した場所)では光は直進する。ゆえに(慣性運動をしている場所)でも光は直進するといえる。ゆえに(加速運動をしている場所を外から見ても)光は直進する。という論法です。
見事な三段論法です。しかし、これは雄弁家の詭弁にすぎません。少なくとも、科学の論理ではありません。
―問題点―
ア @の問題点
加速運動と、落下運動は、単純に定理に照らすと、慣性運動とはいえないことです。加速されているので加速運動です。
イ ABの問題点
ガリレイは、物質の動きを定義したが、アインシュタインは光もこれに含めたことです。
これには二つの間違いがあります。
ひとつは、慣性の法則は、慣性質量のある物質には適用されても、慣性質量のない光には適用されないことです。したがって、物質は、慣性運動をしている場所と、静止している場所とで同じ物理法則が成り立つが、光は慣性運動をしている場所と、静止している場所では同じ物理法則は成り立たないことです。したがって、静止している場所で、光は直進しても、慣性運動をしている場所では光は直進しません。
二つは、相対性理論には静止は存在しないということです。静止を否定したことが相対性理論の根本原理のひとつであるのだから、静止状態を前提とした運動の論理を適用することはできません。
(2)相対性理論で光が曲がる場合の考え方
観測者Aから見ると直線に見える。したがって観測者Bから見ると曲がって見える。すなわち曲がっている。という論理です。
なぜなら、S点からF点まで光が直線に見える。このときF点に光が到達する間に、F点が移動しているので、光は曲がっていなければならない。という論理です。
ア 疑問1
すべて、慣性系と同じといいながら、等速運動と、加速運動の違いから、斜め直線と、放物線とに分かれている。
つごうのいいところでは、違いが分かる男になっています。
(等速運動=慣性運動=静止)(加速運動=慣性運動=静止)(落下運動=慣性運動=静止)ということから
落下運動=加速運動=等速運動=静止となって、すべての現象は同じにならなければなりません。つごうによって、加速したり等速になったり、静止になったりしています。
観測者の立場によって変わるというのは、人間中心主義の考えです。人間が見たとおりにものごとは動いているのでしょうか。人間はそんなに偉いのでしょうか。
このような原理ができます。光は見た目どおりに動く。
イ 疑問2
曲がる原因はすべて同じです。まっすぐ進む光が光源から終着点に到達する間に、終着点が移動しているからというわけです。光源と、終着点に線を引くと曲がっているというわけです。
このような原理ができます。光は終着点の動きに左右される。
3 考察2 光や重力と観測者の関係
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光と観測者の関係 |
光による現象 |
重力 |
重力による現象 |
相対性理論 |
誰に対してもつねに30万キロ |
時間や空間が伸び縮みする |
空間が曲がる 時間に遅速ができる |
太陽は7千年過去にあり、月は未来にある。地球の地表は現在にある。富士山頂は13時間未来にある |
ニュートン力学 |
相対速度を変える |
光の波が相対的に伸び縮みしてドプラー効果を表す。 また、光行差として観測されている |
引っ張り合う力 |
万有引力として、宇宙の物体を引っ張り合わせている。空間や時間とは相互作用はしない |
4 まとめ
Simple is beautiful.とアインシュタインは言ったということです。
E=mc²がシンプルだから美しいといっても、相対性理論の複雑さはどうでしょう。学者でさえ見解が分かれて、解けない問題が山積しているといいます。素人の私から見ると、変なとこだらけです。
常識ではありえない光速度普遍という現象。どのような現象なのか一つも解明されていない、時間や、空間を曲げたり、伸ばしたり縮めたり、見た目ですべてを決めたりと、とても科学とはいえません。相対性理論の証拠といわれている、エディントンの光も、アインシュタインリングも、水星の動きも既成の科学で十分説明できまます。ミューオンの寿命の延びは、かなり適当な観測だし、カー・ナビにいたっては、今と明日が同時に存在することになってしまいます。
一方ニュートン力学はなんとシンプルでしょう。動きは物質が持っているエネルギーと質量で決まっているというのです。光は絶対空間に対していつも30万キロです。観測者がどのように動こうが関係ありません。観測者は観測者で絶対空間に対して独自の速度で動いているだけです。
観測者と光は相対的な速度を変えるので、ドップラー効果というありふれた現象で現れます。時間は、今という時刻に統一されています。昨日と今日と明日が同じ場所に同時に存在したりしません。空間が曲がったり伸び縮みしたりしません。
見え方は本当の動きと違うということです。パトカーとすれ違いました。スピード違反だとつかまりました。100キロで走っていたというのです。こちらのスピードメーターは50キロだったといってもだめです。50キロですれ違ったパトカーから見ると100キロに見えるのですから、相対性理論の世界だと罰金を取られてしまいます。でも、ニュートンの世界だとそんなことはありません。50キロは50キロです。
私は、(Simple is beautiful.)とは思いません。しかし、相対性理論はあまりにもごちゃごちゃ過ぎないでしょうか。
今と昨日と明日が同時に存在したり、アッチとコッチがソッチに重なったりする世界はどこにあるでしょう。あの世です。すべてが重なろうが飛び違おうかかまいません。すべての時空が渾然一体となっている世界です。相対性理論はあの世の物理法則としてもってこいのような気がしませんか。というのは冗談ですが、私には相対性理論は,Simpleとは程遠い、複雑怪奇の世界に思えます。
5 おわりに
これで、2005年「Newton」7月号の「決定版相対性理論」への反論を終わります。
ご愛読ありがとうございました。
また、「Newton」編集のかたには失礼なところがあったことと思いますが、私としては科学論のつもりですので、お許しください。
2005年8月26日 並刻記