窓のない宇宙船の怪(P92)

 
「窓のない宇宙船が加速しながら進んでいます。中の人は体を下向きに引っ張る力が、天体の重力なのか、慣性力なのかを判断できません。・・・慣性力と重力は区別できない・・・慣性力と重力は等価」である、について。


1 問題1

 分からないことは、ないことか

 

2 考察1

 窓がないということは、宇宙船の外が観測できないということを示しています。そして、そのことによって、宇宙船がエンジンを動かしていることによって加速されていることや、近くに星がないことが「中の人」には分からないということが前提です。

 だから「重力なのか、慣性力なのかを判断できません。」となり、「区別できない」から「等価」になるというのです。(この論理の飛躍については前項で書いてます)

 「中の人」にはロケットエンジンが噴射されているのが見えないのでロケットが動いている理由がわかりません。したがって、「中の人は体を下向きに引っ張る力が」慣性力であるとは分からないというのです。わからないから重力であるかもしれないというのです。そんなバカなことはありません。ロケットエンジンで加速しているのだから、重力でないのは決まっています。

 宇宙船がエンジンを動かしているということは「中の人」が知る、知らないで影響されるのでしょうか。操縦者がスイッチを入れる、入れないには影響されます。しかし「中の人」がそのことを知る、知らないは、ロケットエンジンが噴射されるされないには無関係です。

 見えることだけがすべての存在で、見えない物は存在しないことになるなんて変な話です。では、「中の人」が寝てしまったらどうなるのでしょう。動いていることどころか、宇宙船の存在もわからなくなっています。するとそれに伴って、宇宙船は消えてしまうのでしょうか。

 すべての存在は人間の認識の中にある、という考え方が哲学や宗教の考え方の中にあります。そういう小説もあります。物理学はその世界なのですか。それとも、うまくそれを取り入れて、言いくるめているのでしょうか。

 宇宙船が飛んでいるのか、地上に停止しているのかは、「中の人」がその事実を知る、知らないとは無関係です。物質の状態は人間の認識とは無関係です


3 問題2

 宇宙船の外には何がある


4 考察2

 「中の人」は、何を元に、重力があると判断しているのでしょう。また、何を元に、慣性力があると判断しているのでしょう。

 この「中の人」は、宇宙船の中しか見えません。自分がロケットエンジンで加速していることを判断することはできないことになっています。とすると、自分を「下向きに引っ張る力が」慣性力か重力のどちらかであると、どうして二つに絞って考えることができるのでしょう。外が見えないから、自分が飛んでいるのも、星が存在するか否かも分かりません。したがって世の中に慣性力とか重力とかいうものが存在することも判断できないはずです。

 慣性力や重力があるというのを知っているのは、外の世界を見ている、アインシュタインやその話を聞いているわれわれなのです。「中の人」はそれらの力があると判断できる材料を何も持たないのです。

 もし、「中の人」がそのことを知識として知っているなら、彼は操縦室へ行って、ロケットの状態を操縦士に聞くなり、レーダーで見て「下に引っ張る力が」重力か、慣性力かを判断できるでしょう。相対性理論には都合が悪いでしょうが、それから判断しても、科学者としては、決して遅くはないし、方法としても間違いにはならないでしょう。

 かってに設定を変えてはだめだというのは、間違いです。実験条件を変えると答えが違う場合は、その実験の結果を一般化することはできません。その条件のときだけに有効な理論ということになります。すなわち、「一般相対性理論」は窓のない宇宙船の部屋に一人ぼっちのときだけに通用する理論です。

 この「中の人」は、要するに何も分からないだけなのです。重力か、慣性力かだけではなく、重力そのものも、慣性力そのものも判断することはできないのです。


5 結論

 これは哲学や宗教の問題です。物理学の問題ではないと思います。あるいは、・・・・。

この「中の人」は、相対性理論につごうのいい事はみんな分かります。都合の悪いことは全部見えません。こういう人ってたまにドラマに出てきますよね。

 

雑誌「Newton」7月号「相対性理論」への疑問 目次

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