アインシュタイン生涯最高のアイデア―重力は消すことができる (P92〜93)

(「 」内は「Newton」からの引用です)

 

 「アインシュタインはニュートンとは違い,『慣性力と重力は同じ』と考えました。この考えは『等価原理』とよばれ,一般相対性理論の土台となります。」とあります。この「等価原理」について考えていきます。


1 問題 1

 慣性力は実在の力か?


2 考察1

(1) 慣性力とエネルギー不変の法則を考える

 「上で、『見かけ』と表現したのは,ニュートン力学では,慣性力が「実在の力」とみなされていないからです。」とニュートン力学では、慣性力は実在しないとして考えられています。

 一方、「アインシュタインは慣性力を見かけの力として差別しなかったのです。」とあります。これは慣性力が実在の力だということをいっていると思われます。(はっきり「実在の力」だといわずに、「差別しなかった」と文学的表現をしているところがにくいですね。絶対、尻尾を捕まれないように、見事に芸術的です)

しかし、その指し示すところを考えて、「慣性力」は実在の力だとして考えます。そうしないと、見かけの力=慣性力=重力となり、重力も見かけの力になってしまいます。そうすると、太陽系の動きを説明できる論理がなくなってしまいます。まさか、惑星の動きが、見かけの力によっているなどとは思われませんからね。

ア 慣性力はどこから与えられたのか

 ニュートンの発見した、エネルギー普遍の法則というのがあります。エネルギーは決して増えたり減ったりしないという法則です。これには何もないところから、エネルギーは決して生まれないということも含まれています。

 重力は、質量のある物が持っている、万有引力という実在の力です。物が落下するのは、この引き付けあう力から生まれます。

 では、慣性力は何のエネルギーでしょう。実在のエネルギーを何一つもらっていないのに重力と同じで、反対の向きのエネルギーが実在するというのです。無からエネルギーが生まれています。エネルギー普遍の法則は間違っているのでしょうか。それとも、基本の力の五個めですか。

イ 言葉のわな「差別しなかった」

 相対性理論は、人を「差別」するなどというひどいことはしない、寛容の心に満ちたすばらしい理論だとでも言いたいのでしょうか。「差別」という言葉は、人間に上下をつけるための言葉です。この言葉の中には、(正当な理由もないのに、あるものを他のものよりも低く扱うこと)(福武国語辞典)という意味が含まれています。暗にこの意味を使って、ニュートンの、慣性力は見かけの力とする考えが、慣性力を差別しているので、悪い考えだと思わせようとしています。人間の知性ではなく、感性に訴えて、ことを決めようとしています。この手法は、人を牛耳ることを生業としている人たちがよくとる手法です。少なくとも、科学者のとる手法ではありません。なぜなら、科学は、事実を極めることにあります。人を動かすことを目的としてはいないからです。人間は感情の動物です。感情は事実を正確に見る目を必ず曇らせます。「差別」という言葉は、事実を見極めることを本業とする科学者が使ってはならない言葉だと思います。

 なぜ、この言葉を使ったのですか。(アインシュタインは・・・・考えたのです。)と普通に書けばいいのに、「アインシュタインは・・・・差別しなかったのです。」としたのでしょう。わざわざ、血の流れている、感情の言葉を入れたために、ここが浮き上がっています。理由を知りたいものです。

 

3 問題2 「慣性力と重力は区別できない」か 

「窓のない宇宙船が加速しながら進んでいます。中の人は、体を下に引っ張る力が,天体の重力なのか,慣性力なのかを判断できません。ボールを投げ上げてみても,天体の重力による落下運動とまったく同じようにボールは運動します。」とあり、このことから「慣性力と重力は区別できないのです」といっています。このことが本当かを考えてみます。


4 考察2

(1)実験方法への疑問1

 宇宙船の中の人は彼の五感をフルに働かせて観測しています。すばらしいことです。でも、窓がないものだから、いくら五感を研ぎ澄ましても、なんにも分かりません。

 ふつう、宇宙船には必ず窓があります。なぜなら、外を観測できなければ宇宙船は飛べないからです。しかも、目で見るだけでなくさまざまな手段を使って、観測しています。宇宙は大きすぎるし、宇宙船は速すぎるので、目だけの観測では本当はどうなっているのか分からないからです。

 相対性理論者は、現実に存在できない、「窓のない宇宙船」をどうしてわざわざ使って実験するのでしょう。簡単です。外を観測されたら困るからです。

これって科学の観測ですか。ジョウダンですか。

 

 では、現実に存在する窓のある宇宙船を使って実験して見ましょう。非現実の実験装置を使って実験してでてきた結果が、現実に適用できるとは限らないからです。

 そこで、外が見えないように中の人に目隠しをします。(もちろん操縦士以外です。操縦士は実験に加わらず、操縦に専念しています。実験のために、事故になっては元も子もないですからね)こうすると外が見えないということでは同じことです。現実味があるだけ、このほうがよさそうです。

 さて実験です。ボールを投げ上げてみます。おやおや、ボールがどこへいったかまるで分かりません。「ボールを投げ上げてみても,天体の重力によっておきる落下運動とまったく同じようにボールは運動」するかどうかまったく分かりません。ボールが見えないのだからそうなります。でもこのことから重要なことがわかります。ボールは、重力や、慣性力によって落下するかどうか区別できないのです。すなわち、重力も慣性力も無重力も区別できない、となり。重力と、慣性力と、無重力は等価であるといえるのです。

 これはもちろんジョウダンです。

 ところで、窓のない宇宙船の実験は、これとどれだけの差がありますか。一流の科学者はそのような実験をするのかもしれませんが。私の習った高校までの実験では、そんなことはしませんでした。一番肝心なところを実験条件から省いて実験するなどというのは、科学ではないと思うのですが、いかがでしょう。

 もちろん、常識を打ち破ったところが「相対性理論」のすばらしさなのでしょうから、この実験方法もまたすばらしい思いつきなのでしょう。

 相対性理論の観測は、いつも窓がありません。このほかにも、窓のないエレベーター、窓のない箱、窓のない船もありました。いつも窓は目隠しされています。

(2) 実験方法への疑問2

―科学の実験には必ず比較実験が必要です―

 これは科学の常識です。いえ、それ以上に、ルールです。人の命にかかわる医学などは、このルールが厳格に守られています。物理学はどうでしょう。物理学も科学ですから比較実験は必要でしょう。それに、相対性理論は「思考実験」で事足りるようなので、どのような大がかりな実験装置も、あっ、という間にできるから、いくらでも実験できます。

 でも、相対性理論者は骨惜しみして比較実験などしないようだから、代わりに私が比較実験をしてみましょう。

@ 窓のある宇宙船

 中の人は、周りの星や、自分の乗っている宇宙船を観測して、「体を下向きに引っ張る力が、天体の重力」ではなく、宇宙船がロケットエンジンを動かして加速しているためにおこる「慣性力」「急発進する列車で、乗客が後ろ向きに受ける力(実在の力のように書いてありますが、この力は、私は、ニュートンの言うように、見かけの力だと思います)」と同じであることを「判断でき」ました。

A 宇宙船の外から見ている人

 「外から見れば床は加速しながら進んでいます。つまり外部から見れば、床が中の人を上に押しているだけで,慣性力など存在しないわけです。」とあるとおり、宇宙船の中の人は、宇宙船のロケットエンジンのエネルギーにより、動かされているということが分かりました。天体の重力ではないことが「判断でき」ました。

 

(3) 論理の矛盾

 論理の筋道を取りだしてみます。

(慣性力か重力かどちらかわからない)→「慣性力と重力は区別できない」→「慣性力と重力は同じ」といっています。これは真でしょうか。考えてみます。

(例)

 小鳥を買いにいきます。定員さんに聞きます。(この鳥は、オスですかメスですか)と。なぜなら、いくら目を凝らして観測しても、私にはわからないからです。このことから、次の論理は成り立つでしょうか。

(私には、オスかメスか分からない)→(オスとメスは区別できない)→(オスとメスは同じ)

 定員さんはよく調べて言います。これはメスです、と。

 どこがおかしいか分かりますか。

 この中には二つの間違いがあります。

(間違い1)

 これは言葉を言い変えることによって、少しずつ意味を変化させていって、最後にはまるっきり違うことを正当化させる手法です。これもやはり人を説得することを生業をとしている人たちのごく一部の人がよく使う手です。

 こういうことです。(分からない)→(区別できない)→(同じ)です、いつの間にか(分からない)が(同じ)になってしまっています。

(間違い2)

 もうひとつは、判断の基準です。

  私は、鳥の性別を判断するのに、羽の色や、形や、大きさだけを見て判断しました。その結果(分からない)という結論がでました。しかし、定員さんは、そんなものを見ませんでした。何を見たかというと、生殖器です。オスとメスの違いは卵を産むか産まないかです。精子をつくるか卵子をつくるかです。だから、生殖器を見るのが一番の外部から見た判断基準になります。

 すなわち、私は性別を判断するためには一番肝心なことを見ていなかったのです。

 ところで、このロケットの人も、同じ過ちを犯しているのが分かりますか。自分にかかっている力が何なのかを判断するのに、宇宙船の中だけしか見ていないのです。それでは分からないのが当然です。せめて、外を見たり、宇宙船を観測したりするくらいはしなくてはなりません。

 一番肝心なことを見ていないという、過ちを犯しているのです。

 真相は、見られると困るから、見せないんですけどね。


5 結論

 (1) このことから以下のことが言えます。

ア 「窓のない宇宙船」の場合

「慣性力と重力は(観測条件からは)区別できない」

(区別できないだけです。同じであるという証明にはなっていません)

イ {窓のある宇宙船}の場合

「慣性力と重力は」さまざまな機器を使って観測して区別することができる。

(慣性力と、重力は違うものであるといえる)

ウ 外部観測者の場合

「慣性力と重力は」区別できる。また、「外から見れば、床は加速しながら進んでいます。つまり,外部から見れば,床が中の人を上に押しているだけで,慣性力など存在しないわけです。」と書かれているとおり、慣性力は実在の力ではないことも分かる。

エ エネルギー普遍の原理が正しいとすると
 慣性力は、実在の力ではない。

(2)まとめ

 「慣性力と重力は同じ」ということを否定する思考実験が3つあります。

「慣性力と重力は同じである」という証明になる、と「相対性理論者」のいう思考実験は以上のように、実験方法も、その解釈も、科学的でないと思います。常識を打ち破ったからすばらしいなどといえるレベルではありません。

 このことから、「重力と慣性力は等価である」とはいえません。

なぜ、このような思考実験から「重力と慣性力が等価である」といえるのでしょう。医学では、こんな、実験や論理によって作られた薬は絶対認可されません。あなたはそんな薬を飲めますか。

 

2005年7月29日   並刻記

雑誌「Newton」7月号「相対性理論」への疑問 目次

落下する箱の中は重力の影響のない慣性系と同じか

窓のない宇宙船の怪