絶対静止の有無を調べる(「ニュートン」P58)

かの有名な、すれ違う2機の宇宙船の問題です。この論理が真であるかを考えます。
 AだからBであるといえるかを考え直してみます。
(以下「 」内は「Newton」からの引用文です)

1 問題
 「2機の宇宙船以外には何もないのですから、どちらが動いているとも、止まっているともいえないでしょう」
 「互いに等速直線運動をしている場所どうしでは、どちらが止まっているかを決めることはできない」
 「宇宙の中で静止した場所、つまり絶対座標を考えることには意味がない」

2 考える方法
 だからである。だからであるといっているが、本当にそういえるのかを、(は真であるか)から問い直して見ます。

3 考察

(1)思考実験
 「2機の等速直線運動をしている宇宙船が周囲に何もない空間ですれ違っています。」そのロケットにさまざまな生き物が乗っています。もちろん航海の安全を守る守り神も乗っています。彼らが、互いのロケットの動きを知ることができるかを下の表のようにまとめました。

    
(搭乗者)
ミミズ(自分に接触している物は判断できる)
犬(目、耳、鼻を使ってそれの届く範囲を判断できる)
人(道具を使って宇宙まで調べて判断できる。抽象力がある)
未来知的生物(人の千倍の判断力、抽象力を持つ)
神(すべてお見通し)
(○はわかる ×はわからない)

 

ミミズ

未来知的生物

宇宙に絶対静止がない場合のロケットの動き

×

×

×

×

×

宇宙に絶対静止がある場合のロケットの動き

×

×

×

(2)考察

ア ミミズ
 ミミズいわく、「・・・・・・」 翻訳「うまい土のほかのことは無意味じゃわい」
イ 犬
 犬いわく、「ワンワンワン」 翻訳「こんな狭い部屋ではなく、早く地球に帰って野っ原を走り回りたいなあ。宇宙も空も、そんなことは無意味なことだ」
ウ 人
 「俺にはどちらが動いているか判断のしようがない。困ったものだ。これじゃ、ミミズや、犬とひとつもかわらないじゃないか。いいや、絶対静止を考えることは無意味だと言っとこう」


(このことから、ミミズ、犬、人は、絶対静止があった場合でもロケットの動きを知ることができません。したがって、絶対静止の有無も知ることができません

エ 未来知的生物
 「どちらが動いているかなんてこの機械を使えば簡単にわかるだろう。測ればいいんだから。しかし、永遠の未来とは何だろう、そんなことを考えることが無意味なことか」 
 絶対静止がある場合は、人間にはわからない何らかの方法で、ロケットの動きを知ることができる。もちろん絶対静止がない場合には動きは決められない。したがって、絶対静止の有無を知ることができる。 

ウ 神

「すべてあるがままよ。あるものはあり、ないものはない。無意味なものなど存在しない」
神は全てお見通し。絶対静止の有無も知っている。

4 結論

 このことから、「2機の宇宙船以外には何もないのですから、どちらが動いているとも、止まっているともいえない」は「2機の宇宙船以外には何もないのですから、どちらが動いているとも、止まっているとも」ミミズ、犬、人には「いえない」と、判断する主体を付け加えなければなりません。

 したがって、も「互いに等速直線運動をしている場所どうしでは、」ミミズ、犬、人は「どちらが止まっているかを決めることはできない」と判断の主体を入れる必要があります。
 したがって、「宇宙の中で静止した場所、つまり絶対座標を考えることには意味がない」というところにも、「宇宙の中で静止した場所、つまり絶対座標を考えることには」ミミズ、犬、人には意味がないか、あるかは決められない、としなければなりません。でなにも決められないのだから、でもなにも決められないはずです。意味がないと断定できないのです。

 このことから、52ページに「アインシュタインはこの絶対座標の存在を否定しています」と感嘆符入りで書いてあることは根拠がなくなります。せいぜいいえるのは「絶対座標が存在するかしないかをミミズ、犬、人には決めることができない」ということくらいではないでしょうか。つけるのは、感嘆符ではなく、疑問符でしょう。

 思考実験は、観察者の能力によって解釈が違ってきます。何を信じるかは簡単です。しかし、それが事実を言い当てているかは、なかなかわからないものです。 
 この、宇宙船の問題は、次項でも違う観点から取り上げます。
05年7月13日 並刻記
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