座標系の返還に関して力学の法則は変わらないか 加速と重力は同じか2  メッセージ 



「アインシュタインが考えたこと」について7

(「アインシュタインが考えたこと」佐藤文隆、岩波ジュニア新書31)

著者 高田敞

 

(以下{ }内は上記本からの引用です)

 

一般相対論

{綱の切れたエレベーターの実験}

問題

{エレベーターに乗って外が見えない状態にし、エレベーターを吊り下げている綱を切ったとします。そうすると、中にいる人にとっては一時的に重力は消えるわけです。}

考察

{中にいる人にとっては一時的に重力は消える}根拠がいくつか述べられています。

・ {エレベーターが自由落下している間は、中にいる人には重力が消えたように見えるはずです。}

・ {彼がエレベーターの中でボールをぱっと手から離したとしてもボールは落ちないからです。ボールが落ちる速さと同じ速さで自分も落ちていますから、ボールを見ていれば手から離れないのです。落ちないのですから、彼にとっては重力は消えたといってもいい、無重力状態になったのです。}

これが、相対論の{重力は勝手に消してしまうこともできる}科学的根拠だそうです。

しかし、こうも言っています。{ボールが落ちる速さと同じ速さで自分も落ちています}落ちているということは、重力が働いていることです。エレベーターも、中の彼も、ボールも、落下していきます。落下は加速されているということです。加速されているということは何らかの力が働いていることです。力が働かなければ等速直線運動になります。その加速させている力が重力です。重力は消えていません。

佐藤氏は、中の人もボールも重力の力を受けて実際に落下しているのを認めています。重力が消えたとい根拠は、{中にいる人には重力が消えたように見えるはずです。}という、中の人の感覚です。また、{ボールが落ちる速さと同じ速さで自分も落ちていますから、ボールを見ていれば手から離れないのです。落ちないのですから、彼にとっては重力は消えたといってもいい、}ともいっています。この{落ちないのですから}も、彼にとっての感覚です。それも事実誤認の勝手な解釈です。佐藤氏の述べているように{ボールが落ちる速さと同じ速さで自分も落ちています}というのが正しい解釈です。外が見えなくても見えてもそうです。外が見えないときは落ちなくて、外が見えるときは落ちているというのはニュートン力学では間違いです。

だけど相対論は違います。外が見えるときは落ちるけれど、外が見えないときは落ちないのです。だから、エレベーターの外は見えないようにしています。外を見ると、落ちているのが中の人に分かるからです。中の人の感覚で、自分が落ちているということになり、重力が消えていないことになります。それでは相対論が成り立たないので、外は見えなくしています。かなりずるいやり方ですね。相手チームに目隠しさせてバッターボックスに立たせる野球の試合みたいです。勝つに決まってます。

アインシュタインは、相対論を成立させるために不利なことはすべて目隠しします。有利なことだけ取り上げます。それも、人間の感覚だけです。客観的な事実はすべて覆い隠します。これが相対論の科学です。奇跡を説く宗教と何ら変わりません。

佐藤氏は正直だから、ぽろっと、{ボールが落ちる速さと同じ速さで自分も落ちていますから、}などと、つい本当のことを言ってしまっています。そんなことを言ったら相対論は成り立ちません。せっかくエレベーターの窓をなくして落ちていることを隠したのですから、落ちていません、ということで押し通さなければならなかったのです。落ちたら重力が見えてしまいますから。

 しかし、いくらエレベーターの外が見えなくて、自分は落下していないと思ってもエレベーターが落下している事実は消せません。いくら彼が、重力は消せた、浮いていると考えても、彼は数秒後、地球に激突して死んでしまうでしょう。これが事実です。

もしこれで重力が消せるというなら、次の実験をしてみましょう。

 宇宙服を着ます。顔の前のプラスチックを黒く塗りつぶして外が見えないようにします。そして、巨大な水槽に入れます。宇宙服と彼とのトータルの比重は1に合わせます。すると、彼は水の中で、沈みも浮きもしないで漂います。彼は水の中だとは思いません。浮いている、これは重力が消えた、と彼は考えるでしょう。そうです、見事に、重力が消えました。え?ボールの実験がない。そうです。ボールの実験はありません。でも、彼は{重力が消えた}ように感じるはずです。その感覚があればボールなど必要ありません。ボールが不都合なら、ボールの実験を取り入れなければいいだけです。アインシュタインは、窓の外を見られては困るからエレベーターに窓を取り付けなかったのですから。それに比べれば、ボールの実験を取り入れないことくらいなんちゃないです。不都合なことは実験に取り入れない、これがアインシュタインの編み出したすばらしい科学の方法なのですから。

 このことから、水は重力を消すことができる。水と重力は等価である、という原理ができます。新しい分野の相対論です。めでたし、めでたし。

 これは、エレベーターの実験が空想実験(アインシュタインは思考実験と言っていますが)であるのと違って、実際に行われています。ナサの宇宙飛行士が、宇宙に行って無重力状態の中で作業しなくてはならないので、その訓練のために巨大な水槽の中に浮かんで、作業訓練をしています。無重力かって?いえ違います。無重力状態です。無重力に似た状態ということです。けっして無重力ではありません。国際宇宙ステーションの中で人がぷかぷか浮かんでいるのは無重力状態です。無重力ではありません。みんな一緒に落下しているので、そのように感じるだけです。もし地球の重力(本当は万有引力)が消えていたら、宇宙ステーションは等速直線運動になり、地球からどんどん離れていきます。地球の重力があるから宇宙ステーションは地球の周りを回ることができているのです。けっして万有引力は消えていません。

結論

{ボールが落ちる速さと同じ速さで自分も落ちています}というのですから、ボールにも自分にも重力が働いているということです。ただ見えなくされているから、自分が落ちていることがわからないだけです。単なる無知にすぎません。

 昔、太陽が地球を回っているとみんな考えていました。そう見えるからです。でも実際の現象は違っていました。(この本では天動説も、地動説も、ありだと述べていますが)見てくれと、事実は往々にして異なります。科学は見てくれではなく何が事実かを客観的事実をもとに追求しなくてはなりません。ところがアインシュタインは、事実を見えなくして、感覚がすべてであるとして、見てくれや錯覚が事実であるといっています。

 科学は最も否定的な条件を克服しなくてはなりません。ここでは、外の見えるエレベーターに彼を乗せることです。すると落下しているのがわかり、ボールを見ることなどできないでしょう。死が数秒後に迫っているのですから。無重力では激突しないですけど、そうはいきません、重力は消えていないのですから。

 彼がどんなに無重力だと信じていても、落下により激突死するのが事実なのです。

問題

 {加速運動をしている座標系、今の場合エレベーターに静止し、エレベーターと共に動く座標系から見れば、重力は消えた、そういう言い方になるのです。}

考察

{そういう言い方にな}ったとしても、それはただ{言い方}だけで実際に重力が消えたわけではないのは上に書いたとおりです。言葉上のごまかしです。

 これは新幹線の理屈と同じ原理です。外を見えなくした新幹線の中の人は、位置関係が同じだし、十円玉は真っすぐ落ちるから新幹線は止まっている、と考えるのと同じです。しかし、新幹線の車輪は回転しています。中の人がどう考えようと、どう感じようと、新幹線は地球に対して動いています。地球が動いているのではなく、新幹線が動いています。中の人は新幹線との位置関係が同じであるだけです。新幹線や自分が止まっているわけではありません。

 新幹線の座標系だけなら、中の人の相対的位置は変わらないけど、世界は新幹線だけではありません。新幹線は、地球上の現象の一部です。それを無視することはできません。新幹線の座標系は、地球の座標系の一部分です。

 同じように、落下するエレベーターは、その中の人からすれば、手から離れたボールもエレベーターの壁も同じ位置にあるから落ちていないと見えるかもしれないけれど、落下するエレベーターは地球の重力の中にあります。もし地球の重力の中にないなら、エレベーターは落下しません。それこそ無重力です。(実際はどこかに落下しています。この宇宙空間にはどこにも万有引力が存在しています。銀河系が、230万光年も遠いアンドロメダ銀河と引き合っているように)

落下するエレベーターの中の座標系は、地球の座標系の一部なのです。だからエレベーターの中の座標系は、重力の法則どおりに落下するのです。外が見えないからといってエレベーターの座標系だけ切り離すことはできません。

 

結論

 相対論に都合のいい部分だけ取り出して、都合の悪い座標は無視するというのは科学の方法ではありません。相対論に一番都合の悪い座標(ここでは地球の座標)を取りあげて、それでもなおかつ無重力といえなくてはなりません。それが科学の方法です。

 

問題

重力と万有引力

考察

昔、物は「重いから落ちる」、と考えられていました。ニュートンがそれを、物質は「引力があるから引き付けあう」、という考えに変えました。「万有引力」です。ところが、アインシュタインは、また、「物は落ちる」という考えに戻しました。「引力」から「重力」という名前に戻したのです。

落ちるエレベーターということです。万有引力なら、引きつけ合うエレベーターということです。なぜ重力にしたかというと、「落ちる」すなわち「重力」は加速と重力は等価であるとこじつけられても、「落ちる」でなく「引き付けあう」万有引力は加速と等価である、とはいえないからです。このことは後の項で考えます。