メッセージ  石が真下に落ちると相対論  宇宙は曲がっているか



「アインシュタインが考えたこと」について3

著者 高田敞

 

(以下{ }内は上記本からの引用です)

問題

{この場合、AからBにいく光の速さと、BからAに行く光の速さが同じでないといけません。もしも、その速さが違っていたりすると、AとBとの時刻を同時にすることができません。時計を合わせることができなくなります。}(P74)

考察1

{時計を合わせることができなくなります。}

それがどうだというのだろう。時計が合わなくて何か問題があるのだろうか。人間が馬鹿だから時計を合わせられないだけではないのだろうか。今、地球上の時計は合わせられる。人工衛星の時計も合わせられる。

もし、時計を合わせるためには、光の速さは同じでなければならないから、{AからBにいく光の速さと、BからAに行く光の速さが同じで}なければならない、すなわち、光の速度はA、Bがどのような速度であっても必ず光速度である、ということに結びつけるのなら、大きな間違いである。人間が時計を合わせる便宜を図るために、光の速さが決まるなどということはない。もちろん、人間ではなく自然界がA、Bの時間を合わせるために光速度不変でなければならないという必然もない。

A、Bの時間を合わせる必然は存在しない。当然そのためにその手段が光である必要もないし、光が光速度不変である必要もない。光は宇宙の中心ではない。単に物質が出す電磁波にしかすぎない。キリスト教では、まず光あれかもしれないが、それは宗教であって、科学ではない。

これは、科学の証明ではない。科学の証明なら実際に実験して、光がどのような速度のものに対しても同速であるということを確かめなければならない。マイケルソン・モーリーの実験を検証し、他の現象を検討するべきだ。

これは、単に言葉巧みに言いくるめようとしているだけだ。

問題2

{もしも、その速さが違っていたりすると、AとBとの時刻を同時にすることができません。時計を合わせることができなくなります。}を検討する。

考察2 時計の合わせ方

この本は否定しているが、AからBへ行く光とBからAに行く光の速度が同じでなくても時刻は合わせられる。

光は、物質に対して相対速度を変えるという仮説を立ててみた。

まず、AとBの宇宙背景放射に対する速度をはかる。今までに、宇宙背景放射に対する地球の速度が実際に計られているから、計ることは実際にできるということだ。これは、A点とB点に対する光の相対速度が測られることでもある。したがって、AからBに行く光の相対速度と、BからAに行く光の相対速度が分かる。この速度と互いの距離から正確な時間が計算できる。

詳しく見てみよう。

まず、宇宙背景放射に対するA、Bの速度を計る。これは光のドプラー効果で測れる。実際に地球の宇宙背景放射に対する速度はそれで測っている。

その後、Aから光を発射する。光は、光源の速度に影響されない(光は慣性質量を持たないから、光独自の速度になる)から、宇宙背景放射の速度と同じになる。すると光とBの相対速度がわかる。相対速度から、光が到達する時間がわかる。BからAにいく光の速度もわかり、やはり時刻を合わせることができる。

結論

時刻を合わせるために{AからBにいく光の速さと、BからAに行く光の速さが同じでないといけません。}ということはない。

おまけ

では距離はどのようにして合わせるか。レーダーで調べればいい。今近くの惑星の距離ぐらいまではレーダーで調べられるようだ。この場合光は往復するから相対速度を変えていても、往復で相殺されて光速度であるから問題はない。この場合反射する対象の部隊の速度は光の速度に影響しない。やはり光が慣性質量を持たないから起る現象である。ただ、対象物の速度は光にドプラー効果を起こさせる。

イルカやコウモリは音で距離を計っている。獲物Aも移動し、じぶんBも移動し、しかもそれぞれ異なる速度と方向である。音も間の水や空気が移動しているので、速度が変わる。それでも、正確に距離を測っている。

相対論者はイルカやコウモリ以下であるということだ。いや、イルカやコウモリはおおよその距離しか計っていないというのでしょう。そのとおりです。でも光と物の相対速度が変わっていても距離や時間は正確に出ます。距離=速度×時間なのですから。

 

考察3

 AとBとは同時刻であるというのがニュートンの考え方である。その場合、時計は関係ない。時計の針が何時を指していようと、AとBの時刻は同時である。時計が異なる時刻を指しているときは、時計が狂っていると判断する。

時間は人間を超越した何かである。何かであるというのは,今のところ時間とは何かということを究明した人がいないから、説明のしようがないからである。

 しかし、相対論の場合、時計を合わせなければ時刻は合わないという。相対論の時刻とは、時計である。小学生低学年並みの考えだ。小学生だって高学年になったら、時間は時計ではなく不思議なものだということに気がつく。時間とは時計の針であるなどという考えでよく世界の相対論者は納得していること。

 時間は人間が合わせるものなのだろうか。あるいは人間に合わすことができるものなのだろうか。

 もし本当の時間があったとする。それを、人間はどのようにして合わすのだろうか。時計は合わすことができる、針を動かせばいい。針の位置を一致させればいいのだから。しかし、本当の時刻を合わせるには何をどうすればいいか分かっている人はいるのだろうか。ガモフは、相対論効果で狂った時間を、時計の針を動かして、時間があった、と喜んでいる。そんなことで本当の時間が動くというのだろうか。ナビゲーターの人工衛星もそうだ。相対論効果で時間が狂うので、時計を速く進ませて合わせているという。 科学者なのにそんなことで本当の時間が合うと思っているようだ。時計の針を動かすと時間が動くというのは、大きな間違いである。それは時計の針が動くだけである。それに伴って本当の時間が動くわけはない。本当の時間を合わせることなど人間にできはしない。

 

考察4

ところで、A点の時刻をどのようにして調べるのだろう。本当の時間の時刻は人間にはわからない。適当な時刻をでっち上げて、時計をそれに合わせるだけだ。西暦か、日本歴か、中国歴か。国によってさまざまである。

西暦だと今は2015年だが、日本歴だと平成27年である。もし、ビッグバン説が正しいなら、時間が始まってからおよそ137億年立っているということだ。しかし、年という単位は、地球の公転周期から生まれている。系外惑星に高度な生物がいたら、彼らの1年は地球の1年と長さが違うことになる。

まあ、本当の時間は今のところ誰もわからないのだから、時計を適当に好きな時刻にして、それと同じ位置に針を合わせようというくらいである。

時計の時間は人間生活に必要だから生まれたものだ。宇宙全体の物理的時間ではない。

時計の時間は単に時計の針の位置にしかすぎないことだ。本当の時間とはなんの関係もないことだ。

結論

 時間は人間とかけ離れたところにある。A点とB点の時刻が違っていれば、それは違っている。人間が認識しようとしまいと、違っていれば違っている。A点とB点の時刻が同じであれば、人間が認識しようとしまいと、同じ時刻である。人間とは関係ない自然現象である。

 もし、人間の百万倍高度な生物がいたら、光など頼らずに、両点の時刻を知るすべを発明するだろう。

 これは時刻を知る手段の妥当性を考えているだけである。それで時刻そのものがどうなるということはない。

 もちろん、光が人間の利便性を考えて速度を調整するわけもない。