相対性理論と,そこから生まれた現代物理学(Newton6,2016)について2
著者 田 敞
2016年7月10日
相対性理論と,そこから生まれた現代物理学について目次 | Newton2016,6相対論の考察1 | 相対性論と現代物理学3 | メッセージ |
(以下{ }内は、上記本よりの引用)
{特殊相対論に基づいて加速器で新たな素粒子が生まれる}
{世界最大の加速器であるLHCの中では,電磁気的な力によって陽子を光速の99.9999991%まで加速させることができるといいます。}
{加速して光速に近づくほど,陽子は見かけ上,重くなるのです。}
上記の条件では、{陽子は約7.45キログラムにもなるといいます。}
{光速の99.9999991%で進む陽子は,見かけの質量が約7450倍となる}
問題1 陽子の速度は何に対してなのか
相対論なのだから、何か基準があってそれに対しての速度であるはずだ。その基準が書いていない。もちろん、相対論で否定している絶対静止に対してでないのは明らかである。おそらく、加速器に対してなのだろうと推測できる。外の観測者に対してだと、観測者が動くと、陽子の速度もそれに対応して変わってしまうから、地球に固定されている加速器が、一番の候補になる。
しかし、相対論では、基準は相対的なのだから、基準は何でもいいことになる。
周りにあるものは、光速に比べれば速度は小さいから誤差の範囲に収まるかもしれない。しかし、相対性には次のような不都合なことも含まれている。
問題2 相対性が発動したらどうなるか
相対性から考えると、加速器から見ると、陽子は光速の99.9999991%で飛んでいる。しかし、陽子から見ると、加速器が光速の99.9999991%で飛んでいることになるはずである。するとどんなことが起こるだろう。加速器と共に、地球が光速の99.9999991%で飛んでしまうことになる。
問題3 重さ
陽子が飛んでいる時は、{7.45キログラムにもなるといいます}と、陽子がかなり重くなります。しかし、これはまだ人間でも持ち上げられる重さです。
反対に、陽子が基準になって、加速器が動いている時は、この重さでは収まりません。
加速器が、100トンあるとすれば、その{見かけの質量が約7450倍となる}のだから。745000トンの重さになります。まあ、しっかり作ってあるから大丈夫なのでしょう。
これが、観測者を陽子から見た時は大変です。陽子から見れば、体重60kgの観測者なら、447000kgになってしまいます。とてもじゃないけど立っていられなくなります。
変わるのは、見かけで実際ではないのだからいいのでしょうか。
問題4 観測者の速度の変化
観測者が光速の半分の速度であったら、それを基準にすると、陽子の速度が光速の半分になったり、光速の1.5倍になったりしてしまいます。
基準により、陽子の速度が変わると、衝突の速度も変わってしまいます。すると、反応も変わってしまいます。観測者の速度によって、反応が違ってくるのです。変な話です。
この場合は、ニュートンの絶対空間からの速度になっているのではないですか。アインシュタインが否定したニュートンの絶対空間です。
陽子は絶対空間に対する速度であり、加速器もやはり、絶対空間に対する速度なのでしょう。
陽子の速度は決まっています。基準を変えると相対速度は変わります(注1)。しかし、絶対速度は変わっていません。反応が基準を変えても変化しないからです。
(注1:時速60kmで走る車がA、B2台あります。並行して走っているとBかから見たAは止まっています。逆送するとAは時速120kmに見えます。相対速度の変化です。しかし実際は、Aの速度は同じです。Aの速度は宇宙空間に対する地球の表面速度+車の速度になるからです。Aの速度の変化は見かけ上の変化で、実際の変化ではないというのがニュートンの立場です。しかし、相対性理論では違います。実際にAの速度は観測者によって違ってくるということです。Aが実際に止まったり、120kmで走ったり、するというのです。それがアインシュタインが天才である証拠であり、だれも思いつかなかった目からうろこの、素晴らしい相対性だということです)
結論
相対論の相対性は、絶対空間、絶対時間を否定した天才にしか思いつかない素晴らしい考えだけれど、実際の現象に適用する時は気をつけなくてはならないようです。実際には、ニュートンの絶対空間をこっそり使っているようです。その方がことは穏便に運ぶようです。実際、現実の世界では、物の動きは相対論の言うような相対性になっていません、常に動きは決まっています。見かけは太陽が動いているように見えますが、実際は太陽と地球は互いに重心の周りを、楕円軌道で動いています。基準をどこに置くかによって変わることはありません。ガリレオの時代の人が信じていた、地球から見たら太陽が動き、地球は止まっているなどということは、見かけだけで現実の動きではありません。
この話のように、相対性を持ち出すと現実とは相いれなくなってしまいます。だからといって、内緒で、大見えを切って否定した「絶対空間」を利用してはいけないと思います。相対性は相対論の重要な柱の一つなのですから、つねにその立場(相対論の考える真実の立場)で考えなくてはならないはずです。間違っても、間違いであるニュートンの絶対空間の立場で考えてはいけません。間違いを基準に考えると、間違いしか出てこないからです。
実際は、宇宙論以外の宇宙の観測や理論は、動きは決まっているとして考えています。地球の動きにしろ、太陽の動きにしろ、銀河の回転にしろ、宇宙を飛ぶ光にしろ、ニュートリノにしろ、速度は決まっているとして考えています。基準を変えると、速度が変わるとは考えていません。
では宇宙論は、というと、宇宙論は机上の空論だからです。相対論も、思考実験という空論でことは進んでいきます。それと同じです。考えるのはかってですから、何だって思いのままです。
だからといって、否定した、絶対空間を使うのは、間違いではないでしょうか。でも仕方ないですか。実際の実験は、空論ではうまくいかないですから、実際に即した考えでやるしかないですから。