相対性理論について目次   静止している空間とは 相対性原理と光速度不変の原理  メッセージ



「アインシュタイン相対性理論」(内山龍雄・解説)「岩波文庫」

 の考察 7                 

  著者 田 敞

(以下{ }内は上記本よりの引用)

 

§3.{静止系から,これに対して一様な並進運動をしている座標系への座標および時間の変換理論}2(P24)


問題

{さて静止系を基準に取り,それに対して静止している物差しを用いて,空間の各点を測定し,得られた座標値をx,y,zとする.}

{まったく同じように,運動系を基準として,・・・点の座標値を・・}

{座標系とは,どちらも,それぞれ1点から突きだした,互いに直交する剛体の棒からできていると考える。・・・それぞれの系には1個の剛体の物差しと多数の時計が備えつけてあるとする.}

考察

{さて静止系を基準に取り,}という設定がある。今までは、基準はいろいろな慣性系がある中で“私”がいる“静止系”だった。今度は、最初に{“静止している”空間}があり、その中に二つの座標系、静止系と運動系があるという設定だ。{“静止している”空間}に対して、静止している系ということだ。“私”も私もいない。

その{“静止している”空間}の中に、止まっている剛体の棒と、動いている剛体の棒があり、そのそれぞれに時計と物差しがくっついているという設定だ。

この、静止している棒は時間が遅くならないが、動いている棒の時間は遅くなるというのが、アインシュタインの主張だ。

その理由が、光は、止まっている棒にも、動いている棒にも、同じ光速度で、衝突するからということだ。(光速度不変の原理の一つ、光は何ものにも光速度。アインシュタインの主張)

光は何ものにも光速度だと、光は動いているAB間を、行きの時間も帰りの時間も同じになるということを使って時計を合わせるというのが§1の方法だった。

光は{“静止している”空間}の中を光速度で飛んでいる(これも光速度不変の原理の一つ。光は光源の速度に影響されない)。すると静止している剛体には光速度であるというのは矛盾がない。しかし、動いている剛体に対して、光速度であるというのは矛盾が生じる。普通で考えると、動いているものどうしは相対速度で衝突する。たとえば、50km/hの車と、60km/hの車が正面衝突すると、相対速度110km/hで衝突する。追突すると相対速度10km/hで衝突する。

この考えからすると、剛体が光速の0,6倍の速度で動いていると、光は、1,6倍の相対速度で正面衝突し、光速の0,4倍の相対速度で追突するというのが普通のようだ。

これが、アインシュタインの意見だと、光は常に光速で正面衝突し光速で追突するという(アインシュタインの光速度不変の原理)。この矛盾を解消するために、動いている物は時間が遅くなったり縮んだりすることにしたのが特殊相対性理論だ。

この理論の素晴らしさは、光がすべての中心だという考え方だ。この世界が「光あれ」という言葉と共に始まったという聖書の考えに似ていることだ。

しかし、残念なことに、光は、動いている物質に光速度で衝突することはないということが宇宙背景放射観測衛星で観測された。車の衝突のように、正面衝突するときは相対速度は速く、追突のときは相対速度は遅くなるということだ。だから、時間や空間を遅くしたり伸び縮みしたりしなくても矛盾はなくなる。かえって、時間や空間をいじると矛盾が出てくる。

また、小柴氏の観測した超新星のニュートリノは、質量を持った物質だが、15万光年を、爆発の光と共に15万年で地球に到達している。光速で15万年も飛んだのに、1秒も時間は遅くなっていない。光速で動く物質も時間は縮まらないという実証である。

しかし、アインシュタインや相対論者は、光は何ものにも光速度であるという実験や、動くと時間が遅くなるという実証があるという。次にそれを考えてみる。

特殊相対性理論を証明するという実証例

@ マイケルソン・モーリーの実験

光が地球に対して光速であるという実験結果が出た。

昔のアナログ時代の実験結果と、現代のハイテクの人工衛星の観測結果が相反するときは、現代の結果の方を取るのが普通である。また、マイケルソン・モーリーの実験は検証実験がなされていないが、宇宙背景放射観測衛星は、数年おきに少なくとも3機打ち上げられて観測しているので、検証もできているといえる。

このことから、マイケルソン・モーリーの実験では、光速度不変が実証されたとはいえない。相対論者は宇宙背景放射の観測結果をなぜ無視しているのだろう。

A 飛行機で計った実験

 地球を回る飛行機に時計を積んで実験した。

 時間の遅れや進みが発見された。

 問題の一つは、その時間の遅れや進みが非常に小さいということだ。時計の誤差の範囲に近いということだ。それに対して、先に書いたニュートリノは、15万年という長い時間を光速という限界速度で飛んだ物質の現象だ。本来なら、極端に時間が遅れなければならないのに、1秒も時間が遅れていない。誤差の範囲をはるかに超えている。信頼度は大きく違う。[1000分の1秒と15万×365×24×60×60秒。ジェット機の速度(秒速300m)と光速度(秒速300000000m)の差]

 第2の問題は、遅れた時計を持った人が、現在の飛行場に到着し、現在の人に会っていることだ。進んだ時計の人も現在の人に会っている。遅れた時間の人は過去の時間にいる、進んだ時計の人は未来の時間にいる。過去の人と未来の人が現在の飛行場で、現在の人と顔を合わせている。飛行機はタイムマシーンではない、過去の人や未来の人が現在に来ることはできないはずだ。(100年前の人と、100年後の人が、一緒にあなたの前に現れて握手を求めてきたらどうしますか。100年はだめだけど、0,001秒なら許容範囲だということですかね)これは、両方の人が、時間の遅れや進みはなく、現在の時間にいると考えると矛盾はない。

B カーナビのための人工衛星

相対性理論で考えると、地上の時計の進む速度のままでは人工衛星の時計の進み方が遅くなるので、意図的に少し速く進む時計を積んでいる。

 これは自然に起こった現象ではない。相対論が正しいという前提で人が勝手に速く進むようにしているだけで、実際の現象を計測したのではないから実証とはいえない。

 また、やはり、上と同じ問題が生じる。人工衛星の時間が遅れると、人工衛星は過去の時間に存在することになる。すると、現在の地球に過去の人工衛星からの電波が届いていることになる。また、地上から見ると、現在の地球から過去の人工衛星が見えることになる。

 やはり人工衛星がタイムマシーンになってしまう。

 現在から過去は見えない。(電波も可視光と同じ電磁波である。電波を受け取るということは、過去を見るということと同じである)

B 宇宙線が作るミュー粒子

計算から出てくる距離より長い距離を飛んでいる。これは、光速に近い速度で飛んでいるから時間が遅くなっていることから来る現象である、という主張。

これも1000分の1とか1万分の1の現象である。上に書いた、ニュートリノという粒子は、15万年の時間でも1秒も遅れていない。どちらが計測しやすいだろう。

宇宙線が大気に衝突する位置がほんの数千分の1秒ずれただけのことではないのだろうか。

これも上二つと同じ問題が生じる。時間が遅くなったとすると、ミュー粒子は過去の時間に存在することになる。過去の物質が、現在にある計測機で観測されたということだ。過去と現在が同時に存在するという不可思議が生じる。小田信長が現れて現在の人と話をしているようなものだ。何百年は無理でも、1000分の1秒くらいは、現在と過去が一緒でもかまわないということではないと思うが、そのあたりはどう考えているのだろう。相対論者の答えはない。

相対性理論は、過去と現在と未来が同時に存在するという難問を抱えている。そしてそれをアインシュタインも、相対論者も無視している。なぜなら時間とは時計の短針の示す位置としか考えていないからだ。短針のある場所であるから、過去も未来も現在もないのだろう。

問題

地球の赤道上に置かれた時計は、極点に置かれた時計{に比べて,非常にわずかであるが,遅いテンポで時を刻むということである.}(P36)

考察

1 時間の進み方

 地球はできてから46億年経過している。アインシュタインによると、その間、赤道は、極点より遅いテンポで時を刻み続けてきたことになる。それは累積されている。年1億分の1秒でも、46秒赤道は極より過去になっている。赤道は南極より過去にある。不思議な現象だ。

 南極観測隊は、現在の日本から出航して、少し過去の赤道を越えて(相対論だと日本の時計より、赤道の時計の方が時間の進み方が少しだけ遅いはず)、少し未来の南極に到達する。探検船はタイムマシーンということのようだ。

2 地球の回転

赤道の時計は南極の時計の速度から{非常にわずかではあるが,遅いテンポで時を刻む}ということは、赤道の時計の短針がわずかではあるが南極の時計の短針よりゆっくり回転しているということになる。短針の回転速度を遅くするのだから赤道の回転速度も遅くするはずだ。赤道の回転速度が、南極に比べて{わずかではあるが,遅いテンポ}で進むということになる。

南極の自転速度と、赤道の自転速度が異なることになる。南極が1周する間に赤道は1周にわずかではあるが足りなくなる。するとそれはひずみとして溜まっていくはずだ。1年で365回転する。わずかな遅れでも1年でその365倍の距離ずれる。地球はどんどんねじれていく。46億年ではその46億倍の距離が遅れる。46億年間に溜まったねじれはどのようになっているのだろう。え!巨大地震で時々解消する。それもありかも。でも変な話であることには変わりがない。実際はそんなねじれは起こっていないと言えそうだ。

 

結論

理論(光は何ものにも光速度)を否定する実際の現象があり、それから導き出された結論にも(動くものは時間が遅くなる)それを否定する事実があるということは、特殊相対性理論は間違いであるということになる。

いくら素晴らしい論理的で難しい計算で答えを出しても、根底となる理屈が事実と異なり、出てくる答えも事実と異なっては正しい理論とはいえない。

残念ながら、この考えは、聖書にはおあつらえむきかもしれないが、事実ではないのだから仕方がない。