相対性理論について目次  絶対静止に対応する現象  親時計の短針の速度  メッセージ



「アインシュタイン相対性理論」

(内山龍雄訳・解説)「岩波文庫」

 の考察4

 著者 田 敞

(以下{ }内は上記本よりの引用)

P18

問題

{A,Bに共通な時間は,次のようにして定義される.すなわち,光がAからBに到達するのに要する“時間”は,逆にBから、Aに立ち戻るのに必要な“時間”に等しいという要請を定義として前提に置くことである.・・・

 t−tt’−t

という関係が成立すれば,これら二つの時計は(定義により)合っている(等しい時間を表している)ということにする.}

解説{時計、A,Bおよび,それぞれの時計の傍にいる観測者A,Bの四者は,すべて互いに他のどれに対しても静止しているということである.}

 

考察

1 定義は正しくなくてはならない

光が行きと帰りにかかる時間は{等しいという要請を定義として前提に置くことである.}ということだが、この定義は、実際の現象として、どのような場合に成立するのかを検討してみる。

 なぜなら、地球が静止しているという定義を前提に置いたとき(実際、長くこの前提が正しいとしてヨーロッパの科学を支配していた。この前提から天動説が生まれた。天動説は、この前提が間違っていた為に生まれた説だ)、その前提が正しいかどうかを、厳密に精査し証明しなくてはならない。間違った前提からは、間違った結論しか出てこないからだ。ところが、アインシュタインのこの前提は、根拠もない、証明もない。あるのは見てくれだけだ。太陽が動いている、星が動いている。地球は静止しているように考えられるという、見てくれだけで定義した天動説とよく似ている。

2 定理を考えてみる

{光がAからBに到達するのに要する“時間”は,逆にBからAに立ち戻るのに必要な“時間”に等しい}は正しい定義であるか。

考察

1 この定義は実測では間違いであることが証明されている。

このことについては、最初の章で書いた。

2 光は光源の速度に影響されない、ということと、慣性の法則から考えてみる。

 (1) 新幹線で考える

ア 慣性の法則が成り立つ時

 走っている新幹線の中で、前後に離れたA,B両地点の発射装置から、同じ速度でボールを発射する。ボールは、同時に反対側の地点に到達する。式、{t−tt’−t}は成り立つ。

イ 慣性の法則が成り立たないとき

新幹線の中の前後に離れたA,B両地点を設定する。

新幹線の軌道のわきに、A’、Bに発射装置を置く。AB間の距離はA’,B’間の距離に等しいとする。

 新幹線は時速200km、発射されるボールは時速150kmとする。

 新幹線のA、BがA’、B’に重なったときボールを発射する。A’からのボールはBに届かない。B’からのボールは、相対速度時速350kmの速度で、Aに到達する。

 この場合は、式{t−t t’−t}は成立しない。

ウ 上のボールを、光に置き換える。

 光はアの場合にあてはまるか、イの場合にあてはまるかを考える。

 光は光源(光の発射装置)の速度に影響されない。これは光速度不変の原理としてアインシュタインも認めている。発射装置の速度の影響を受けているのはアの場合である。発射装置の影響を受けていないのは、イの方である。

 したがって、光の場合はイにあたるといえるので、式{t−t=t‘−t}は当てはまらないといえる。

 たとえば、光速の0.5倍で飛ぶロケットの、前と後ろを考えてみる。後ろから発射した光が前端に到達するのに要する時間は、(ロケットの長さ)÷(光速−0.5光速)になる。前から発射した光が後端に到達するのは(ロケットの長さ)÷(光速+0.5光速)になる。光がかかる時間は異なることになる。

 

解説に{時計、A,Bおよび,それぞれの時計の傍にいる観測者A,Bの四者は,すべて互いに他のどれに対しても静止しているということである.}とあるが、{互いに他のどれに対しても静止している}ことは、この場合には何の関係もない。互いに静止していても、4者が慣性運動で動いているのは変わらない。新幹線のボックス席で、4人が座っていると、互いに静止しているが、動いていることには変わりがない。東京で座ると、静止しているのにいつの間にか京都についている。

光が往復するのと、4者が静止しているのは関係ない現象である。この言葉の使い方がうまい。あたかも4者が静止しているかのように錯覚させる。訳者もアインシュタインのように、言葉が芸術にまで高められている。科学なら、意味をはっきり伝えることが一番肝心である。この場合、{他のどれに対しても静止している}ではなく「他のどれに対しても相対的に同距離である」とすべきである。

 

結論

 光は{光がAからBに到達するのに要する“時間”は,逆にBからAに立ち戻るのに必要な“時間”に等しい}という要請は現実の世界では特殊な場合しか成立しないといえる。その場合とは、慣性運動をしている系の速度が0m/sのとき(静止)のみである。しかし、アインシュタインは、絶対静止を否定しているから、慣性系が、0m/sということはあり得ないことになる。0m/sがあるのはニュートンの考えのときだけだ。

 従って、アインシュタインがこの定義を前提とするのは間違いであるといえる。