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「図解雑学よくわかるヒッグス粒子」に見る相対論の詭弁3
参考図書
「図解雑学よくわかるヒッグス粒子・広瀬立成・ナツメ社」
著者 田 敞
(以下{ }内は図解雑学よくわかるヒッグス粒子よりの引用。( )内は上記本の関連ページ)
相対性理論についてです。
{見かけの力、慣性力}
{慣性力は観測する場所によって見えたり見えなかったりする、加速運動をするために生じる「見かけの力」}
問題1
慣性力は「見かけの力」
考察
慣性力は「見かけの力」、とここでは述べています。慣性力は、実質的には存在しない力だということです。ところが、この架空であるはずの力がだんだん実際の力に変わっていきます。実際の実験や観測からかというと、そうではありません。思考実験という、主観的思考から生み出される巧みな言葉によってです。見事なものです。
問題2
慣性力って何?慣性系との関係は?慣性の法則との関係は?
問1 慣性力とは何か
慣性力は、加速する電車の乗客から見ると、{ボールは電車の加速運動によって加速度の向きと逆向きにころがっている。=慣性力が働いて見える}のが慣性力ということです。
考察
{ボールは電車の加速運動によって加速度の向きと逆向きにころがっている。}ということですがそうでしょうか。
電車が加速運動をしているという設定なので、動いているのは電車とそれに乗っている乗客の方です。{ボールと床の摩擦は無視する}とあるので、ボールにはなんの力も働いていないという設定ですので、ニュートンの慣性の法則では、ボールの運動はなんの変化もしません。ボールはその場にとどまるか、あるいはそれまでの速度で等速直線運動をします。実際のボールは床との摩擦があるから回転(転がる)するのです。摩擦がなければボールは転がったりはしません。
このことから、{ボールは電車の加速運動によって加速度の向きと逆向きにころがっている。}という結論は摩擦がないのですから間違いです。これが正しいとするなら、力が加わらなくても物質が動くということなのですから、ニュートンの慣性の法則の完全否定ですので、その根拠となる新たな法則を述べなくてはなりません。
これが思考実験のいいところです。自分の理論のために、実際には起こることのない現象を起こったことにできるのです。今までの法則を完全無視して。ただ、この場合、事実を見誤るのが欠点です。
結論
{慣性力が働いて見える。}ということですが、思考実験だからそう見えるだけです。実際に動いているのは、{電車の加速運動}という設定なのだから、電車と乗客の方です。{ボールと床の摩擦は無視する}のですからボールの方ではありません。
慣性力など働いてはいません。一般相対性理論を成立させるために、働いていることにしたいから頭の中で都合よく動かしているだけです。言葉巧みなだけで、実証はありません。
問2 何故{慣性力が働いて見える。}のか
これは、実際に電車などで、床に転がった、空き缶などが転がる現象から言っているのでしょう。
考察
実際の現象はどうなるでしょう。実際には床とボールに摩擦があります。
電車が発車するとします。床のボールはその場にとどまり続けようとします(慣性の法則)。摩擦がある場合、床が前に進むので、床との接地部分が前に引っ張られます。ボール自体はその場にとどまろうとするので、接地面だけ前に進みます。そのためボールは回転を始めます。ボールは転がり始めます。電車の加速運動のエネルギーをもらったからです。乗客からは、電車の後ろに転がっているように見えますが、実際は、加速の方向、電車の進行方向に電車と共に進んでいます。床との摩擦により、前進方向の運動エネルギーをもらったからです。電車より加速度が小さいだけです。なぜ加速の速度が異なるかというと、電車からもらった運動エネルギーの一部が回転運動に使われるからです。その分加速が遅くなります。電車の加速度が大きくボールの加速度は小さいので、{非慣性系に立つ乗客}から見ると{ボールは「マイナスα」の加速度で後ろに転がり始める}ように見えるけれど、実際には、ボールは電車と共に電車の進行方向に動いていきます
結論
逆向きに転がっているように見えるのが慣性力です。実際に電車と共に動いていくのが慣性の法則です。したがって、慣性力と慣性の法則は相容れない考え方であるといえます。
実際の現象は慣性の法則で説明できます。ボールは後ろに転がっていないので慣性力は存在しません。思考実験という観念の中での相対論のための希望的現象です。
問題3
慣性力と、慣性の法則を考えてみます。
考察
慣性力と慣性系と慣性の法則は良く似た言葉です。慣性系と慣性の法則は同じ原理です。しかし、この両者と慣性力はまるで異なる現象です。あるいは相反する現象ということさえいえます。似ているのは慣性という言葉だけです。うまく名付けたものです。言葉にごまかされてはなりません。
(1)慣性の法則と慣性力
{慣性力が働いて見える}とのことですから、慣性力は「見え方」のことのようです。実際に存在する運動エネルギーではありません。
一方、慣性の法則は物質の実際の運動と運動エネルギーのことです。「見え方」の法則は慣性の法則の中にはありません。上に書いたように、電車の中で乗客から見ると、ボールが後ろにころがっているように見えるのが慣性力でした。これは実際の現象を見間違えた認識でした。実際にはボールは乗客と共に前に動いていました。このときの実際の運動エネルギーの現象を扱うのが慣性の法則です。慣性力は慣性の法則とは関係のない別の法則の力です。そんな法則と、力があればですが。
(2)慣性質量と慣性力
慣性力は「見かけの力」ということです。慣性質量は物質が運動エネルギーを保存する実際の性質です。見かけの力ではありません。したがって、慣性力と、慣性質量は関係のないことといえます。
(3)慣性系と慣性力
加速する電車の乗客から見ると、{ボールは電車の加速運動によって加速度の向きと逆向きにころがっている。=慣性力が働いて見える。}{乗客にとって、ボールは「マイナスα」の加速度で後ろに転がり始める}
このときのボールは、後ろ向きの新たな運動エネルギーをもらっていません。実際のボールは前向きの運動エネルギーをもらっています。もらった運動エネルギーの反対の向きに動くというのは慣性の法則を否定することです。
もう少し考えてみます。
電車の慣性系を考えてみます。
電車の慣性系にあるのは電車のモーターから運動エネルギーをもらって、速度を共有している物質です。すなわち、電車の車体、乗客、荷物、中の空気等、電車と共に走っている物質です。(注:光はこれにあてはまりません。光は慣性質量を持たないからです。光は光源の速度に影響されない、という光速度不変の原理もこれが原因です)
この本の設定である電車の床に転がっているボールも電車の速度と同じ速度なので同じ慣性系です。
これらのすべてが電車の等速直線運動の運動エネルギーを共有しているとき、慣性系と言えます。
たとえば、地球を考えてみます。(地球は、自転や公転などの回転運動をしているので、慣性系ではありませんが)地球の物質は、すべて地球の速度を共有しています。その上で、それぞれ固有の運動をしています。電車も、人も、車も、飛んでいる鳥も地球の速度を基本に持っています。それプラス固有の速度です。これが等速直線運動になると慣性系になります。
基本となる速度を共有していない物資は慣性系には入りません。
ボールを考えてみます。
電車の窓からボールを外に落とすと、ボールは電車の進行方向に飛んでいきます。電車の外にあっても電車からもらった運動エネルギーを保存しているので電車の慣性系に含まれます。しかし、空気抵抗や引力で、ボールは地面に落ち停止してしまいます。それまで列車と共通して持っていた運動エネルギーを無くしてしまいますから、ボールは電車の慣性系から外れてしまいます。
電車の窓から飛び込んできたボールはどうでしょう。そのボールは、電車の運動エネルギーをもっていないから、電車の中でも電車の慣性系ではありません。そのボールが、電車に当たり、電車の壁に押されて、電車の運動エネルギーをもらって、電車と共に動きだしたら、初めて電車の慣性系に入ります。
電車がモーターの回転を速めて加速したらどうなるでしょう。それまでの等速直線運動から、新たなエネルギーをもらった電車が、それまでの慣性系から外れてしまいます。するとそれまでの慣性系にいた人は電車の速度との差が出てきて取り残されます。よろめくという現象が出てきます。他の物質も同じです。座席も、網棚も、取り残されます。しかし、座席や網棚は車体にしっかり固定されているので、電車の運動エネルギーをもらってすぐに加速できます。人は、電車に固定されていないので、床との摩擦で、運動エネルギーをもらった足が速度を上げます。しかし、身体は運動エネルギーをうまくもらえないので速度が上がらずに、電車に取り残されます。これがよろめくという現象です。慣性力では、身体が後ろに押されるということですが、実際の現象は、体が後ろに押されるのではなく、身体はもとの速度で前進しているのに、足がもっと速く前に進むのです。
では床に転がっているボールはどうなるでしょう。ボールも、慣性の法則で、新たなエネルギーが加わらない限りそれまでの等速直線運動を続けます。このとき、床との摩擦がなければボールはそれまでの等速直線運動を続けます。すると速度を上げた電車に取り残されます。もちろん回転しません。
床との摩擦がある場合でもよく似た現象が起こります。ボールは床が前に進むので摩擦で運動エネルギーをもらいます。しかし、ボール自体はそれまでの速度で動いているので、接地面だけ速度が上がります。すると、ボールは回転を始めます。床はボールを置いて前に進みます。床からの運動エネルギーはボールの回転運動に使われるので、ボールの速度はなかなか床と同じ速度に上がりません。
この現象を、電車の中の人が見るとボールが後ろに転がっているように見えるのです。実際は、ボールが後ろに転がっているのではなく、乗客が、電車と共に、ボールの加速度を上回る加速度で加速しているのです。
この、ボールが動く様子、見た目を慣性力というようです。
{乗客にとって、ボールは「マイナスα」の加速度で後ろに転がり始める}の、{後ろに転がり始める}はうまい言い回しです。書いてきたように、ボールは後ろに転がってはいません。乗客から見ると、後ろに転がっているように「見えるだけ」です。
ここで、今まで「見かけの力」であったものが、{始める}と実際にそうなると言い変えています。
結論
慣性力が、見かけの力というのは、見かけだけでなんの力も働いてないということです。実際の力は存在しません。したがって、実際の物質であるボールを後ろに転がすことはできません。
それを実際に転がしていると表現しているのは間違いです。それも、意図的に行っています。一般相対論の擁護のために、意図的に言葉で操作をしていると思われます。
見え方で物質の実際の動きを考えると事実を見誤ります。物理学は人間の感覚ではなく、実際の現象から考えなくてはなりません。心理学ではなく物理学なのですから。