相対論の詭弁目次   思考実験と思考の違い  慣性力と慣性の法則



図解雑学よくわかるヒッグス粒子」に見る相対論の詭弁2

 

参考図書

「図解雑学よくわかるヒッグス粒子・広瀬立成・ナツメ社」


 
著者 田 敞

 

 (以下{ }内は図解雑学よくわかるヒッグス粒子よりの引用( )内は上記本の該当ページ)



特殊相対性理論(P58、59)


1 相対性原理


問題

{地上の人を基準にすると電車が動いている}{動いている電車を基準にすると地上の人が動いている。}

 

考察

1 東京駅を動かす方法

 東京駅を動かすにはどうすればいいか分かりますか。普通の人は、そりゃ無理だと答えるでしょう。

 それでも、というと、トラックに乗るくらいにバラバラにして、運んでまた組み立てる。と応えるでしょうか。それとも、家の移転みたいに、機械で浮かせて、下に、車を入れて機械で引っ張ると答えるでしょうか。

 何にしろ、いやあ大変だな、無理だよなあ、というのがほとんどでしょう。

 では、科学者はどう答えるでしょう。

 相対論者はこう答えるでしょう。

 まず東京駅に行って電車に乗る。東京駅を運びたい方向と反対方向に走る電車に乗る。電車が出発すると、東京駅が走り出す。東京駅が目的の距離に達したら、そこで電車を降りる。するとそこで東京駅は止まる。

 {動いている電車を基準にすると地上の人が動いている。}の応用です。動く電車を基準にすると、ホームにいる人が動きます。ホームも動きます。そういうことです。

 もし、静岡に東京駅を移動させたいなら、静岡駅で、登りの新幹線に乗ります。すると新幹線から見ると、線路が動いてきます。その線路の先には東京駅があります。すると東京駅も走ってきます。

 東京駅を動かすのは簡単です。これが相対性原理です。相対論者には、当たり前でも、普通の人から見ると、変な話です。それを考えてみます。

 

2 {動いている電車を基準にすると地上の人が動いている}場合には問題が起こります。

@ 東京駅が動く不思議

 東京駅は、電車のようにモーターを持ちません。

 東京駅は、電車のように車輪を持ちません。

 エネルギーもなく、動かすシステムもないのに、東京駅はどうやって動くのでしょう。不思議です。もちろんエネルギー不変則に反します。

A 地球が動く不思議

 東京駅が動く時は同時に地表も動きます。地球が動いているということです。

 電車のモーターが回転すると、地球が動くというのは、運動エネルギーの法則に反します。

B 全宇宙が動く不思議

 電車のモーターが回転すると、太陽が動くことになります。どのような方法で太陽に情報を伝えたのでしょう。電車のモーターは太陽を動かすエネルギーをどのようにして与えたのでしょう。これはケプラーの法則の全否定です。

結論

このような現象は起こっていません。それなのに、相対論では、起こっていることになっています。電車のモーターが回転すると地上の人が動きだすという考え方はとても常識外れです。そればかりではなく、ケプラーやニュートンの考えた法則の全否定でもあります。そこが常識を打ち破ったアインシュタインの素晴らしさということかもしれません。そうでしょうか。常識を打ち破れたのでしょうか。常識で対決してみます。

 

問1 基準は変えられるか


考察

{地上の人を基準にすると電車が動いている}は異和感はありません。普通に電車が走っています。しかし、{動いている電車を基準にすると地上の人が動いている。}は違和感があります。地上の人が駅のベンチに座っていてもホームごと動いているというのです。常識的には変な感じがします。科学者には当然でも普通の人には変に思えます。

このことを考えてみます。

1 {地上の人を基準にすると電車が動いている}を考えます。

このときの地上の人の基準とは何でしょう。

地上の人は地球と共に動いています。電車も地球と共に動いています。地球は自転し、太陽の周りを公転し、太陽は地球を引き連れて銀河系の中を公転し、銀河系は太陽系を引き連れて、アンドロメダ銀河と引き合い、おとめ座銀河団の方へ動いていっています。そして、おとめ座銀河団も太陽や地球を引き連れて宇宙空間を動いています。

このすべての速度を地球は持っています。したがって、地上の人も、電車も、共通してこの速度を持っているということです。地上の人を基準にすると言うとき、基準はこの地球の速度です。人ではありません。人だと、歩きだすと、駅が歩きだします。階段を上ると、駅がカクカクと沈んでいきます。人は、動くので基準にはなりません。

地上の人も駅も電車も、基準として地球の速度を共通して持っています。その速度に、それぞれの固有の速度を加えています。地球と共に動いているものの基準は地球の速度です。地表にある物質はすべて地表の速度が基準です。地表から飛びあがった飛行機も人工衛星も地表の速度を持っています。飛びあがる前に、地表と共に動いていたので、その速度を保存しているのです。ニュートンの慣性の法則です。

 だから、地上の駅のベンチに座っている人は、地球の速度に加えるものがないから、地球に対して止まっていることになります。実際は、猛スピードで地球と共に動いています。電車は地球の速度に、電車のモーターによる運動エネルギーが加わって動いています。だからモーターのエネルギー分、駅のベンチに座っている人(地表)に対して電車は動いています。電車に対して駅が動いていることではありません。これだと、エネルギー不変則にも反しません。

地表の速度を共通に持った物質の場合に基準は地表の速度になります。おない速度を共通して持っている系だから慣性系です。そうでない場合は地表の速度は基準になりません。同じ速度を共有している物質にしか、基準は適用されません。基準の速度を持たないものは慣性系には入れません。

地上の人を基準にすると太陽が動いてしまい天動説が復活してしまうのは、基準の速度を共有していない物質にまで基準(慣性系)を広げるからです。太陽は地球の速度を共通して持っていないからです。地球の慣性系に太陽は入りません。慣性系に入らないものまで慣性系のルールを適用するから変なことになるのです。

 

2 {動いている電車を基準にすると地上の人が動いている。}

このときは、地上の人は電車の速度を共有していません。電車を基準にできるのは電車の速度を共有している物質(電車の慣性系)に限られます。すなわち、電車の本体、それに付属している座席など、そして乗客や荷物です。これらは電車と共に走っているので、基準として電車の速度を持っています。電車の慣性系です。基準は電車の速度です。だから共通したその速度を0としても、法則が成り立ちます。電車の中でボールを落とすと電車の中の人に対して真下に落ちます。

しかし、ホームにいる人は電車の速度を共有していないので、電車の慣性系に入ることはできません。電車の速度を基準にできないのです。だから電車の中の人が落としたボールはホームの人に対して前に飛んでいきます。ホームの人がボールを落とすと、電車に対して後ろに落ちます。ホームの人には真下に落ちても電車に対しては、後ろに落ちます。ホームの人の真下に落ちるのは、ホームの人もホームの人のボールも地表の速度を共通して持っている地表の慣性系に入っているからです。

慣性系に属さない物質まで慣性系の基準を適用するから、電車を基準にすると、地上の人が動きだすことになります。地球が動き出すことになります。電車を中心に太陽が公転することになります。

電車のモーターが回転すると、駅のベンチに座っている人が動きだし、ついでに地球が動き、太陽が動きだすという天動説になってしまいます。電車のモーターが回転すると、太陽が動くというエネルギー不変則に反する現象が出てきます。

3 基準になれるもの

 何でも基準になれるかというとそうではありません。基準は基準としての条件が備わっていなければなりません。それは同じ慣性系に属する物質が共通して持っている速度です。それが基準になり得るのはその速度を共有している物質(慣性系の物質)に対してのみです。

 

実際の現象で見てみます。

例1

 駅のベンチに座っている人は座っています。どこにも行きません。勝手に京都駅に行ったり、札幌駅にいったりはしません。電車の椅子に座っている人は、勝手に、京都駅に着いたり、仙台駅に着いたりします。これは、電車の椅子に座っていると、京都駅が勝手にやってくるが、駅のベンチでは京都駅は勝手にはやってこないということではありません。この場合基準は地表の速度です。地表に対して、駅のベンチは動かないが、電車は動くのは、駅のベンチは地表からもらった速度のほかは持たないからです。電車の椅子は電車のモーターの力で地表の動く速度プラス、電車のモーターのエネルギーになるからです。だから地表に対して、駅のベンチは動かないが、電車は動くことになります。反対にはなりません。

 動いている方は決まっています。

例2

 相対論では、地上の人から動いている電車の人に基準を変えると、{動いている電車}という条件が「停止している電車」という条件に変わってしまいます。

 時速100kmで走っている電車が、基準を変えられたために、一瞬で停止しなければならなくなります。今まで動いていなかった地上の人が、時速100kmで急発進しなくてはならなくなります。困った問題が起こります。こんなことは実際の現象として起こっていません。

 結論

電車の窓から見ると、地上の人が、動いているように見えるのは、実際の現象ではありません。見る人の錯視です。運動エネルギーの問題ではなく人間の感覚の問題です。物理学ではなく心理学の分野のことです。感覚と、実際の物理量とをごちゃまぜにして、思考実験を行うのが、相対論の大きな特徴です。相対論は、物理学ではなく心理学の問題です。

結論

何が間違っているかというと、基準を自由に変えられると考えたことです。

物質が持っている運動エネルギーは決まっています。見た目で変化はしません。眼力で物質が動かせればたいしたものですが、残念ですが、今のところ、眼力で地球や太陽を動かすことができた人はいません。

 

2 光速度不変の原理

問題

{光の速度は、観測者や光源の運動に関係なく一定である。}

考察

 これはごまかしです。{観測者や光源}と言っていますが、観測者と光源は違うものです。観測者は光を受け取る方です。光源は光を出す方です。それなのにいっしょくたに論じています。科学者だから違いは知っているはずです。それなのにあえて同じことのように述べているのは、ごまかそうとしているからではないか、と勘繰ってしまいます。

 

(1) 観測者と光源は同じではない。

ア 光の速度は、{光源の運動に関係なく一定}

 これは言えます。

光は慣性質量を持たないので、光源の運動エネルギーを保存できません。したがって光は光固有の一定速度になります。何に対して一定かということが、ニュートンと、アインシュタインでは異なります。これが問題です。

ニュートンの考えでは、光は、絶対空間に対して光速度になります。したがって、光源と光は相対速度を持ちます。普通の現象ですから、問題は起きません。

アインシュタインの考えは、光源の物質に対して光速度になります。光源が、秒速5mでもそれに対して光速度。光速の10%の速度でも光は光速度。進行方向に出た光も、反対に出た光も、光源に対して光速度になります。これだと、進行方向に出た光の速度は、光速の1.1倍になり、反対に出た光は光速の0.9倍の速度になりそうです。光源の速度に影響されていそうです。問題があります。

イ 光の速度は、観測者の運動に関係なく一定 

これにも二つの考え方ができます。

@ ニュートンの絶対空間絶対速度

光の速度は、観測者の運動に関係なく、絶対空間に対して一定。

この場合観測者と光は相対速度を持ちます。

 これだと問題は起きません。

A アインシュタインの光速度不変

光の速度は、観測者の運動に関係なく、観測者に対して一定

@の場合。

光は絶対速度を持っているとする考えです。動いている物に対しては相対速度を持つことになります。これは動いている物質同士が相対速度を持つのと変わりません。

 並んで走っている50km/hの車と60km/hの車は10km/hの相対速度を持つというのと同じです。

 時速50kmの車に追いついた光は車に対して「光速度−時速50km」、正面から衝突した光は「光の速度+時速50km」の相対速度になります。

 ロケットが光速の0.5倍の速度のときは、光は、光速の0.5倍の相対速度でロケットに追突し、1.5倍の相対速度で正面衝突します。

 算数的には問題は存在しません。

Aの場合

光はどのような速度の車に対しても光速度で衝突する。後ろから追いついた光は車に対して光速度で追突し、正面から衝突した光もやはり光速度で正面衝突します。

 光速の0.5倍の速度のロケットに対して、光は、やはり、光速で追突し、光速で正面衝突するということです。これがアインシュタインの光速度不変の原理です。

算数的には計算できません。

 

 理論があれば検証しなければなりません。理論どうりの現象が起こっているかどうかです。いかに有名人で偉大な学者でも、仮説をたてたら、実証しなければなりません。たとえ、思考実験でもです。


1 アインシュタインの光速度不変の原理の証明

立証1{光の速度は、観測者の運動に関係なく一定}の立証

 「マイケルソンとモーリーの実験」

 マイケルソンとモーリーの実験で、光は地球に対して光速度であるという結果が出たということです。

ア 検証実験

この実験は検証実験がなされていないので、科学の方法論からすると、確定したということにはなりません。

イ 実験の評価

彼らの実験データーは、24時間周期の変動があるという研究者もいます。すなわち地球の自転に影響されているということです。光と地球は相対速度を持っているということです。このように、結果に対する評価にも学者による異論があります。

したがって、この実験をもって、{光の速度は、観測者の運動に関係なく一定}というアインシュタインの光速度不変が実証されたということはできません。科学なら、少なくとも検証実験はいります。

 

2 アインシュタインの光速度不変に対する反論

(1)反証1 「宇宙背景放射と観測衛星」(観察者と光の関係)

 宇宙背景放射の観測衛星が、前から来る宇宙背景放射と観測衛星、後ろから来る宇宙背景放射と観測衛星との相対速度を計測しています。

その方法は、光のドプラー現象です。前方から来る光は、観測衛星に対して相対速度が速くなるので、光は青方偏移し、後方から来る光は相対速度が遅くなるので赤方偏移すると考えています。そのとおりのドプラー現象が観測されました。この観測されたドプラー現象は、観測者(観測衛星)と光が相対速度を持っていることの実証です。アインシュタインのいう、光は観測者の速度にかかわらず光速度であるという考えを否定する観測です。

その観測から、地球の宇宙背景放射に対する相対速度も計算しています。光と地球が相対速度を持っているということです。アインシュタインの光速度不変に対する完全否定になります。

また、このことから、地球の宇宙空間に対する絶対速度が測られたということになっています。これは、宇宙背景放射は宇宙空間に対して光速度である、ということを前提にしています。観測衛星に対して光速度とか、地球に対して光速度とか、火星に対して光速度とかを考えていません。宇宙背景放射は観測者(観測衛星)に対して光速度ではありませんでした。では何に対して光速度だったのでしょう。簡単です。ニュートンの絶対空間に対してです。これ(地球の宇宙背景放射に対する相対速度)も、アインシュタインの相対性原理を否定し、ニュートンの絶対静止空間の方を取っています。

 これは先発した衛星と、数年後打ち上げた衛星で観測できているから、検証実験もできているということになります。

(2)反証2 系外惑星と光(光源の速度と光の関係)

 系外惑星が観測されています。その観測手段の一つに、恒星の揺れを観測するというのがあります。

 方法は、惑星が公転するためにそれに引っ張られて主星も小さく公転する。主星が動くと、そこから出る光にはドプラー現象が発生する。これを測るというのです。

実際に、恒星が近づくときは星の光が青方偏移し、遠ざかるときは赤方偏移するのが観測されています。この度合いから、惑星の質量や、軌道が計算されています。

 この現象は、上の「ア」の、光は光源の速度に影響されないという光速度不変の原理から起こっています。「イ」の光は何ものにも光速度であるという特殊相対論の光速度不変の原理には反する現象です。

 光は光源に対して相対速度を持っているということです。何ものにも光速度であるということを否定しています。

 

 これについてもう少し考えてみます。

 特殊相対性理論では、光は絶対空間に光速度ではなく、何ものにも光速度であるという考え方です。

 すると、恒星から出た光は、その恒星に対しても光速度であることになります。そして、地球の観測者に対しても光速度になります。恒星と地球は速度が異なっています。その両者に対して、同じ光速度であるのだから矛盾が生じます。その矛盾を解消するために、速度に応じて、空間が伸び縮みしたり、時間が速くなったり遅くなったりするというのが特殊相対性理論です。

 ただ、実際に動いているのは恒星ですから、特殊相対論では、恒星が縮んだり恒星の時間が遅くなっていることになります。縮んでいる恒星から出た光は青色偏移したり、赤色変異したりするのでしょうか。

恒星が近づく時も、遠ざかるときも速度は同じです。だから、縮み方もいつも同じです。恒星の楕円運動は一定です。楕円軌道なので、場所によってわずかな速度変化がありますが、恒星の縮み方が観測されるほどの変化は現れません。太陽がその楕円運動のために縮んだり伸びたりしているのが観測されないのと同じです。万が一縮み具合に変化があったとして、縮んだから偏移が起こったとしても、赤方偏移と青色偏移に分かれる理由は存在しません。

時間の遅れの方も同じです。星がどちらに進もうが時間の遅れがあれば同じはずです。アインシュタインもさすがに速さによって時間が遅くなるとは言っていても、方角によって時間に遅速があるとは言っていません。

 これはドプラー効果なら簡単に説明がつきます。多くの、相対論入門書にも、ラッパの音のドプラー効果の起こる原理、相対速度の変化で光のドプラー効果を説明しています。光と星の相対速度の変化で起こるとすればなにも難しい理論はいりません。

 証明されている原理で説明できることは、他の証明の証拠には使えないという原則もあります。

 恒星の光が赤方偏移したり青方偏移したりするのは、恒星の動きによる光のドプラー効果であるといえます。このことから、光と恒星は相対速度が変化しているということがいえます。

(特殊相対論では、星を基準にすると空間が動き、空間が縮むという理屈もあります。このときは複雑になります。恒星が基準になると、恒星は止まります。そしてそれに対して宇宙空間が動きます。恒星に対して宇宙が楕円運動をします。まあすごいことです。全宇宙の銀河が踊るのですから。もちろん地球も太陽もです。

それはさておき、すると宇宙空間の速度に応じて空間が縮まります。空間が縮まるから、光の波も縮まります。青色偏移です。恒星が地球に向かっているときも、反対方向に動いたときも空間の速度は同じです。方向が違うだけです。すると空間は同じに縮みます。光も同じに縮みます。どちらも青色偏移です。観測された現象と異なります。この場合、宇宙空間が恒星に対して動いているときは地球も星に対して動きます。反対のときは地球は遠ざかります。しかし特殊相対論ではどちらの場合も光は地球に対して光速度です。動いている空間に対して光速度でそれと同じ速度プラス地球の固有運動で動いている地球に対して光速度です。ここに不思議があります。とても複雑な現象です。なぜ複雑かというと、相対性原理と、光速度不変の原理が重なっているからです。共に、空想の産物だからです)

結論

 昔のひとつの実験より、今の複数の人工衛星の観測や、多くの天文学者の観測の方が信頼できると考えられます。

 相対性原理と、{光の速度は、観測者の運動に関係なく一定}という光速度不変の原理は、間違いであることが言えます。したがってこの理論を基本原理とした特殊相対性理論は間違いであるといえます。

 (注:光の速度は光源の速度に影響されない、という光速度不変の原理の方は正しいです。アインシュタインの主張する、光は何ものにも光速度であるということとはまるっきり別の現象です)