相対論の詭弁目次  東京駅を動かす方法   


「図解雑学よくわかるヒッグス粒子」に見る相対論の詭弁1

 

参考図書

「図解雑学よくわかるヒッグス粒子・広瀬立成・ナツメ社」

(以下{ }内は図解雑学よくわかるヒッグス粒子よりの引用( )内は上記本の該当ページ)

 著者 田 敞

 

まえがき

 この本には一般相対性理論が生まれた理論の経緯が分かりやすく書かれています。そのために、相対性理論が実際の現象を正確に見るのではなく、言葉巧みに事実から目をそらせ、架空の力を実際の力だと思いこませ、巧妙に理屈を作り上げていったかがよくわかります。

 そのことについて、順を追って書いてみたいと思います。

 

 

アインシュタインの思考実験(P56)

問題1

{独創的な理論を作り上げるために、アインシュタインが用いた思考実験という手法に触れておこう。思考実験とは、思考という主観的な行為を前提とした実験である。}

考察

理論を作り上げるのを思考実験という行為で行うということのようです。普通、仮説を作るときは、頭で考えて紙やコンピューターで計算や図を作り、頭の中でも実験をし、仮説を考えます。仮説は思考することで生まれます。やり方はほぼアインシュタインと同じです。思考か思考実験かの言葉の違いだけです。思考実験は、なにもアインシュタインの専売特許ではありません。科学者なら誰もがやることです。

思考なくて科学の仮説は生まれません。思考して生まれた仮説を、実際の実験や観察で事実かどうかを確かめて、事実であったとき初めて定説になります。これが普通の科学の方法です。

ではなぜ、アインシュタインはみんながやっている思考と同じことをやっているのに、思考実験と言ったのでしょう。実験とつけると、検証の実験もやっているような錯覚に陥らせることが狙いではないのでしょうか。ここでも、{思考という主観的な行為を前提とした実験である。}と、あたかも実験そのものをやっているように書いています。これは言葉だけで{思考という主観的な行為}はあっても、実際の実験は何一つ入っていません。思考だけです。それなのに実証実験はいらないということになっています。これは科学の方法論に反しています。思考実験は{思考という主観的な行為}なのだから、必ず実証の実験がいります。

 また、普通の科学者は仮説をたてるとき、思考だけでなく、実際の実験や観測を行い、それを大きな柱にして論理を組み立てていきます。けっして主観的な思考だけで論理を組み立てたりしません。ところが、相対性理論は主観的な思考だけです。ここが普通の科学者との大きな違いです。

おそらく、参考にする実際の実験や観測は何一つなかったから、{思考という主観的な行為}でしか理論の組み立てができなかったのではないでしょうか。実際、アインシュタインは実験も観測もやっていません。しかし、それではあまりにも裏付けがなさすぎるので、実験とつけて、あたかも実験で裏付けしているかのように装ったのではないでしょうか。

 

問題2

{実験という名が与えられている以上(たとえ思考上の行為であったとしても)正しい論理の道筋をたどりながら、結論に迫るものでなければならない}

考察1

{実験という名が与えられている}というけれど、思考実験は、実験ではありません。思考だけです。実験と名付けて、科学なら必ずやらなければならない実証実験をしなくても定説にしようとしているとしか思えません。実際検証実験なしで定説になっています。一部だけれど、エディントンの観測などの実際の観測がありますが、それはあとで反論します。

考察2

 {(たとえ思考上の行為であったとしても)正しい論理の道筋をたどりながら、結論に迫るものでなければならない}

当然です。実験であろうとなかろうと、科学者ならだれも、正しい論理の道筋をたどりながら、仮説を立てます。正しくない論理の道筋をたどって仮説をたてたりしません。だからと言って、実際の実験や観測が不必要かというと、そうではありません。実際の実験や観察で実証しなければなりません。実験という名を与えたから実証の実験や観測はいらないということにはなりません。ところが、実験と言っているからなのか、アインシュタインの場合は、検証実験はなしでもいいことになっています。思考実験だから、もう実験しているから、実際の実験や観測はいらないというならそれは科学の方法論を逸脱しています。

検証実験は科学の方法論の基本です。

 例えば、アインシュタインは相対性原理を実証していません。相対性理論の信奉者も実証していません。理屈だけです。私はへ理屈だと思っています。科学者がよくこんなことを信じていること、とあきれます。電車に乗って東京駅が動いていったように見えても、子供だって、「それはそう見えるだけだよ、動いているのは電車だよ」と言います。科学者が事実を言い当てているのですか、子供ですか。常識は子供です。科学者はそれを覆す実証を持っていますか。思考実験だけで実証はないでしょう。

電車から見たら駅が動いているという理論の検証はだれもやっていません。駅が動いているということは観測されていませんし、やろうとした人もいません。科学者はできないのを知っているからやろうとしないのです。

実際の観測や実験で証明しない限り定説にはならないのではアインシュタインは困るので、何とか検証実験なしで理屈を通そうとして、思考実験なる言葉を編み出したのではないでしょうか。実際の実験や観測ができないのを知っているから相対論者もその言葉にしがみついているのではないでしょうか。

相対性原理を定説にするなら、駅が動いているということを実証しなければなりません。思考実験ではなく。とくに、この理論は常識とあまりにもかけ離れた現象ですから、絶対に実証しなければならないはずです。どのようなエネルギーで、どのような装置で駅が動いているのかを実証しなければなりません。できた人はいないし、これからもできる人はいないでしょう。おそらくこの本の著者もできないでしょう。できたら、この世界の4つの力に、もう一つの力を足すことになります。

エネルギーも、装置もなしに動けるのは幽霊くらいです。もちろん動いているように見えるから動いているというのは科学ではありません。へ理屈にしかすぎません。

 何故実証できないかというと、論理の筋道が間違っているからです。

 {正しい論理の道筋をたどりながら、結論に迫るものでなければならない}とありますが、電車の乗客から見たら、駅が動いているように見えるから、駅が動いている、という論理は正しいのでしょうか。この考えは、それまでの運動エネルギーの法則に完全に反しています。正しい論理ではないといえます。間違った論理で結論に迫っているから間違った答えが出たのです。だから実証できないのです。


問題3

{思考実験では、誤差のない理想的な状態を想定すればいいし、}

考察

誤差のない理想的な状態を想定するのはいいが、理論を成立させるための理想的な状態を想定しては、単に自分の思いどおりの主観だけの結論しか出てきません。科学なら、理論に一番不利な条件を設定して検証しなければなりません。この後見る一般相対論の条件の設定は、一般相対性理論が正しいとするための、理想的な条件設定であって、正しい理論のための条件設定ではありません。

この後、それを見ていきます。

 

結論

 思考実験は単に思考にしかすぎません。実験ではありません。したがって、一般相対性理論が定説になるには、実証のための実験や観測が必要です。科学者なら誰もがやっている思考と同じなのに、実験と後ろに付けたのは、実際の実験で証明できないから、それをしなくてもいいように、実験とつけて、さも実験も含んでいるから検証実験はいらないよと思わせようとしたのではないでしょうか。