シモーンは、二人の病人を抱えていた。
エイサは、どこで覚えてきたのか、煙草をくゆらせていた。帰ってきてから のエイサは、いつも煙草をくわえてぼんやりしていた。
「昔はこんなんじゃなかったけどな。」
それでも、宇宙から帰ってきた時よりはずいぶんとましだった。ここ何日かは、少しだったが、自分から話すようになってきた。
どこで手に入れてきたのか、エイサはパイプをいじっている。先ほどまでく ゆらせていたその残り香が、まだかすかに漂っている。
「みんな、夢とか、ロマンとかを追っかけていたものだ。そう思わないか。」
シモーンは読んでいた雑誌から顔を上げる。窓から、冬の日差しが長く入り 込んでいる。窓の向こうの冬枯れた梢で小鳥が戯れている。
「俺達の若い頃は、みんな生き甲斐を持っていたものさ。」
シフスは、ソファーにごろんと寝ころぶ。そのまま話がとぎれた。帰って来てからのシフスは、ぽつっと話しては考え込むことが多くなった。シモーンはそんなシフスから、窓の外に目をやった。小さな雲が、梢に引っかかったよう に光っている。
「アフリカはすごかったな。何度も死ぬかと思った。」
そしてまた黙り込む。シモーンは黙って続きを待つ。
「人はだめだ。どこでも腐ってた。人にはもう何もありゃしない。恐怖と憎悪だけだ。」
シモーンはエイサを見る。エイサはかちゃかちゃとパイプの灰を掻き出している。そのエイサの険しい顔から、また林に目を移す。
「どこへ行ってもノンティーチングだとわかったら、とたんに白い眼で見やがる。ひでえ話さ。」
「自分がいつ狂うかわからなくてどうしようもないのよ。怖いのよみんな。」
「それはわかってるさ。でもな、それが一人一人のうちはいいけど、集団となると話は別さ。あいつらは、自分の恐怖を生け贄に肩代わりさせようとしている。」
「思い過ごしよ。」
「いいや、現実だ。人は変わっちまった。」
シモーンは、またあのノイローゼが始まるのを恐れる。
「この病気の治療法が見つかればおさまるわよ。」
「いや、そんな事じゃないんだ。よいときは天使みたいな顔をしていて、いざ となると、ただ本能剥き出しで、やっつけることしか考えない人って奴が信用 できないんだ。」
「そうかもしれない。でも、その立場に立たされていない私たちには批判できないことかもしれないでしょ。」
「後少しで殺されるとこだった。いくら本当のことを言っても、まるっきり聞 いちゃいないんだ。あいつらの思いこんでること以外はみんなでたらめだと言 いやがる。毎日、朝から夜中まで、自分がテイオウの一員だと名乗れば楽になる、その一点張りだ。それもあの手この手でな。二三日は頭に来てたから、鼻であしらってたけど、そのうち認めてやってもいいような気になって来るんだな。すんでの所で認めるところだったよ。」
シフスの持つパイプがふるえている。
「あのとき認めていたら、今頃これだろな。」
言いながら、自分の頚をしめる真似をする。
「嫌よ。そんな真似しないで。」
「よく助かったものだよ。」
シフスは思い出したように、パイプに煙草を詰めだす。
「何日目だったかな、今日は認めちまって楽になろう、そう思ったんだ。とこ ろが、朝、外がやけに騒々しいんだ。人が集まってワイワイやってるみたいなんだ。遠くて、はじめは何を騒いでいるのかわからなかったんだけど、そのう ちキル・ヒムって聞こえてくるじゃないか。みんなの声が合ってきたんだな。 だんだんはっきり聞こえて来るんだ。叫んでやがんだ。いや、おっかないもんだぜ。それが俺のことだとわかったときはな。逃げ場がない。どうしょうもない。袋叩きにあって殺されると思うと、身体がふるえて止めようがないんだな。」
パイプにつけようとしているライターの火が震えている。
「結果的に言えば、あの声で助かったようなものだがな。テイオウだと認めれ ば、あの声の中に放り出されて殴り殺されると思うと、認めるわけにはいかな いものな。認めれば尋問から解放されて、そのうち裁判で本当のことがわかっ て解放されるだろうなんて甘く考えていたんだからな。」
シモーンは、エイサの手を握る。エイサが帰ってきてから一月が過ぎていた。エイサは、初めてカトマンズの話をした。
「俺は、また行ってみようかと思ってる。」
「だめよ。しばらくはここにいなけりゃ。」
「ああ、そうしていいならありがたいな。」
「変よ。」
シモーンはイーシャとの事を言われたのかと思ってどきっとする。
「俺はもうシモーンを楽しくしてやれないみたいだからな。陽気になろうと思おうとするんだがな、その気にもなれないんだ。巻き込んで、一緒に暗くしてるみたいで嫌になっちゃう。」
「そう。」
イーシャのことではないんだと思うと少しは気が楽になる。
「私といるのが嫌になった。」
「いや、そういう訳じゃないよ。これは俺の問題だ。俺はここにいても、足引っ張りだけだから。」
「そんなことないわ。帰ってきてくれて嬉しいのよ。」
「そう言われると助かるな。」
「本当よ、私、ひとりではだめになってしまう。ごめんなさい。私、ずっとイ ーシャのことにあなたを巻き込んでいるのが、つらくて仕方なかったの。苦しいめにあって帰って来たのに、また病人と暮らすのなんか嫌なのはわかってい るのよ。でも、あなたのほかに頼る人がいないの。」
「いや、そうじゃないんだ。ここが楽しくないからどこかへ行きたいと言ってるわけじゃないんだ。このまえ宇宙船に乗ったろ。」
「もう一度行ってみたいんだ。あの後まるっきりだめになったけどさ。今度アフリカからずっと旅してさ、それでわかったんだ。」
「そうな、帰ってきてみたら、俺よりみんな偉くなってただろ。俺が、志してから、ずっと必死でやってきたことが、スイッチひとつでだれにでも理解できるなんて、それも子供だましみたいなやつでさ。いい加減参ったもんな。」
「でもな、今度わかったんだ。俺はやっぱり知りたいんだ。知るって事は、機械で頭に撃ち込む事じゃないんだ。知識の総量でもないんだ。知識なんてどん なもんだって大差ないんだ。宇宙の構造であろうが、花のうまい育て方であろ うが変わりないんだ。大切なのは、それが社会にどれだけ賞賛されるかではな くて、自分がしたいと思ったことを、自分で考えて、自分で探して、自分でやることなんだ。そうすることが喜びなんだ。」
「俺はもう一度研究してみたい。だれもがもう知っていることかもしれないけ どな。でも、俺はまだ知らない。」
シモーンはただ聞いている。
「アフリカはひどかった。ただただ、毎日暑さとの戦いだったな。それだけで、 もう、身体の力が全部抜け落ちてしまうみたいなんだ。その中を毎日毎日走り抜けていくうちに、何とも言えない充実感が湧いてきているのに気が付いたん だ。よしこれが終わったら、宇宙の果てを見てやろうってな。ま、理屈では、 ここと同じだって言うけどな。ただ、果てしなく星空が広がっているだけだっ て。だけどな、行ってみなくちゃわからないものな。宇宙の果てのぎりぎりを、 それでも果てしなく続く星空の中を飛び続けたいんだ。」
シモーンは、ずっと昔、やはり同じ事を聞いていた自分をおもいだす。
「夢なんだ。いつまでも子供の夢。」
「研究所に戻るの。」
「できたら。だが、だめだな。俺の知識じゃもうついていけないものな。」
「そんなことないでしょ。」
「いや、だめだね。帰ってきたときに、それはいやと言うほど味わった。」
「じゃ、どうするの。まさか、ティーチングするんじゃないでしょ。」
「まさか。俺の脳みそじゃ三日と持たん。ま、ぽちぽちやり直してみるさ。」
「じゃ、ここにいられるじゃない。」
「よければ、置いてもらいたいな。」
「いいわよ。いつまでだって。」
「ただ、俺、クエーサーに乗ろうと思ってるんだ。」
「クエーサーって。イーシャが言ってた。」
「そう。」
「だって、あれに乗ったら帰れない。」
「そう。だからさ。またシモーンを裏切るようでつらいんだ。」
シモーンは下を向く。イーシャがついこの前、クエーサーに乗ると言ってた ことを思い出す。
「どうしてなの。どうしてみんなそんなに寂したがるの。」
「どうしてだか俺にもわからん。」
「人がいやになったからって、逃げ出したって。」
「いや、そうじゃないんだ。カトマンズのことだってそりゃ少しは影響あるかもしれないけど。」
「そういう事って、だれにもわからないんだよ。自分が考えた一番もっともら しい理由だって、自分は信じ込んでるけど、本当のところはごまかしにすぎな い事ってあるからね。」
「そんなの、逃げ口上でしょ。」
珍しくシモーンは強い口調になる。
「ほら、モルモットなんかが大発生したとき、海へ飛び込んで、水平線に向かって泳いでいくって伝説あるだろ、あんな事かもしれない。あんまり人間が増 えたから、ただ闇雲に遠くに行けという本能にスイッチが入っただけなのかも しれない。」
「そんなの嘘でしょ。」
「うん。だけど、命を支える仕組みは同じだよ。きっと。わかんないけど。」
「あんまり関係ないか。」
話の子供っぽさにか、ちょっと笑いが顔に浮かぶ。
「でもな、人間がいやになったから逃げ出すわけではないよ。」
「そう、よかった。」
「ああは言ったけど、アフリカにも良い奴はいっぱいいたよ。シモーンの言うように、背中に死 に神がくっついているから、ああなるのは仕方がないと思う。俺も死に神見たからね。ちょっとだけわかる気がする。」
(12章の1おわり、12章の2に続く)
空いっぱいに蝉時雨11章の6へ